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CDで反芻

エリザCD(2012ウィーンコンサート版)を聴いて反芻してたんだけど…

うわぁ…ママ鏡は「あなたが側にいれば」や「夜のボート」のメロディと「私だけに」のメロディが交互にベースになっている!ってこととか(シシィが "ハプスブルク体制" の旋律で拒絶するのもね…)、あとルドの葬儀でシシィが歌うのが子ルドがママを求めるメロディだったのと、死なせてとトートに縋って歌うのが例のトート&フランツがシシィを求めるメロディだったのに気付いて堪らんくなった😭
その後「夜のボート」も本当に哀しい。
「悪夢」でトートと凄まじく闘うフランツには震えるし、遡るけどルドの闇広は楽曲としてマジ半端なくエモい…「王座〜!」

ルキが言ってるように世の中なんてろくでもないし、死神目線で見たらこの世なんて泡沫で、人間の一生なんて取るに足らないものなのだろうけど、でもやっぱり私たちは人生のあれこれを乗せた楽曲にこんなにも心を動かされる。
てか、こうやって心を動かしていることそのものが人生なんだよな!

トート目線でルキが語る物語だけれども、それは分かってるんだけれども、私もその目線で見てるはずなんだけれども、その中の登場人物に過ぎないはずの人たちの様子に随分と揺さぶられてしまう…
このことは、やっぱり人生は生きなかったことにはならない、無かったことにはならない、この一瞬の閃光を私たちは愛おしむよね!…っていうことを証明していると言えるのかな。

そう言えば、プロローグとかシシィに猟銃を持たせてPregoのとことかの最初の音…他の箇所でも"導入"とか"予兆"的に使われてるけど、これと似た音けっこう他の演劇作品でも耳にするのよね。『夢ぞろぞろ』でも思ったし、最近それを思った記憶があるってことはアイランドかな?NTLiveのフランケンかな?
ヒャッと反応しちゃうんだよね😅

あゝ…また気付いちゃったんだけどね…
結婚3年目まで無我夢中の闘争の中で忘れていた(念頭に登ることのなかった)"死"を、シシィは長女の死によって思い出したんだね。人ってこんなふうに呆気なく死んじゃうものなんだ…みたいな実感があっただろうから、これをきっかけに、死がいつも傍に居ることを折に触れて思うようになったんだよ。これ以降トートが度々現れるようになったもんね。

あーでもまた新たに気付いてヒャッてなったんだけど、3年目までのなんやかんやの裏で「最後のダンス」の旋律が流れてるのよね!意識にはないけど、やっぱり死はいつも近くに居るんだ…
しかもこれ、女官たちが歌ってる旋律なのね …ってことは、ハプスブルクに纏わりついている死の影と見ることもできるか。
同じように何年かの時の経過を物語っている、シシィの流浪の旅のとこも同じような作りだね。ここでは「最後のダンス」のメロディをもろにフランツが歌ってる。

そう言えば成河さん直近のブログ(新聞記者やトイストーリーの感想)で何度も「誰のものにもならない」ってことについて言ってたね。
ことぜんにも繋がることだし…
あゝ、にわかにこのワードが私の中で大きく膨らんできている。
闘うこと。
ヴィンディッシュ嬢みたいに自分の世界だけで完結している訳にはいかないから、闘う。
でも、それによって周りの誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。
そして、ブルースみたいに戦い方を間違うと何にもならない…いや、何にもならないわけではないかもしれないけどさ…
とかね。

おっと!
「私だけにRep」で最初フランツが歌うとこIch gehort nun dirって言ってる💦
からの、シシィのDenn ich gehor nur mir! なのかよ〜!
さらにその裏で閣下はYou belong only to me!って言ってるしなぁ〜💦
でもドイツ語スクリプトにこれが無いのね。その後のフランツの♪エリザベーも含めてここが"三重唱"になったのも後からの改訂なのかな?

うわぁ、ここのトートの歌詞を日英比較してビックリ!
What the eye sees today
Is tomorrow’s past
When your vision has also flown Time is on my side
You belong Only to me.
お前に命許したために
生きる意味を見つけてしまった
お前しか見えない
愛している
ってトートの立ち位置が全然違うじゃーん!
(たぶん)原語だとさ、ただ♪エリザベ〜って言ってるだけのフランツの1人取り残され感がハンパないよね。

全然違うじゃーん!と言えば、ウィーンのカフェのとこもだよね。
原文では、あれは何もせず只々ゴシップとかで暇つぶししてる大衆を揶揄してるのに。「カフェの面々はみんな知ってる」って言うのは皮肉なのに。
ギャルソンルキ「皇后は皇太子が革命のバリケードに立ってる夢を見たんだってよ〜」なんて、匂わせちゃってさ…これが例の音取りが難しそうなソロ部分。
日本版では、このカフェのシーンは市民が革命を起こそうと動き出してるという場面になってる。
そこにトートが忍び込んでて。=ハプスブルク帝国に死の影。ルキのソロ部分ではそれを言ってるね。
ルドの件は成河ルキはラストの振付で表現してるけど、歌詞には全く無い。

やっぱウィーン版と日本版はかなり違うんだなー。

愛と死の輪舞を、2019でリーヴァイさんがデュエットにしようと提案したけどイケコ先生が絶対ダメ!と言ったらしい。
あの時愛を交わし合ったふたり、という前提があるのとないのでは、だいぶ違うよね。
私はそっちの方が納得できるけどな。
やっぱ日本版はトートの片思い感が強い。そこがイケコ先生のこだわりなのかなぁ。


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