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玉井ママのヨガな日常

【玉井ママシリーズ】

「ん〜、もうちょっともうちょっと」
「大丈夫だから押し込んで」 

胡座をかいた姿勢から両足を片方ずつ持ち上げ、頭のうしろにかかとをもっていき交差させるヨガのポーズ。 あれ。わかるでしょ。元々身体の柔らかかった玉井ママなんだけど、その頃はまだヨガを始めて間もない頃で、このポーズを会得するのになかなか難儀していたよ。自分の腕の力では足を持ち上げられなかったようで、ぼくと弟は折に触れ、このポーズを練習する際のサポート役を仰せつかっていた。

「あ、イタタタ・・」 苦痛に顔が歪みながらもふんばる。 右足のかかとは後頭部にはまった。 「大丈夫かよ、左はやめとく?」 「何言ってんの今がチャンスよ。早く、左もハメて」 何がチャンスなのかわからないが、力ずくでもう片方の足を持ち上げると、まるでカーステレオにカセットテープを差し込んだかのように、左足もカチっと後頭部に納まった。何処から見ても、足がこんがらがったカニみたいだ。すると勢い余って、カニの玉井ママは達磨のごとくゴロンと後ろにひっくり返った。ふらふら揺れる様は、まるで座りの悪い「おきあがりこぼし」のようだ。

起こそうか?「大丈夫よ」そのまま壁に寄っかからしといてとカニは言う。 ぼくたちは笑いをこらえながらもカニがふらふらしないように壁ぎわにずらしそのまま放置した。「ママってばかだ」 呆れ顔でそう言う弟。キミは正しい。

そんな玉井ママだが、ヨガを四十年近く続けている。 齢八十過ぎてもお弟子さんと称する近所のおばちゃんたちが家に修行にやってくる。 

「はい、最後はいつものようにシャバーサナでリラックスです」

ある日のこと、久しぶりに実家を尋ねるとちょうどヨガのレッスンが終わるところだった。このシャバーサナは「屍のポーズ」とも呼ばれ、最もリラックスした状態を誘引する基本ポーズだ。仰向けになって両手両足を外側に心地よい程度広げ、前身の力を抜く。クールダウンの意味合いもあるが、レッスンの最後に行い、本来は深いくつろぎ状態によって自己を知りひいては「宇宙の法則を学ぶ」という、とっても深イイ技ってことらしい。

ぼくは、教室が終わってお弟子さんたちが帰るまでの時間を、となりの犬をからかって待つことにした。が、なかなかお弟子さんたちが外に出てくる気配がない。 おばちゃんたちの井戸端会議でも始まってるのかと家に入ると、やはりお弟子さんたちが雑談しているところだった。 なんだよ、そうならそうと言ってくれ。

「あっ、高橋さん。お久しぶりです」 ぼくは顔見知りのおばちゃんを見つけて挨拶をした。 「あら、順ちゃん来てたの」 高橋さんはそう言うと、残りのみんなにこう促した。「みんなぁ、息子さんが来たからこのままお任せして帰りましょうか」

お任せ?

そそくさと帰り始めるおばちゃんたちの向こうに、一段高くなってるスペースがある。ヨガの指導中、玉井ママがお弟子さんたちと対座してポーズを手ほどきする場所だ。そこで一人のシャバーサナな屍が、いびきをかいて寝ている。どう見ても、玉井ママだ。しかもシャバーサナのその崇高なコンセプトかからかなりハズれた感じで完璧に「だらしないオバちゃんの昼寝」のポーズ。玉井ママは日頃からお弟子さんたちにこう説いていた。 「シャバーサナで自己を内観してください。リラックスして自分なりの<宇宙の法則>を探すのです。」決して寝てしまわぬように、と。

さて、話はカニに戻ります。 足の絡まったカニからおきあがりこぼしに変身し、壁際に置き去りにされた玉井ママ。そのことをすっかり意に介さずにいたぼくらは二階でダイヤモンドゲームに興じていた。

「おにいちゃん、下に誰か来てない?」階下で確かに話し声が聞こえる。階上から下を覗くと、玄関の上がりかまちに信用金庫の営業さんが ちょこんと腰掛けているのが見えた。対応するとなりの玉井ママは、まだカニのままだ。しかも普通に会話し、なにやら書類にハンコをついている。

そのポーズのままで玄関まで移動してきたのか。 

さすがだ。 

こんどはぜひ信用金庫の営業さんとふたりで「シャバーサナ」しながら積立とかの話をしてほしいものです。

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