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どうして冷える? 誰かに言いたくなる話 4

今から、数十年前のことだが、私は仕事で、月に何回か車で遠出していた。一人で行くこともあったが、大体は同僚と一緒だった。基本的には日帰りだが、たまに一泊というのもあった。どちらにしろ、帰りは数時間のドライヴということになることが多かった。こんな時にありがたかったのが、同乗者の存在だ。もちろん相手が決まっていたわけではないので、時々は会話の弾まない気まずい密室での数時間ということもあったが、ある時はトークがスイングし、会社に着くのが惜しくなるようなこともあった。
そんなお気に入りの出張相手の、一番手がF君だった。四歳下で、同県の出身、音楽好きという、まあ私と似たようなバックボーンを持つ人間だったのが良かったのだろう。あと、どちらも酒が飲めないというのもよかった。泊りのときも楽な気持ちでいられた。はっきり言って、仕事はもう一つだったが、私は、いつも出張にはF君を連れて行きたがった。今回はそんなある日の帰り道のこと。


F 「さ、会社まで2時間ちょいですけど、もうまっすぐでいいんでしょ。帰ったら7時過ぎますけど」
私 「いやもうまっすぐでいいよ。途中、運転代わろうか」
F 「2時間くらいなんで、もう俺が運転しますよ。先輩は(本当は名字にさん付けで呼んでいる)寝てもらってもいいですよ」
私 「いや、寝ない。夜、寝られなくなるから。変な時間には寝ないことにしてる」
F 「あ、そうなんすね」
しばらく間が開く。
F 「実はですね先輩、俺、前からちょっと思ってたんすけど、この車、さっき乗った時は暑かったですけど、今はもうグイグイ冷えてきて、涼しくなったじゃないですか。これ何でなんすかね。いや、エアコンのおかげってのはわかってんすけどね。どうやって、冷やしてるのかという」
今も、はっきり覚えているが、私はこのとき、とてもうれしかった。「だから、好きなんだよ、藤原君」と声に出しそうになったくらいだ。そう、F君は藤原君の略です。
私 「そうか、それを俺に聞くか」
F 「先輩は、ほら、物知り自慢じゃないですか。暇だしちょうどいいかなって」
こういう、天然失礼なところまで含めて、藤原のことが好きだった。
F 「熱くするのはわかるんすよ。要するに燃やせばいいわけですよね。木でも紙でも石油でも。そしたら熱くはなりますよね。それは、わかるんすよ。あと、あれ、ほらニクロム線。あれもあります。燃やしてはないけど」
私 「電気抵抗の大きな物質に電気を流すと発熱するな」
F 「温めるほうは、まあわかるんすよ。だけど冷やすって。まず自然界にないですもんね。普段普通にエアコンや冷蔵庫使ってますけど、じゃあ何でって言われたら答えられないですもん」
私 「自然界にない、かな?」
F 「え、あります?富士山の氷穴とかですか。あれは冬に凍ったやつが残ってるだけでしょ」
私 「氷穴はそうだろうな。いや、他に涼しいと感じることないか?」
F 「え、そんなことあるかな」
私 「ヒント、注射」
F 「注射?あ、アンモニアの付いた脱脂綿で拭いたら、ちょっと冷たくなるやつですか」
私 「アルコールな。アルコール消毒」
F 「あ、アルコールでしたか。アンモニアは臭いすもんね。ハ、ハ」
私 「あれ、気化熱な。アルコールは沸点が低いから、人間の体温で気化してしまう。で、その時に周囲から熱を奪う。でひんやりする。知ってるだろ」
F 「知ってますよ。打ち水効果でしょ。水が蒸発するときに、地面から熱を奪っていくから、結果として、地面の温度が下がるのと同じですよね」
私 「これ自然界で起こる、温度を下げる現象な。よく覚えとけよ」
F 「試験に出るんすね」
私 「知らん。ちょっと黙っといてくれる」
F 「学校じゃ習わなかったな。少なくとも経済学部ではやってなかったです。多分ですけど。半分くらいしか行ってないんで」
私 「あ、そ。うちの文学部でもやってなかったと思うわ。俺もそんな行ってないけど」
F 「だけど、こんなのこそ、学校で教えてくれたら、良かったのにと思いますね。エアコンや冷蔵庫が、どうして冷えるか。生活していく上で、基本的なことですもんね」
私 「ま、そんなの自分でちょっと調べたら、すぐわかることだけどな」
F 「まあ、調べたりはしませんね。知らなくても、生きてはいけますから。先輩は調べたんですか?」
私 「いや、昔バイト先の人から教えてもらった。ちょっとここから話が長くなるから、しばらく静かにしといてくれる?」
F 「OKでーす」
私 「大学2年の夏休み。俺はもう目いっぱいバイトして稼ぐつもりだった。どうしても欲しいものがあったんで」
藤原を見るとやはり、しゃべるのを無理やり我慢していた。俺はやつの質問欲を刺激しながら、話を進めることに決めた。
私 「だけど、ある理由があって、俺は夜の仕事は絶対いやなんで、昼間の仕事で、高額で、連日ある仕事を探したんだけど、そんな仕事なんてそうはない。で、やっと見つけたのがエアコンの取り付け補助っていう仕事だったんだよね。とにかくその夏は、とんでもない猛暑で、エアコンが飛ぶように売れてた。電気屋の在庫が、なくなりかけたっていう話だった。しかも、エアコンていうのは、お客さんが持って帰って、すぐに使えるもんじゃないからさ。工事して取り付けなきゃいけない。しかも、工事は専門の業者が、1台付けるのに普通2時間近くかかる。だから、取り付けられる数に限界があるから、買ってもすぐには取り付けてもらえない。その頃で5日から7日くらい後の取り付けだった。もう買ってるのに、まだそれだけの間、寝苦しい夜を耐えなきゃならないんだから、お客さんも迷惑なことでさ。取り付けに言ったら必ずそういう恨みがましいことを言われる。ただ、そういう時は、あることを言えば、大体の人は黙ったね」
ここで少し言葉を切って、飲み物を口にしてみた。
F 「誘ってますよね。いや、もう何も聞かないです」
私 「ばれたか。5月頃は空いてたんですけどね、とか言うと黙ったね」
F 「何で夜の仕事は嫌だったんですか?あとどうしても欲しいものって何ですか?」
私 「酔っ払いが大嫌いだから。ヤマハXS1だね」
F 「650ですか。最初のやつですよね。ケッチン食らうので有名な」
藤原も昔、バイク(GT380)に乗っていたのを知っていたので、エサにすぐに食いついてきた。
私 「そう。ペケエスって言ってた。ケッチンはセルが付いて無いんだからある程度仕方ない。だけど、気合込めてキックしたら、ほぼ一発でかかったよ」
F 「そういうもんなんすね。オレンジと緑ありましたよね、どっちでした?」
私 「キャンディグリーン。買う前から決めてた。そっちの中古を探した」
F 「いや、渋いですね。もうゼッツーとかも、あったわけですもんね」
ここからしばらくバイク談義が続いたわけだが、完全に本筋から離れていくので今回は割愛する。


私 「で、このバイトっていうのは、井出さんていう40代のおっさんと一緒にエアコンの取り付けをする仕事なんだけど、要は取り付け以外の仕事、本体を車から家の中へ運んだり、取り外した古いのを片づけたり、これエレベーターのない団地の4階とかもあるからね、相当大変だよ。あと、化粧テープを巻いたりとか、次に使う道具を用意したりとか、これ全部、めちゃくちゃ暑い中でやってるわけだからね。大汗かきながら。でそれを一日4台から5台。結局40日くらいやったんだけど、終わった時には、8キロ体重減ってたから。まあ、しんどいバイトではあった」
F 「そりゃ、大変すね。だけどペケエスですもんね。頑張れますよ」
私 「今、励まされてもしょうがないけどな。で、1台終わったらすぐに次の現場へ移動だし、かなり忙しいわけよ。昼飯も井出さんは、電気屋の倉庫の片隅で弁当、俺は近所でうどんか牛丼。だからあまり接点がないし、そもそも井出さんは職人さんだから、基本的に無口。俺みたいなおしゃべりじゃない。結構最初の頃から、使い方の説明とかは俺がやってたもんね。なんで、あまり会話もなく毎日過ごしてたんだけど、だんだん俺も仕事に慣れてきて、少し余裕が出てきたころ、ある日ちょっと話しかけてみたんだよ。取り付け工事の終わり近くで、必ず一度30分位あまり動きのない時間が、何故かあるんだよ。その時間はもう、片づけをしてたんだけど、それも早々に終わって、室外機のあるベランダに出てみると、井出さんはタバコを吸いながら近くの高速道路のほうを見てた。俺が出て行って、何かすることあります、って聞いたら、いや別にないわ、あと15分位かかるから、ちょっと待ってな、って言ったのよ。で、俺はずっと疑問に思ってた、これ今何やってるんですかと聞いてみた。すると教えてくれた。これは“真空引き”だよつって。真空ポンプっていうのを、本体に繋いで、ゲージの針を見ながらしばらく回すのを、真空引きと言うんだって、俺はこの時初めて知ったよ。つないだ配管パイプの中の空気を抜いてるらしい。で、ここからよ。何で、エアコンは冷えるかを教えてくれた。井出さんは確かに無口ではあるんだけど、自分の仕事についての話は、実は大好きだったんだよね。だって、その日そんな感じの質問ばかりしてたら、帰りに行こうか、つって焼き鳥おごってくれたからね」
F 「いい人ですね」
私 「まあな。俺も真面目にやってたしな」


私 「やっとここから、どうして冷えるかの話が始まるよ。井出さんに教えてもらった話。まず、エアコンのスイッチ入れるとどうなる?すぐには冷えないだろ。冷気が出てくるまでしばらく間があるよな。その間、室外機どうなってるか、わかる?そうモーターが回ってるよね。インバーターのモーターだから飛行機が飛び立つ前みたいに、回転数を上げながらすごい勢いで回ってるよな。この時ガスを圧縮してます。ま、フロンガスっていうやつなんだけどさ。で、この圧縮装置のことを、コンプレッサーと言います。圧縮されたガスは高温、高圧になる。そしてそこに、室外機のあの大きなファンでもって風を吹き付けて、できるだけ冷まして、ついにガスが凝縮して、液体になる。で、まあまあの温度になったその液体を、膨張弁というものを使って、圧力を下げる。そして、室内機のほうへ向けて、銅でできたパイプの中へ放出する。すると液体は、一気に気化しながら、室内機の中を走り抜けていく。あのエバポレーターっていう、自動車のラジエターみたいなやつね。で、そこに室内機のファンで風を当てると、気化熱で空気の熱を奪って、冷たい空気を吐き出して、部屋の温度が下がるという仕組みになってる。もちろん気化したフロンガスは温度が上がって、この後、帰りのパイプを使って室外機に帰り、再びこの工程を繰り返すということになる。だからパイプは行きと帰りの2本ある。断熱材に巻かれてるし、さらに化粧カバーの中に入ってたりしてるから、みんな知らないけどね。しかも、帰りの方が中身の体積が増えてるから、パイプはちょっと太くしてある。ほら、冷房の時は室外機から、熱い熱気が出てるだろ、あれは室内にあった熱なわけ。ついでに言うと、暖房するときはこれを完全に逆にしてる。だから室内が暖まる替りに、室外には冷気を出してる。湿度が高い日とかは、室外機に霜がついてたりするからね。まあ、こんなところなんだけど、どうわかった?」
F 「これ考えた人、相当頭いいですね」
私 「まあ、たいていの人はお前よりはいいからな」
F 「またまた。で、結局ペケエスを買ったわけですね。で、どうでした、良かったですか?」
私 「いやいや、話はそう簡単じゃないんだよ。その後いろいろあって、、」

この男は明らかに、エアコンよりもバイクが好きなんだな、ということがわかった、ある帰り道のことであった。

さて、これで冷やす仕組みがおわかりいただけただろうか。この一連のシステムを”冷凍サイクル”と呼ぶらしいのだが、ビル用の巨大なエアコンでも、自動車用でも、冷蔵庫でも基本的に同じシステムを使っている。もし中身をのぞく機会があれば、ぜひ見てほしい。そこには金属製の、自らの機能を露骨に体現した、武骨な機械が詰まっている。地味で目立つことなく、忍耐強く、黙々と仕事をこなすヤツラの姿を、目に焼き付けてほしい。

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