切りのいい終り方の研究 誰かに言いたくなる話 1

 時の流れには逆らえず、私も時間を持て余す身となり、本日よりnoteを始めてみようと思う。
 
題して「誰かに言いたくなる話」。私は生来のおしゃべりで、授業中に隣席との会話を咎められたことは数知れず、成人の後も状況が許す限り、まあまあ長尺の話を繰り出してきた。周囲に迷惑もかけたろう。

ただ、長年にわたる経験から、私なりに学んだこともある。まあちょっとしたコツのようなものだ。

まず冒頭に、おいしそうなネタを相手の鼻先にぶらさげる。顔色を窺いながら、軽い感じで、ただし味付けは少々こってりといきたい。そしてここからは余計なことは言わずに、道筋を早足で駆け抜ける。ただどこかで必ず笑いを入れる。すると相手との距離が近くなる。佳境に入る前あたりで少し脇道に逸れてみるのもいい。が、すぐに本線に戻ることを忘れてはいけない。そして必ず来る進行上必要なダレ場では、質問を加えたりして、注意を喚起してみることが必要かもしれない。当たり前のことだが、オチは必ずつける。これがあるかないかでは話の価値に雲泥の差が出てしまう。そして、できればオチはさりげないのがいい。これ見よがしなのは興ざめになってしまう。

とまあ、これは理想だが、こんな感じでやってみようと思うので、少し付き合ってもらえないでしょうか?できるだけ新味のある話を心がけます。面白ければ、誰かに話してみてください。


さて、昨今“終わりが見えない”とか“切りがない”とかいった言葉をよく耳にする。理由が何であれ、そのような状況に陥れば、人間だれしも圧迫を感じるものだ。“どこまで続くこのぬかるみ”いうやつだ。このままでは早晩行き詰る、いったいどこが終点なのか、とにかく早く切りをつけたい。まことにその通り。心の叫びである。しかし、ちょっと考えてみていただきい。だらだらといつまでも続くのは、もちろんよくないけれど、状況に目をつむり、勝手に終了を宣言するのもいただけない。ここはひとつ、切りの良い悪いについて娯楽興行の世界から学んでみよう。

私がこれまで一番ひどい終わり方だと感じたのは、間違いなく70年代に見に行ったサンタナのライヴだったと断言できる。当時サンタナというバンドはウッドストックで有名にはなったものの、まだまだ田舎くさいバンドで洗練とは程遠い存在だった、と今にしては思う。“Black Magic Woman”というヒット曲のことを渋谷陽一は”喫茶店で出てくるミートスパゲッティ“などと揶揄していたのを覚えている。まあ、そこがよかったから日本でヒットしたんだろ、と私は思ってた。さてそのコンサートだがまず2時間ほどのレギュラーのステージが終わり、アンコールが始まった。そして、あれまだやってなかったじゃん、という、みんなの待ってた曲も披露されました。観客は大喜び、もうお腹いっぱい、場内熱狂のうちに幕、のはずだったのだが、そうはならなかった。客電が点いたのにパーカッションのおっちゃんが二人出てきて、ポコポコ始めちゃった。客は喜んで拍手、おっちゃん2人もそれに応えて大熱演、それが多分20分ほど続いた。しかしいつまでたっても、カルロス・サンタナ本人はもちろん他のメンバーは誰も出てこない。おいおい、これどうなってんだという空気が漂い始め、帰りの電車やバスの都合もあるのか、一部の客は帰り始めた。幸か不幸か、私は自転車だったので最後まで見届けたのだが、その後も演奏は続いた。次第に手拍子を打ってノッテいるのは最前に集まった10人くらいのみとなり、おっちゃん2人は汗を流しているものの、ずっと打楽器のみの音が響き渡るだけ。ついに会場の人間が半分になろうかとする頃、メンバーではなくスーツを着た東洋人が姿を現し、パーカッションのおっちゃん2人の肩を叩いて終わりを告げ、物分かり良く頷いたおっちゃんたちはすぐに叩くのを止めて、にこやかに手を振りながら舞台袖に引っ込んだ。そしてその後、正面のマイクに近寄った東洋人は「本日はこれでお開きになりまーす」とまるで低予算の宴会の終わりのような挨拶をした。サンタナどころかキーボードもベースも誰も出てこないまま本当に終わった。私はその東洋人の小太りでパンパンのスーツ姿、ちょび髭、ペイズリーの太いネクタイ、妙に甲高い声が、あれから数十年たった今でも忘れられない。往年のテレビコントなら客全員が前方にずっこけるところだった。あれはいったい誰だったんだろう。典型的なだらだらした終わり方で、帰り道の自転車のペダルが重かった。

ミステリの世界には“いやミス”というジャンルがあり、いやな後味の残る作品のことを言うそうである。私も以前その手のものを読んだことがある。主人公が刑務所内で起こる様々なトラブルを、半死半生の目に会いながらなんとか乗り越え、最後晴れ晴れした気分で食堂の列に並んでいると、両眼を突かれて終わるという信じられないラストを迎えた。かなり分厚い本だったが、誰があんな終わり方でカタルシスを得られるのだろうか。エンタテインメントの基本が無視されているように思うのは、私が古臭いせいだけではないと思うのだが。

さて少し良い方の終わり方の例を挙げよう。例えば伝統的な演劇の世界には、“切り狂言”という言葉がある。歌舞伎の興行では一日に数演目を行うのが普通のやり方で、その最後には必ず切り狂言が上演される。狂言とはいうものの、実際は所作事といわれる舞踊であり、その特徴は短時間できれいで、面白おかしく、明るく派手で軽い感じのものだ。長時間、感情を揺さぶられるヘヴィなものを見続けた果てには、そういうものが相応しかろうと先人は考えたわけだ。私も大手を振って賛同する。

実は歌舞伎は私の守備範囲ではなく、実体験が乏しいのだが、同じ演劇でこの感じを実感したことがある。これも古いのだが、藤山寛美時代の松竹新喜劇で、吹田に住んでいた親戚の母娘に連れられて、今はなき道頓堀中座にて舞台を見た時のことだ。そもそも、当時シティボーイを自称していた私にとって、あまり気乗りのしない観劇ではあったのだが、今は思い出せない何かの事情があって付いていったのだと思う。案の定舞台は、寛美のアホ役によるベタな笑いと家族の情愛による涙が、交代にやってくるもので、ツーブロックで決めた私にはかなり胃にもたれた。観客の大半を占める妙齢のご婦人方の感情の起伏を眺めつつ、おごってもらえるであろう晩飯に頭が切り替わっていた頃、最後の演目が始まった。タイトルは「鼻の六兵ヱ」。動物並みの嗅覚を持つ貧乏百姓の六兵ヱがその才能で出世を遂げるという、涙一切なし、アホ演技ではなくシチュエーションが笑いを生む近代的な構成、そしてラスト近くにある”ダンマリ“という、暗闇の中で、役者が声を出さず手探りで宝物を奪い合うという斬新奇抜な場面(後にこれは昔から歌舞伎にあることを知った)、そしてラストは輝くばかりのハッピーエンドという芝居で、私はこの時、観客誰もが笑顔で夕暮れの道頓堀に出ていくのを目撃するという、幸福感あふれる体験をした。”終わりよければすべてよし“。さすがのシティボーイも手練れの寛美にかかってはイチコロの巻であった。

宝塚歌劇というものをご覧になったことがあるだろうか。私は一度だけある。兵庫県の宝塚大劇場で団体旅行の一員として観劇した。大層立派な劇場と恐ろしく早いテンポで進んでいく芝居に驚きつつ、2時間の演目は終了した。そして私とその周りにいた数人はすぐに席を立ちバスに向かって走った。バスを降りる際に繰り返し、帰りの都合があるから、終わったらすぐに席を立ち、バスに戻るようにという指示を受けていたからだ。それゆえすぐに戻ったのだが、我々以外は誰も帰ってこない。そうです、私と他数人はレヴューというものを見ずに劇場から出たのだった。例の大階段を上ったり降りたりしながら、大勢で歌い踊る、思いっきり派手で明るいシーンを見逃した。30分程して帰ってきた人達に馬鹿にされたのは言うまでもない。

ではここで音楽の世界に目を移そう。とは言え、あくまでもポップミュージック方面にしか知識のない私にとって範囲はおのずと限られる。ここは和洋ひとつづつを例に出して、ご機嫌を伺おうと思う。

アルバムという形式がある。今ならコンパクトディスク,以前ならLPレコードを媒体とし、一枚の円盤にCDなら70分強、LPの場合は50分弱を最大として、通常10曲前後を格納する音楽の販売方法である。(さすがの私も知ってはいるのだが、話の都合上、配信という形式は今は無視させていただく)この形式の場合、終わりというのは当然CDなら最後に入っている曲、LPならB面の最後の曲ということになる。(レコード盤というものは円盤の裏表両方に録音されていて、B面は裏面を指す、念為)単にヒット曲を並べたものもあるが、ふつうはアーティストの世界観を押し出したと称し、さも統一性があるかのように言われるケースも多い。確かに聞いた結果、テーマ性があると感じるものもあるが、要はカッコつけたかったんだとしか思えないものもある。ま、とにかく一枚のアルバムを制作するには時間も労力も人手も金もかかっているのは間違いない。そういう制作陣の総力を挙げたアルバムを終わらせるにはどんな曲が相応しいだろうか。

例の一つ目、ドナルド・フェイゲン「The Nightfly」。いわずと知れたAORの極みであり、また録音の素晴らしさから、本まで出ている1982年制作のエヴァーグリーンである。聞いたことのない方には一度聞いてみることをお勧めする。一般的にはオシャレ音楽の代表のように言われているが(おそらく音像からくる印象によるもの)、歌詞の内容は50年代後半の、米国の田舎に住む、知的な青年の都会への憧れや妄想がテーマになっていて、けっしてオシャレとかいうものではない。つまりノスタルジーとファンタジーだ。具体的には1957年が国際地球観測年(I.G.Y)というものに制定されていたことや核シェルター、キューバ危機、ケネディのスローガンなど全編が当時の色に染まっている。そしてそれを現在から冷静な目で眺めて、輝かしい未来など所詮まぼろしだった、という諦観に貫かれている確かなテーマ性のあるアルバムといえる。この中に収められている全8曲のうちほとんどの曲が長めなのだが(6分を超える曲も2曲ある)唯一の2分台の曲が最終の「Walk Between Raindrops」だ。マイアミのビーチでいたら突然の雨でホテルへ戻ったという、他愛のない歌なのだが、これが最高にいい。彼女と口論して、泣かれた。だけど結局キスして仲直りした。その時雷鳴を聞いた。ホテルの常連がみんな帰り始めた。そしてフロリダの渚一帯を雨のシャワーがすっきりきれいにしてくれた。彼女が傘を開いて、僕たちはホテルの裏口目指して雨の中を歩いた。曲調は明るく軽く、そしてあっという間に終わる曲。なるほどねぇ。

では日本からも一曲。クレイジーケンバンド「Brown Metallic」。東洋一のサウンドマシーンCKBの5枚目、2004年夏の発売。アメリカ、中国、ついでに東南アジアにラテンアメリカ、国際都市横浜という幻想を武器に、東京を横目に見つつ、ほぼバンドが固まった頃の一作。アルバムとしてまとまりに欠けるように見えて、実はしっかりつながっているところが見どころだろうか。横山剣の持つヴァラエティを惜しみなくつぎ込んだと思われる。実はこのアルバムは19曲入りなのだが、今回取り上げたいのは17曲目の「木彫りの龍」だ。18曲目はブリッジといわれるつなぎの23秒のもので、最後に入っているのは、横浜市のゴミ0キャンペーンの曲なのだから、実質的にはこの曲が最後の曲でいいだろう。内容は香港旅行の土産に買った木彫りの龍の置物をお茶の間に置いてから、思わぬご利益昇り龍、という極めて軽いものである。いかにも切りに相応しい明るく楽しいおめでたい曲。この曲をライブの最終曲にしていた時期もあり、まことに客を送り出すにための曲だった。やっぱりわかってる人はわかってるんだって。


少々、長くなりすぎた。最初だからって張り切りすぎなんだよ。最後は映画で締めましょう。いずれもアメリカ映画で1971年の「ホットロック」と1999年の「ペイバック」。古い映画なのでネタバレもないもんだが、どちらも素晴らしい終わり方なので、一応伏せておく。前者は巨大な宝石の奪い合いを極めてややこしくかつ大掛かりで奇想天外な方法で繰り広げる話。後者は裏街道の職人気質の男が、本来支払われるべき自分の分け前を組織の上層部へ請求する話で、どちらも痛快極まりないフィニッシュを迎える。実はこの2作には共通点が二つある。一つは原作者がどちらもドナルド・E・ウエストレイクという私の好きな作家で(片方は筆名のリチャード・スターク名義)、もう一つはエンディングの曲が楽しげな4ビートになるところだ。クインシー・ジョーンズによるオリジナルのディキシーとルー・ロウルズとディーン・マーティンの歌が鮮やかに犯罪映画の最後を飾っている。どちらの映画も見終わった後の爽快感をお約束する。やはり最後はこうじゃなくっちゃね。


さて近頃のこの自粛ムード、停滞感はいつになったら終わりを見せるのだろうか。もちろん私にもその必要はわかる。今の状況で、経済を回せなどと、声高に叫ぶ気はさらさらない。何の罪もない人たちが、簡単に死んでいくような環境を作り出すのは、絶対に許されることではない。ただ、このままでは多くの人たちに金が回ってこなくなり、早晩パンクすることは目に見えている。ワクチンが開発されれば、一日の感染者数が二桁になれば、特効薬が発売されれば、どれもいつのことかはわからない。

この状況の終わりがいつになるやら、またどういう結末になるかは、まだまったく不透明だ。しかしその終末が明るく、合理的で、気持ちのいいものになることを、今は切に願っておく。

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