ミュージカル『生きる』 Oct.16
🐇 勘治は「生きた」
🐇 親父の小さい背中
🐇 ヘロデソング的
2回目。今日は市村さんとコニタン。
前回観た後、果たして勘治は「生きた」と感じることができたのかな?って考えていたけど…
今日「最後の願い」を歌う姿を見て何か腑に落ちたような気がした。
何としても公園を完成させたい!それまで生きたい!と強く思った、その瞬間の勘治は輝いていたよ。生きてた。
助役には何も届いていないし、役所や社会の仕組みに対して変革をもたらすことができた訳ではないけど、小説家と光男には確実に届いた想い。
そこにだけは確かにできた繋がり。
そうだ、とよちゃんはウサギのおもちゃを作ることで日本中の子供たちと友達になれた気がすると言ってたな。
繋がり。
別に世の中に影響を及ぼすようなことじゃないけど、自分の周りほんの至近距離範囲だけのことかもしれないけど誰かと繋がりを築くこと。
社会も世界もその細かい繋がりの積み重ねなのかもね。小さな希望。
助役たちみたいに実際社会がどのように回ってるかということを考えると、その希望は本当に気が遠くなるほど小さいものだけどね。
市村さんの勘治はエモい。無口なのも朴訥と言うより内気とか気弱な印象。小ささ可哀想さ思い詰めてる感じなど内面が素直に出てて観客からはそれがストレートに見える。気弱で口に出せなくて光男とコミュニケーションできないという哀しさがある。
市村さんの身体の細さ小ささもあるね。親父の小さくなった背中に寂しさを感じる…と言うか、そんなの見たくないと思ってるような光男の気持ちが想像できたりする。
あぁ勘治さん息子とのブランコの思い出を歌って「みんなが繋がれるように公園を作りたい」って言ってたね。
その後無理してひとりで家に帰ろうとするんだけど、小説家が「ほら」って貸した手に掴まるところなんかもグッとくる。
ふうかちゃんの一枝がもぉ可愛くて言うこと聞いてあげたくなっちゃうヨメでさー。
光男は一枝のああいうとこが好きなんだろうなぁ…若い感覚で屈託なく嫌味なくペースに巻き込んじゃう感じ…巻き込まれて光男は嬉しいんだと思う。光男自身には無い性質だからね。
照明が当たってない時も夫婦の部屋ガン見してしまった。ラブラブ夫婦なのを感じる。プイってひとりで映画行っちゃう時も「なにスネてんだよ」とかってかわゆい夫婦喧嘩に見えちゃう。May’nさんの時はもうちょいシリアスに感じたかな。
笑顔で巻き込む感じは、まぁふうかちゃんのとよもそうなんだけどね。特に前半のトーンはそこが良い。
May’nさんのとよはちょっとはすっぱなカッコいいねえちゃんだったな。
役所のデスク芸お見事!大好き!
竜にい様やっぱりかっこえぇ!
ヤマニンさん悪役ブラボー!
お葬式に来て「渡辺さんのおかげで公園ができたんだよ!」と言う黒江町の皆さんに、(とよちゃんをちょっと庇ってあげたりもした)ナマコ係長さんが「いや、こちらの方々のお力がなければ…」と返してた。それで奥さんたちも引き下がるんだ。
これは真実だもんな。やっぱりここは観客に問いとして残されてる。
でもね、今日は前方で観たせいか分からないけど、俯瞰する視点を持ってたはずなのに結構あの奥さんたちの「夢をつかみとる!」とかに巻き込まれそうになっちゃったなぁ。
デスク芸や病院シーンの歌とかもそうだけど、すごくミュージカルらしいエンタメ性があるんだよね。だから観ていてものすごく楽しい。歌もみんないいし。
物語を味わってる気持ちとしては全然そうじゃないけどミュ的にめっちゃノリノリで拍手したくなっちゃうとこがあるんだよね…ヤマニンさんたちの歌もそう。それこそヘロデソングの感じだよな。
ラストシーン「ゴンドラの歌」を聴いている途中で脱力し崩れる光男の背中。ブランコに置かれたお父さんの帽子に手を伸ばす…その指先を見つめながら幕。
光男が崩れた辺りでコニタン小説家は宙を見上げ笑顔になってるんだけど、光男の顔も見てみたいなぁ〜見えないのもまた良いけど!でも見たくて上手席を追いチケ!😆
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