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日本望郷系 ペンタトニックワルツ  誰かに言いたくなる話 10

さて、本日は歌謡曲の話でご機嫌を伺う。
しかし歌謡曲ということばも聞かなくなった。一度“ださい”というラベルを貼られると、なかなか復活するのは難しいということか。意味としては今のJ-POPと同じであり、その前にニューミュージックということばを挟んでいる。今さら言うまでもないが、主に日本人が作り、日本人が歌い、日本の会社が制作、販売する楽曲のことだ。
BSトゥエルビという放送局がある。無料のBS放送で、テレビのリモコンでBS、12と押すとアンテナさえ繋がっていればすぐに映る。そういう放送局なので決して面白い番組が目白押しというわけではない。放送時間の大半を通販番組が占め、残りは韓国中国の歴史劇、たまに古い邦画という構成である。はっきり言ってかなり最果てにある放送局だと言わざるを得ない。そんな局の数少ない自主製作番組のひとつに「ザ・カセットテープミュージック」がある。主に20世紀後半の歌謡曲をスージー鈴木とマキタスポーツが元アイドリング!!!のアシスタント一人と一緒に、日曜日の午後9時30分から30分間放送している。
ちなみに最近の放送内容としては、「作曲家都倉俊一の楽しみ方」「BO∅WY研究第二弾」などがある。タイトルだけでもすぐにわかるようにかなり狭く深いところを突く、マスマーケットを目指した結果どこにもいない人にしか届かないものをせっせと作っている近頃の地上波テレビにはない、見る価値のあるものである場合が多い。
今回は私が特に共感し、感心した2021年12月26日ON AIRの「第5回輝くカセットテープミュージック大賞」でスージー鈴木氏から発表のあった「日本望郷系ペンタトニックワルツ大賞」についてしっかり紹介し、その後、不肖私の思いつきも加味してみたいと思う。(放送の場合は当然時間的制約があり、鈴木氏がその持てるすべてを出し切られたものではないことは当然承知している。)

さて、この「大賞」の中で流れたのは、
「千曲川」歌:五木ひろし 作詞:山口洋子 作曲:猪俣公章 1975
「ふるさと」歌:五木ひろし 作詞:山口洋子 作曲:平尾昌晃 1973
「ゴンドラの唄」歌:松井須磨子 作詞:吉井勇 作曲:中山晋平 1915 
「別れのワルツ」器楽曲 スコットランド民謡 編曲:小関裕而 1940 の4曲。
放送内容の骨子はこうだ。まずは、ペンタトニック曲(ピアノの黒鍵のみで演奏可能な曲、ファとシがない、いわゆるヨナ抜き音階)を特集した少し前の放送でスージー鈴木によって紹介された「千曲川」をマキタスポーツがあまりの良さに直後に購入したというエピソードから始まった。そしてペンタトニックでかつズンタッタという三拍子のワルツの曲はなぜか我々を引き付けてやまない、深い何かがあるのではないかという疑問が提示され、「千曲川」の2年前に同じ歌手が歌ってリリースされた同工の「ふるさと」という曲が流され、さらにそこでも帰りたい気持ち、望郷の念を抱かせることが確認される。そしてその後、実はこの曲こそがそのルーツではないかとして「ゴンドラの唄」(歌唱 森繁久弥)に至る。そしてここで、私(鈴木)は似てるとかパクリとかそんな了見の狭いことを言いたいわけではない、と注意喚起をしたのち、最後のすべての源であろうものとして、卒業式、お別れの会、駅頭、港、小売りや飲食店の閉店時など、様々な機会に日本人にあまねく浸透していた「蛍の光」をワルツに編曲した「別れのワルツ」を根源としていたのではないかと結ぶ。放送時間の一部、約10分間に曲のエッセンス部分を流しながらだから、詳しい説明がなされたわけではないが、大筋として、ペンタトニック音階のワルツには、我々日本人にノスタルジックな思いを強く抱かせる何かがある、ということを納得させるに十分なお話だったと思う。最近のテレビとしては、画期的なプログラムで、テレビでもこんなことができるんだという、いい見本だった。これこそ音楽評論家を名乗ることのできる人物の仕事である。

それではいよいよ蛇足部分に入ることにしよう。どうかお付き合いください。
まず、いずれの曲も簡単に聞くことができる。そう、あなたが今思いついた方法で可能だ。そして聞いた後、すぐに思うのはやはり似てるなあということ、そして明確な理由はわからないが、何かが確実にコミアゲテ来るのを感じるのではないだろうか。もちろん年齢ということはある。これらの曲が発表された当時、正直に言ってほとんど関心はなかった。しかしこの感覚は、日本人としてある程度生きてきた皆さんにとっては、完全に否定できるものではないと思う。日本に住んでいて、自分は日本人だということを改めて自覚することはめったにないけれど、これは多分外国人にはなかなか理解の難しいことだと思わざるを得ない。
まずは「千曲川」から行こう。河川たる千曲川は日本最長の川、信濃川の長野県内部分の名称で、古くは万葉集、島崎藤村などにも歌われている。聞いてすぐにわかる通り、本曲は演歌ではなく、唱歌(教科書に載るような歌)だ。そういう歌を制作陣が目指したであろうこと、そして成功したことは間違いない。事実この曲で五木は1975年の紅白歌合戦の白組トリを任された。そして97年には同曲で大トリも務めている。私もこの曲を好きです。Green Dayの「Basket Case」も好きだが、この五木は否定できない。そもそも、これしか好きなものはないなんていう人間にはなりたくない。まあ、聞いてみてください。キーのメロディは「忘れーなぐーさに」のところ。
次は「ふるさと」ですが、まず歌を特定します。文部省唱歌うーさーぎ追ーいしの「故郷」でも嵐の「ふるさと」でもありません。1973年のリリースです。歌手は五木ひろし、平尾昌晃作曲、山口洋子作詞で、祭りは近いと汽笛は呼ぶが、洗いざらしのジーパン一つ、という歌い出しです。作詞家は「千曲川」で明らかに柳の下を狙ったとおぼしい。キーは「あーあー、誰にも」の部分。
「ゴンドラの唄」。中山晋平作曲、吉井勇作詞、1915年の制作。大正4年ですよ。めちゃくちゃ昔ですが、「命短し 恋せよ乙女」という歌い出しは知ってる人も多いのではないでしょうか。もともとは劇中歌として制作されたもので、ヴェニスのゴンドラの船頭、船尾付近で竿をさしている人物の歌らしい。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

長々と歌詞を見ていただきましたが、意図するところはCOMPLEXの「恋をとめないで」とほぼ同じで、男が女を半ば強引に誘うという内容となっています。男というものは昔から、、、。作詞の吉井勇は私が唯一歌集というものを読んだことのある、大好きな歌人で、この歌詞も素晴らしいです。吉井勇は伯爵の次男として高輪に生まれ、鎌倉の別荘に遊び、歌作に才能を見せ生涯を歌人として生きた男である。歌の特徴は、持って回らずに直線的で、柄が大きく、情に富み、わかりやすい。とにかくスッキリした気分になれる。
 
君がため 瀟湘湖南の 少女らは われと遊ばずなりにけるかな
夏は来ぬ 相模の海の 南風に わが瞳燃ゆ わがこころ燃ゆ
君にちかふ 阿蘇の煙の 絶ゆるとも 万葉集の歌 ほろぶとも

いやあ、結構ですね。何とも言えないいい気持ちになれる。そしてニヤッとする。一首目の瀟湘湖南は二文字目と四文字目でわかりますよね、湘南です。鎌倉は材木座に一時いたんですから、石原裕次郎、加山雄三、桑田佳祐ら湘南ボーイと言われる人たちの元祖です。湘南という黒い砂のビーチが初めて格好いい場所として日本中に認識された瞬間です。長くなりましたが、メロディのキーポイントは「あーつき血潮の」です。カバーはたくさんありますが私のお勧めは、佐良直美か藤圭子ですね。

 では最後の「別れのワルツ」に行きましょう。オンエア時には曲名を告げずにイントロが流された際に、アシスタントが“はあっ”と声を上げたくらいのインパクトがありました。「蛍の光」(Auld Lang Syne)ではなく「別れのワルツ」、元は四拍子であった曲を三拍子にアレンジしたのは古関祐而、日本のスーザと呼ばれ、NHKの連続テレビ小説「エール」のモデルになったレジェンダリィな作曲家です。「哀愁」(原題 Waterloo Bridge)ロバート・テイラー、ヴィヴィアン・リーの二つの戦争を挟んだ悲恋ものの映画ですが、これが日本で当たった際に経緯は不明だが、なぜかユージン・コスマンという変名でリリースしたのがこの曲の誕生です。以後日本では三拍子版の方がポピュラーかもしれません。私自身も三拍子の方がしっくり来る。人生の節目節目で耳にするこの曲は、ほとんどの日本人にしっかりと刷り込まれている。以前、欧米ではこの曲を別れのときに奏でることはない、と聞いたことがありましたが、イギリスのEU離脱を巡り、その法案を可決した欧州議会で議員らが総立ちで合唱したことから、本当はどうなのかと疑問を持っています。メロディのキーは「ふーみ読む」です。

 実はペンタトニックワルツの歌謡曲でよく知られているものには、もう一曲あります。スージー鈴木さんはおそらく、歌詞の中身が望郷ではないという理由で泣く泣く割愛されたものとおもいます。それは「乙女のワルツ」という歌で、作詞阿久悠、作曲三木たかし、歌伊藤咲子、なぜか「千曲川」と同年の1975年のリリースです。歌詞の内容は、内気な少女が好きな人に告白できず、他の女の人と故郷を後にするのを、プラットフォームの端から見送って、「つーらいだーけーの初恋」と嘆くというもので、私は当時、今どきこんなやついないだろ、と思ったのを今でも憶えています。作詞家は明らかに古臭さを狙っていて、わかりやすいまでに大げさです。そして曲調も伊藤咲子らしく歌い上げるもので、歌詞の中では内気日本代表みたいなやつが、こんな感じで歌うのはどうも納得できかねるという、ほんの少しの違和感を持ちつつも、メロディを聞けばやはり胸の底からこみあげてくる何かがあるという歌となっています。キーは「しーろーく咲いてる」のところです。

 さて、私がこの駄文を書こうと思ったきっかけを最後に述べて終わりにしたい。先ほども触れたとおり、「千曲川」と「乙女のワルツ」は同年1975年のリリースです。前者が5月25日、後者が7月5日、と一か月少しの間しかありません。ここに何かを感じるのです。普通、曲の制作過程というのはどれくらいかかるものでしょうか。もちろん様々でしょう。早ければ3か月ごとの新曲リリース、大御所なら5年ぶりとかも目にします。75年当時の事務所、レコード会社の主力となっていた歌手の場合はどうだろうか。普通に考えて、半年から一年程度ではないでしょうか。
 1974年、東宝映画は黒澤明のリバイバル上映なるものを行った。同年に公開された「デルス・ウザーラ」という黒澤明、久しぶりの監督作に合わせたものと思われる。ちなみに「デルス・ウザーラ」はソ連で制作された映画で、制作資金、題材、ロケ地すべてをソビエト連邦が担った。黒澤明は60年代後半の、借金、ハリウッド映画の監督解任、自宅を担保に入れた金で作った映画の不振、などでそれまでの栄光の時代を完全に裏切っていた。そして71年には自殺未遂まで起こしている。つまり黒澤明という名前は、完全に負の遺産と化していた。しかし、それ以前の映画自体は素晴らしいものが多く、東宝もリバイバルすれば客を呼べるとわかっていても、手を出しずらかったことが想像できる。そこへ「デルス・ウザーラ」である。当時私は大学生だったが、本編を見たことはなく、名のみ高い黒澤名作群を初めて鑑賞できる機会に、大いに喜び、見た後はそのダイナミズムに圧倒された。京都宝塚劇場の前で打ちのめされたような気分で、ぼーっとした状態で自分の自転車を探したのをおぼえている。何本か見たが、「生きる」は特に印象深かったもののひとつだ。主人公が途中で死んでしまい、残り半分は通夜の席という大胆な構成、渡辺篤、伊藤雄之助、金子信雄、宮口精二、加東大介などの名優が彩る、胃癌を患っていて残り少ない人生を公園作りにかける、主人公の市役所課長志村喬の物語。
 ラストシーン、やっとできた公園で雪降りしきる中、死を目前にした志村がブランコに乗って歌うのが、「ゴンドラの唄」なのである。「命短し 恋せよ乙女」、人生の後悔があふれ出す。名シーンです。
 もうおわかりでしょう。前年にこの映画を見た猪俣公章も三木たかしも、大いに感動した。そして、このタイプの歌を作りたいという強い思いがあったに違いない。彼らはすぐに「千曲川」と「乙女のワルツ」を作った。結果、時代に流されない歌となった。日本人の中にある何かが感応する優れたメロディだ。ここにあげた歌をぜひ聞いてみていただきたい。そして本当に何かがこみあげてくるのか、ぜひ感じてみてほしい。

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