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私の昭和歌謡91 蘇州夜曲 1940

戦前の異国情緒のシネマには敵わないなあ美女の歌声


山口淑子Wikiより


山口淑子(李香蘭 りこうらん)は、もちろん昭和の有名人である。

波乱万丈の人生だった。
・1920年中国奉天で日本人両親の娘として生まれる。
・美しい容姿とソプラノ歌手として中国女優李香蘭として活躍。
・漢奸の容疑で命からがら中国から日本へ逃げ帰った。
・日本の女優山口淑子として、三船敏郎や池部良と共演。
・ニューヨークでイサム・ノグチと5年間の結婚。
・「3時のあなた」の司会者。重信房子にインタビューを果たす。
・田中角栄の自民党から参議院全国区で当選。3期務める。
  (田中さんったらww2歳下の美人のファンだったんでしょう)
・自民党議員団の一員として北朝鮮を訪問、金正日国家主席と面会。
・その後、もう一回、金正日とインタビューしている。
・2014年94歳で亡くなる。

「蘇州夜曲」は現代の歌手もカバーするほど、魅力に満ちた郷愁をさそうメロディーだ。

そりゃ当たり前。作詞は西条八十、作曲は服部良一。

このメロディーに甘い郷愁を覚えるのは、服部良一の才能だ。「山寺の和尚さん」や「東京ブギウギ」の作曲者だと思うと、なおさら敬服する。

曲は実にシンプルな有節歌曲だ。童謡なんだ。だから、李香蘭がコロコロしたソプラノで無理なく出せちゃって、さらりと歌うのが当たり前だと思っている私は、発声を苦労して歌ってるような現代の歌手のカバーは、どれも満足しない。

けっこうカバーがある。男性は総崩れだなw
女性では、私的には西川郷子(さとこ)が1番。次がSayaさん。3番は夏川りみ。

美空ひばりも石川さゆりも、李香蘭のソプラノには敵わない。この西条八十の詩を歌うには、技術力より持ち前の声質が大切なんだと思う。

さて、映画「支那の夜」のストーリー。
ほぼ1964年米国映画「マイフェアレディ」のようなものだ。

中国のスラムの粗野で下品な女の子を、ひょんなことから面倒見ることになった男(イケメン長谷川一夫)。しかも「マイフェアレディ」のように、男性側に意図的な優越性などなく、自然に面倒見るようになったところが好ましい。

そして、よくよく考えれば、こちらは1940年であるから誇ってもいい。

しかも李香蘭はオードリーに匹敵する、いやもっと輝く美人だった。

私は毛沢東時代の最後の方に、この蘇州を訪れたことがある。

香港へ降り立ち、深圳から入国する時代だった。列車で杭州、蘇州、上海を回る旅だった。この旅行は、私の人生で、今では危険で行けない国となった中国の貴重な体験だ。

私が旅した蘇州は、昭和の田舎の風情だった。大通りはうるさく、汚い道もあったけれど、そこは観光地。清掃をがんばっていた。

歌詞にある「水の都」そのもので、塗りかえていない、ひなびた橋々も魅力的だった。寒山寺も、ピカピカに修復や整頓されていない、侘び寂び風味があった。

なにしろ、夏だったから、死ぬほど暑かった。工場などの仕事がローテーション式なのか、暇な中国人たちが、旅行者と食事したり、話したりする機会が欲しいのか、うろうろしていた。

旨い食堂がわからないから、結局連れ立って10人ぐらいで入って、食べ終えると、私たちは外国人用の紙幣を出し、向こうは人民元。おつりは持っていく(笑)という、せこい稼ぎをされたが、そういうものなんだろうと、フツウに別れた。日本の経済はまだまだ元気だった。

おっと脱線。
だから、西条八十の「夢の舟唄 恋の歌」「君が手折りし 桃の花」というロマンチックは、やはり映画の中のものだとわかった。

映画の蘇州と、40年後の蘇州は、やはり違う蘇州だといえる。いや、当時だって満鉄の宣伝用の映画だったのかもしれない。




【参考資料】


カバー色々。西川郷子ちゃんは秀逸。




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