『終わりのない』
[Nov. 2]
やっぱ好きだイキウメ!
(これは劇団公演ではないけれど)
なんて言うか、観劇体験として最高なものを味わえるんだよ。今まで自分の中には無かったような概念・物事の新しい捉え方を、とても生々しい体感として手渡してくれる。
そうそう、こういうドキドキに出会いたくて劇場へ行くんだよね!
やっぱりね、前川さんは隕石関係者だと思うんだよ。何処か他所から来た人…と思ったけどむしろ、望のように、悠理のように、旅をしてきた人なんだ。(確信)
量子論。
オデュッセイア。
オデッセイ…長い旅。
僕の物語であり、人類の物語。
個であり全体であること。
ユニバースではない、マルチバース。
無意識。
望郷。
閃き。
ひとりで立つこと、ひとりで歩くこと。
孤独と自由。
山田裕貴さん素晴らしい真実味。少年はああやって自分の足で立ち自分で歩くことを覚える。自分の旅を始める。毎公演キツイだろうなぁ。1公演終わる毎にキャスト・スタッフ皆さんで彼のことを抱き締めてあげてほしいなって思っちゃう。
うちの少年たちもきっと旅を始めているのだろうし、私もちゃんと旅を続けていかなければなぁと思う。
"観測される" というワード、引っ掛かる。
劇を観て、ある世界観や物語に触れちゃって、それを観ちゃった後の自分になる感じ…
何かを "観測した" 状態なんじゃない?
そう、前川さんは今まで自分の中に無かった概念を…って言ったけど、実は『獣の柱』の時そうだったように、自分の中にボンヤリとある思考と重なるものを見せられた気がしてヒャッとなるという側面もある。あれ?これ私(たぶん観劇生活の中で)考えて頭グルグルさせた覚えのあることだぞ?みたいな。
[Nov. 7]
おかわり。
私は一個の宇宙。みんな其々一個の宇宙。
ひとりで立つ。自分で歩く。
ラスト、みんな丸い台から降りて行って…悠理ひとり。
悠理であり、ユーリ。
同時に、人類の物語。
信じろと、諦めるなと、熱く語るエイ。
無理だよ、僕なんかが言っても誰も信じないよと言う悠理に、いや、誰かには届くと。
…演劇の人ですね。
「タダ乗り野郎!」ってグサっときたね。
いろんなことが無意識の中に在る。でもそのことを忘れてる。
イプノスを救った英雄の王子が "閃いた" ユーリはカッコよかったぞ。いきなり凄い風格が現れてビックリするほどだった。
浜田さんのダンの歩き方や所作?、最高。
一瞬キャンプ場に来た時の何たる違和感!
そして意識を持ち、マザーから切り離されたダン。「ものすごく不安」「笑っちゃう」「言語化できない」と言ってた。
人間の意識が物理法則を超えて行き来できることに驚きを禁じ得ないと言って目を輝かせていたよね。
クローンを作ることを止めようと提言した。
パンフに書いてあった、心理学者ジュリアン・ジェインズの説…三千年前(『オデュッセイア』の時代以前)までの人類は自然と一体で「意識」を持っていなかったと!
しかしまぁ世の中には未知な概念の多いことよ!
てか、量子論もそうだけどさ、常識や通説や前提を疑い、新たな仮説で当たり前を問い直す発想・態度って本当に凄いと思うし尊敬するわ。
意識は "しっくりくる" 身体に呼び寄せられる。人類は地球を探す。望郷の念。
慟哭の末に、踏ん張ってひとりで立つ悠理。
明るい照明で浮かび上がる、丸い、一個のユニバース。
そこからそっと降りて、ひとりで立てるか?自分で歩けるか?と声を掛け見守るパパとママの姿にもグッときた。
ちゃんと自分の宇宙を持ち、他者の宇宙をちゃんと認めること。
ひとりで歩き始めた悠理を抱きしめてあげたい気持ちで、拍手を送り、スタオベもできて良かった。
PHP文庫『「量子論」を楽しむ本』
正直、中身は全然解らないけど、ものすごくドキドキワクワクしながら読んだ。トキメキだよ、これ。
( "物質はすべて波である" っていう説から何となく『男たちの中で』のワンシーンを思い出したよ)
ほんと、"常識" とか "実感" とかを超えたところで思考を展開していけるのって凄い。
ダンも言っていたように、人間の意識・発想・思考は物理法則をも超えていくことができて凄い。「思考実験」とかできるのってすげーなと思うよね。(スゴイしか言えてない)
あ…そう言えばイキウメって、その作品?公演?のことを「思考実験」と言ってるね!😳
こういう「人間の意識」に希望を見出すことはできると思う。
私たちの世界について考えようとする時、"現実" とか "常識" とかを超えて思考しようとする態度が必要なのだと思うから。
とは言え、生命科学など「真理の探究が純粋な好奇心からおこなうことを許された、平和な時代は過ぎ去りました。しかしそれでも、私たち人間は真理を求めていくことでしょう。その過程で改めて、人間とは何なのか、人間は自然の中でどのように位置づけられるべきなのかが問われるのかもしれません」という記述もあり、これにはNTLフランケンやほねじゅうを思い出してしまった。
自然、を考えると、神…に行き着くよな。
そっか、「自然」て意識した瞬間に、人間は自然から切り離されたのか。
意識を持ったAIのダンによって「クローンは止めましょう」という提言が為されるというのも何だかゾワゾワする話だ。
「多世界解釈」に於いても不可能とされている "別の世界との行き来" だって、物語の中では可能だ。凄い。
以前、前川さんが「現実なんてものはありませんぜ」と小声でツイートしてたことも改めて思い出される。
"現実" じゃないことを頭の中で作り出せるということ、さらにそれを目に見える形にしてくれるということ。
物語の効能。演劇の凄いとこ。
科学者たちの「仮説」ってやつなんて、そうだよな、もろに「物語」だよな。
科学者がある理論を展開しようとする時に「すっごい低温な状態で」とか「1光年離れた場所の電子が」とか仮定してみたり、身近な例で言うと数学の図形の問題で「ここに補助線を引いてみると」とかもそうだけど、なんでその状況を思いつくねん!て思うじゃん?
"現実" ではないことを思い描く力は、きっと真理探求の役に立つ。
「物語」って、科学と同じようにこの世界にとって必要なものなんだ!!
実はこれは私にとって結構エキサイティングな気付き。
そうか、悠理が9歳で死んだ世界の延長線上が、地球が滅亡しダンたちが存在している世界。
私たちが一緒に旅している悠理は、9歳で死ななかった。その延長線上の未来は分からない。希望。
悠理が杏に出会った時のお互いの既視感、「夢で、あなたを助けなさいって言われた。でもどうやって助けたらいいか分からない」「たぶん、もう助かってる」っていう遣り取り…悠理が水難続きな点も含めて、ここらへんは『オデュッセイア』と繋がってる部分なのかな。
杏に関して言うと、ユーリが女の子だった世界線では彼女が悠理だった。2人の間にはそういう因縁がある。
あと、エイはユーリに希望を託す話をした後「日暮」と名乗るけど、役名は「日暮A」。どうやらイキウメの過去作『見えざるモノの生き残り』に日暮という登場人物がいたらしくて、これは座敷童と言うか家守で、主人公の青年と因縁のある設定だったみたい。その日暮の、この世界での姿が日暮Aということなのかな。
あ、"因縁"っていうワード、ちょっと気になってきちゃう…
イキウメを観た後はいつも、頭グルグル、意識フワフワ、キモチイイ!!
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