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準備映画とは何か 誰かに言いたくなる話 7

よく、過程なのか結果なのかという話をする人がいる。この場合、ほとんど話は結果に帰結する。結果出してナンボよ、というやつだ。一方、慎重に事をすすめ、データを集め、戦略を何種も検討し、さらに数度の演習さえ行い、それでもなかなか勝負に出ない人もいる。言うまでもないことだが、どちらも間違っている。考え抜かれた、正しい過程を経てよい結果というものは導き出されるからだ。当たり前の話である。多くの場合、結果を言い立てる奴らには、単純で古臭い戦略しかなく、過程を重視しすぎると、大きな結果には結びつかない。

そんなことはどうでもいい。面白くもない、実際の世の中の話をする気は毛頭ない。ここではあくまでも、面白い(少なくとも私にとって)話をするつもりだ。


昔、学校へ通っていた頃、何かのイベント、遠足や運動会、または学園祭や発表会などのことを覚えている人は多いと思う。レンタル自転車で転倒し頭から血を流したとか、リレーでバトンを落としたとか、なぜか体育館のステージ幕にぶら下がりレールを破壊したなど、いろいろ思い出はあるだろう。ただなぜか、本番での出来事はそういう失敗に関することしか覚えていないのだが、その準備をしていた時のことは、今もかなり鮮明に覚えている。300円を握りしめて近所のスーパーへお菓子を買いに行ったこと、入場門につける大量のペーパーフラワーを手作りしたこと、フジカシングル8で3分20秒の映画を作ったこと、本番よりもはるかに鮮明に記憶に残っている。準備が楽しかったのだろう。いざ本番となると、ろくなことは覚えていないのは,おそらく大していいこともなかったからなのだろう。

突然だが、競馬ファンというのは、平日はスポーツ新聞を時々買いつつ、週末の重賞の情報を追い、出ている予想を鼻で笑いつつ参考にし、週末にはいよいよ本気で新聞片手に予想に入る。そして冷静に、自分だけに可能な未来を見通す方法を用いて、買い目を決定し、オッズを見てはそろそろテレビでも買い替えるかなどと考え、酔いも手伝って、スイートな夢を見ながら就寝し、翌日の午後4時前には20回中19回は意気消沈し、最終レースに一発逆転を賭けるかどうかを、切羽詰まった顔で考えている。そしてこれをずっとループしている人たちが競馬ファンなのだ。ちなみに20回中の1回の勝ったときも、テレビどころか、誰かを誘って、回転寿しに行くくらいの勝ちしか収められていない。それでもやめないのは、そうなのだ、楽しいのは要するにプロセス、準備段階があるからなのだ。
だったら楽しいのは、面白いのは、準備段階なんだから、それを題材にした娯楽作品はないだろうか。いや、あるんです。少々、前置きが長かったが、今回はそんなプロセス重視主義者のための映画、準備映画の話です。


「大脱走」という映画をご存じだろうか。第2次世界大戦のドイツの捕虜収容所から、連合国側の兵士が脱獄する話で1963年のアメリカ映画。オールタイムベスト間違いなしという名作で、私もまったく異論はない。スティーヴ・マックイーン、リチャード・アッテンボロー、チャールズ・ブロンソン、ジェームス・ガーナー、ジェームス・コバーンなど、数多くのスターが出演しているが、制作時には彼らのほとんどはテレビスターであり、ハリウッドでのキャリアはこれからという人たちだった。監督はジョン・スタージェス。「荒野の七人」等でこの手の男くさいアクション映画を得意としていた。テーマ曲の「The Great Escape March」は誰でも知っている、名曲で、フランスワールドカップの時にイングランドのファンが応援歌にしていたのを覚えている。音楽による士気の鼓舞を実践できる曲である。

かなり大人数の壮年男性が、割に自由な環境下で、閉じ込められている状況。しかし彼らは捕虜とはいえ、兵士でありどんな状況下でも、敵と戦わねばならない。つまり、脱走こそが唯一無二のタスクである。時間はたっぷりある。かくして、脱走のための準備が始まる。トンネルを掘る。兵舎から鉄条網の塀の向こう、空き地の先にある森まで、数10mのトンネルが必要だ。堀った土の廃棄方法、トンネルを補強する木材の調達、点検から逃れるためにトンネルの入り口を隠す、どれだけ堀ったかを正確に計測する、酸素が薄くなるトンネル内に空気を送り込むふいごを作る、など組織だった役割分担でことを進めていく。さらに、脱走後に必要なものとして、各種洋服を仕立てる、写真入りの証明書の作成、またそれに必要なカメラやフィルムまでを調達する人間など、軍隊という組織に集まった様々な人の力を使って準備が進められていく。もっとも、際立っていた準備活動としては、地図がないので、一人を脱走させ、周辺の地理を見聞し、わざと捕まってその情報を得るというものだった。途中、収容所の庭で作った芋を発酵させ、作った酒を飲むお祭りのシーン等を挟みつつ、とにかくこの一連の脱走に至る準備を、丁寧に描いていく。このあたりの楽しさは類を見ない。見ながらニヤニヤが止まらなくなる。
もちろん、この後実際の脱走を遂行するが、それは決して甘いものではない。しかし最後は、スタージェスお得意の、不屈の精神というものを垣間見せて、映画は終わる。あとで考えると面白かったのは、何といっても収容所でのシーンだったことに気づく。しっかりした組織、役割分担、人をその気にさせる大胆かつ得心のいく戦略、工作的人間、確実な結果、やはり見ていて楽しいのはこういうものである。


日本映画もひとつ。「七人の侍」。黒澤明のこれまた、間違いなく映画史に残る傑作。スタージェスはこの映画を西部劇にリメイクした、「荒野の七人」を撮っている。戦国時代、毎年のように野武士に収穫物を攫われる農民が、侍を雇い、抗戦しようとする話。この映画は、侍を雇う、百姓を訓練する、野武士との実戦という3部に分かれていて、前の2つが準備部分と言っていいと思う。赤子を人質にとって立てこもる男に、髷を剃り、握り飯を持って坊主のふりをして近づき、あっという間に切り捨てた侍の、名を捨てても実を取るスタイルに惚れ込み、リーダーを頼み込むのを手始めに、忠実な男、人柄はいいやつ、常に周囲を和ませる人間、若侍、剣豪、そして最後に明らかに侍ではないが、柄の大きなトリックスター三船敏郎を加えて、7人となる。そして、村に乗り込み、地形を研究し、筆で簡単な地図を描き、配置を決める。その際に離れ家は切り捨てる。武器や武具が足りないのを、ある方法で調達する。百姓に武器を持たせ訓練する。馬に乗って攻め込んでくる野武士に対処する方法を教える。種子島と呼ばれる鉄砲に備える。村をできる限り要塞化する。女子供の退避場所を作る。さらに先んじて、野武士の本拠を襲い、焼き討ちして何人かの野武士を斬る。など、できうる限りのことをして、最後の決戦に備える。大雨の中、泥だらけになりながら行われる戦いは、今見ても迫力のあるもので、映画におけるアクションというものを満喫できる。退屈なシーンなどない3時間27分は見ているだけでも、少々疲れるくらいに、観客にも緊張を強いる。見終わって、その緊張が解けた後、頭に浮かぶのは、最後の泥饅頭のお墓もそうだが、明確なキャラクターを持つ侍が、一人また一人と集まってくるところや、三船が百姓を楽しそうに、訓練しているシーンなのだ。


暗殺映画というジャンルがある。腕のある一匹狼の狙撃者が依頼を受け、社会的有力者を殺すというものだ。ここらで、最近の映画にも触れておこう。2015年のポーランド映画、「暗殺者の流儀」原題「Evil’s Anatomy」。訳すと「悪の解剖学」、うーん、どうなんだろ。老いた刑務所暮らしの長かった元スナイパーが、警察庁長官の暗殺という依頼を受ける。古いフォルクスワーゲンゴルフでワルシャワの街を駆け回り、準備を進めていく。預けてある道具を引き取りに行く、現在の自分ではこの狙撃は無理だと判断し、問題を起こして軍を除隊になった、若い元狙撃兵をスカウトする。この間に2人殺す。最新型の狙撃銃を調達する。郊外の森へ車を走らせ、スイカ割りをする。(後述)綿密なリハーサルをする。そして本番ということになるのだが、ここまでは、まずまず面白く見ることができた。しかしその後は、まあこうなるだろうな、という展開に終始し、ありがちなエンディングに至る。ただ、この映画は私に、昔見たある映画を、思い出させてくれた。


「ジャッカルの日」。フレッド・ジンネマンという2度のオスカーウィナーの手による英、仏、米合作の1973年の映画。原題も同じく「The Day of the Jackal」。自分たちの食い淵を奪った、ド・ゴール大統領の暗殺を企てる、元軍人の組織が、失敗の果てにプロの殺し屋を雇う。コード名ジャッカルの暗殺者が、周到な準備と度重なる苦難を機転で乗り切り、ついに銃弾を放つという話。出演している俳優はすべて地味で、ロケーションの多用と相まってリアリティみなぎる映画となっている。暗殺する側とそれを追う警察側、両方から描かれる。英国の墓地。役所。遠くに例の観覧車の見えるウィーンの隠れ家。空港で自分と年恰好の似た男のパスポートを拝借。自宅で、ド・ゴールの研究をして、犯行日時と場所を決める。そしてパリへ行き、綿密に現場確認を行う。偽造証明書を作るのは写真屋。強請りを企てた途端に殺される。金属製の松葉杖に偽装できる精巧な狙撃銃と専用の銃弾を、専門業者にオーダー。できた銃を持って、試し打ちに行く途中、市場でスイカを買う。そしてレンタカーの白いアルファロメオ ジュリエッタスパイダーで森へ行き、スイカに人の顔を描き、かなり離れた場所から試射を試み、照準を調整し、最後の一発はオーダーした特殊な銃弾を撃ち、スイカを破裂させる。ガレージを借りて、車の下に潜り込み、パイプを切断して銃をその中に隠し、いよいよ、イタリアからフランスへ国境越えをする。そしてニースにある有名なホテルネグレスコで電話をかける。パリに向かってアルファを走らせるが、途中一泊したホテルで妙齢の婦人と同衾する。森の中でアルファの色を噴霧器を使い、青に塗り替える。交通事故を起こすが、車を盗み昨夜の婦人の家へ押しかけ、泊まる。正体を知った女を殺した翌朝、念入りに用意していた別人になり替り、婦人のルノー カラベルで近くの鉄道駅へ行き、パリ行の列車に乗る。パリではサウナへ直行し、ゲイの男を見つけて、その男の家に泊まる。男は始末し、そしていよいよ8月25日のパリ解放記念式典の日となる。ジャッカルは巧みな方法で捜査網をくぐり抜け、下見した狙撃現場に立ち、大統領の頭をめがけて、発射する。(追われる立場だけを描写しましたが、実際はほぼ同じ分量で追う側、つまり政府、警察も描かれます。)


ド・ゴールが暗殺で死ななかったことはみんなが知っている。つまり最初から結末はわかっている。実在の人物を登場人物にすることの弊害だが、タランティーノでもない限り、史実の改変は許されない。しかし、2時間以上かけて、丹念に追うもの、追われるものを描いてきたこの映画は、結末がわかっていようが、最後まで面白く見られるようになっている。ちゃんと納得のいく形で、これだけの手練れのスナイパーが失敗する様を見せてくれる。さらに後日談も面白いのが付いている。


いかがでしょうか?これが私の言う準備映画というものです。ちょっとは見たいなと思っていただければ幸いです。「暗殺者の流儀」という中途半端な映画を、たまたま見て触発され、大した準備もなく、思いつくままに書いてみました。やはり、まとまりのない感じで終わりましたな。やっぱり準備は大事。

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