リアルホラーな夜の遊園地

「あれ乗りたーい」

そう叫んだのはぼくら子供ではない。母親だ。 ゆっくりと回り始める円形の金網に内側を向いて立ち並ぶひとたち。その金網にに張り付いたまま回転の速度が上がり、やがて円の中心部がクレーンで空に向かい上昇して行くアトラクションだ。

小学生だったぼくら兄弟三人は母親の運転する車で、夜の遊園地にいていた。父親が出張で不在がちだった我が家。ストレス解消のためだったと思しき車好きの母親に付き合わされ、事あるごとに夕食後に都内のドライブに出かけるという習慣があった。休みの前日ならわかるが、平日の夜しかも普通の小学生なら歯を磨いて寝なさいと言われる時間だ。そしてその日は首都高に入り、向かった先は都心にある遊園地だった。

駐車場に滑り込んだ車からダッシュする母子四人。閉園時間が迫る時間になっていたので入園は無料。客はまばら。閑散とした園内にはストリートオルガンの音色が誰に向けてともなく大音量で流れ、乗り物に配されたネオンが煌々と夜空に映えて、その様がちょっと不気味な感じだなぁと思っていた。

母親は最近導入されたこの乗り物がなぜかお気に入りだった。嫌がる妹の手を握り引きずるようにして、一目散にその「金網張り付きぐるぐるアトラクション」の入場口へと向かって行った。 渋々ついていく妹はまるで人質か生け贄のようだ。

「おにーちゃんは一緒に待ってなさいね」そう母親に言われ、ぼくは年齢と身長制限で引っかかる弟のお守りで見学することになったが、ハナっから乗りたくなかったのでラッキーだと思った。

閉まりかけた売店でアメリカンドッグを買ってアトラクション脇のベンチへ戻ると、母親と妹は金網に貼り付けられ安全ベルトを装着しているところだった。他の客は少し離れたところに二人、向こう正面に女性が一人しかいなかった。操作を担当する係員が追加の客が来そうも無いのを確認して入り口のドアを施錠した。

「はい、上昇しまーす」と、面倒くさそうな声のアナウンスとともにアトラクションがグルグル回りながら上昇して行く。 円形の金網はみんなを貼り付けたまま回転の速度を上げる。クレーンに持ち上げられた回転する金網は最上部に到達し、角度も最大傾斜となった。ここぞとばかりに「きゃーっ」とカップルの二人がお約束の絶叫をあげ、スリルを楽しむ雰囲気を自ら盛り上げる。母親と妹の遠慮がちな絶叫も夜空に轟き渡る。もう一人の女性は俯いて必死に恐怖に耐えている様子。ぼくは、まるで理科の実験で使った遠心分離機みたいだなぁなんて思っていた。

「おにーちゃん、雨降ってきたよ」

弟がアメリカンドッグの衣だけを食べて、残ったウインナーを空にかざして言った。んっ、ほんとだ、ぽちっと来たな。「ママたちがこれ降りてきたらざーっと降ってくるかもな」けっこうな大粒が、ぽちっ、ぽちっと落ちて来始めた。

「おにーちゃん、この雨あったかいね」と、弟がつぶやいた次の瞬間。

大量のなま暖かい雨、いや雨のようなものが降りかかった。これは雨じゃない。ひとの吐瀉物だ。つまりゲロゲロである。げーっ。

弟のほっぺたには赤いにんじんが付いていた。慌ててベンチから弟を抱きかかえて飛び退く。 アトラクションを見上げると、金網に張り付いているひとりの女性、そう必死に恐怖に耐えている様子だった彼女がうなだれている。 そして完全に乗り物酔い的にノックアウトされ、ゲロゲロで回り続けているではないか。 そしてその具合の悪くなった女性のちょうど下手に乗っていた母親と妹は、 その方向と遠心力によってゲロゲロの被害に遭い続けていた。この場合の「きゃーっ」は意味が完全に違っていたのである。

月夜に照らされた拷問器具に貼り付けられ、吐瀉物を浴びせられる恐怖に怯える母と娘。それに全く気がつく様子もなく、無頓着に操作小屋で漫画コミック雑誌を読むスタッフの兄ちゃん。 ぼくはマシンの操作小屋に走り、 怠惰に時間をつぶしていた係員に事情を説明した。慌てて雑誌を放り捨てて操作板に向かい緊急停止ボタンを操作する従業員。 アトラクションは回転するのやめて、面倒くさそうに地面に降りてきた。 直ぐさまタンカに担ぎ乗せられたゲロゲロの彼女にはまったく血の気がない。 あれほど顔色の悪い、いや顔色の無い人をぼくは見た事がなかった。まさにリアルホラーだったのでした。

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