No44 令和6年1月2日(火) 能登半島地震
【お知らせ】今年から週一回木曜日に投稿します。
特版は今回のように題名を付けて書きます。
自民党員です。
総理、明けましておめでとうございます。
能登半島地震の被災地と被災者の救援と支援の指揮をとっていただきたいと思います。
地震大国という言葉は、この際自慢に使います。こんなに災害が多い国で、こんなに国が対応でき、こんなに国民が助け合う国家はありません。
メディアが意地悪く報道する日本海側の原発はびくともしません。
今回も、迅速な救援、そして県や市と連携して、今後のまちづくりを念頭にした復興支援計画を実施してください。
なぜなら日本海に面した地域を過疎地にしてはいけないからです。日本を愛するもの以外が住み着くことがないように、この際、国も復興、いや観光地改造計画なみの支援をすべきです。
能登は美しい観光地です。だからといって昔の瓦屋根の家を建て続けろ、というのではなく、必ず地震が起きる地域には、耐震住居に補助金を出すなりして、世帯数を確保することが大事なのです。
前回の能登半島地震は、平成19年3月25日(日)に発生しました。
9:42頃、七尾市・輪島市・穴水町に震度6強の地震。
平成21年2月25日には、輪島市の災害公営住宅(松風台団地10戸)が完成しています。えっ?10戸?この資料に驚きました。
輪島は人口減少も大きく、昭和35年57,244人だったのが、現在は23,192人。世帯数も11,405世帯です。
前回の地震の際、8割を超える世帯が自力での再建を希望していることが調査で明らかとなったので、石川県では、独自の被災者生活再建支援制度を創設したといいます。
今回の地震で、その住宅がどの程度地震に耐えられたのかも知りたいところです。
さて、日本人は、災害当初は募金やら支援やらが賑わいますが、すぐに忘れてしまいます。
私は、前回の地震では、5年後の平成24年の3月に能登を旅行しました。
夕日の美しさ、朝市の程よいw 賑わい、そしてお土産に買った、輪島塗りの箸、湯呑み、箸立てを今でも使っています。
災害の復興には時間がかかります。
18世紀からずっと地震と闘ってきた町です。日本の誇る景観と輪島塗りの町です。どうか、こうした町の再建に力を注いでください。
私は、前回と同じに5年後、甦った輪島へ旅行に行きます。
生きていたらですが。
総理。総理にとって、この災害は、国内における最後の仕事になるかもしれません。今まで通り「日本でよかった」という以上の対応を期待しています。
【参考資料】
「台所からひとこと」投稿にあたって
安倍晋三暗殺のあと、悲しんでばかりいてはいけない。何かできないか考えました。そして一周忌まで「キッシーへの手紙」(官邸メール)を書くことにしました。この「台所からひとこと」は、その続きです。せめてキッシーが総理の間は、官邸メールを送ることが供養と決めました。
思い切ってnoteとXにも投稿しています。
もちろん素人の意見ですが、60代の主婦がこんなことを考えていると知ってほしいのです。
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