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City Popについて 誰かに言いたくなる話 5

“City Pop”という言葉が、どうやら市民権を得たらしい。それも、グローバルに。
本当だろうか。ウェブによくある、ちょっとしたことを大げさに言い立てる、例のやつではないのか?「神」、「クオリティ高杉」などの形容詞で語られているやつではないのか。確かに、にわかには信じがたい。所詮は、狭いジャンルのことであり、また今から30年、40年前の話でもある。そんなものに、今現在、外国人の支持があると言われても、どうしても疑ってしまう。

ただ、いつでもどこでも、現場感覚重視でおなじみの私が、自ら得た貴重な体験をもとに、確かにそういう傾向はあるのかもなあ、という程度の実感を得ましたので、これからご披露に及ぼうかと思います。いつものように気軽にお付き合いくだされば、幸いです。


さて、”City Pop"とは何か?文字通りに日本語化すれば、“都市部の大衆音楽“となるのだろうが、ここでいう意味はもう少し限定される。この言葉は、YouTubeで主に使われている言葉であり、70、80年代の日本の若者向け音楽のうち、比較的都会的洗練を感じさせる歌曲のプレイリストに多く見られる。そして、いつからか、そのような音楽全体を、”City Pop"と呼ぶに至ったようだ。いささか、まどろっこしい説明になったと思うので、もっとわかりやすく言うと、山下達郎という頂を持つ山の音楽と言っていいかと思う。


この業界の常として、何かが当たると、一気に流れが傾き、そのパターン一色になるということが、しばしば起こる。特に昔は、文化が多様化しておらず、情報の出どころも限られていて、今よりはるかにブームは起きやすい環境にあった。ただ、実感として“City Pop”の波は、それほど大きなものではなかったと思う。当時はニューミュージックという、曖昧な大きめのジャンルがあり、その一部を成していたくらいの感じだった。この手の音楽は、それなりの音楽的素養とセンスがなければ、作れないし、演奏も簡単ではない。繊細なアンサンブルがないと感じを出せないのも、事実である。しかし、何よりも大きかったのは、このムーブメントの担い手たちのほとんどが、東京出身者たちだったことだろう。基本的に(もちろん例外はいる)彼らは、シャイで、個人主義で、慎み深い。ガツガツと、商業的成功にまい進するというのは、恥ずかしいことだという自負があったと思われる。


今から何十年も前の、都会的で洗練された音楽、今聞いてもかっこいい、後の渋谷系の源流、、、言葉をいくら尽くしても、ことは音楽、歌のことだからここは、ひとつ、具体例を挙げるに限る。近頃、聞くための手段はいくらでもあるのだから(ここが昔とは決定的に違う)ぜひ聞いてみてほしい。

まず、Cools R.C。“センチメンタル・ニューヨーク”。1979年のリリース。いきなり、ヤンキーのオールドロックンロールバンドかよ、と言わずに騙されたと思って、聞いてみてください。ドゥワップコーラス、二拍三連を刻むリズム、いつもは少々気障に思える村山一海のヴォーカルもちょうどいい、そして抑制されたホーンアレンジ、見事な一曲です。まるで山下達郎のようなと、思う方も多いことでしょう。そう、この曲、実は山下達郎プロデュースです。コーラスには山下本人が参加していますし、バックミュージシャンも録音も達郎パッケージです。作曲はメンバーのジェームス藤木ですが、とにかく、いつものCoolsとは垢の抜け方が違います。

もう一曲。大橋純子&美乃家セントラルステイション“シンプル・ラブ”。こちらはいつ聞いても心がウキウキとなること請け合いの佳曲で、リアルタイムでもCoolsに比べればヒットしたと思う。77年のリリースで、バンドには、この曲の作曲者の佐藤健や、のちの一風堂、土屋昌巳がいた。間奏のフィンガーピッキングのギターソロは土屋である。ヴォーカリストの大橋の、その小柄な体つきからは、想像もつかないスケールで、どこまでも伸びやかに、しかも軽快に、グルーヴ感のある歌唱が満喫でます。


この2曲は今の世の中では、ほぼ忘れられているに等しく、私など本当にもったいないように思います。もっと他にも挙げたい歌はありますが、とりあえず今はこの2曲にしておきます。とにかく、一度聞いてみてほしい。今のヒット曲のような、エグ味や安目の感動には欠けますが(全てがそうでないことは知っている)、気分が良くなることは保証します。


さて、冒頭の“City Pop”は、市民権を得たかの話に、戻りたいと思う。まあ、市民権を得たというか、正確には、”City Pop”というくくりで、おぼろげにもイメージできる音楽ジャンルがあり、それがあまねく世界中に広がったということが、事実かどうかの検証をするということだ。先にも書いた通り、当時のカルチャーシーンは、イデオロギーと情念の支配する世界で、重く、意味ありげで、暗い顔をした伸びっぱなしの長髪の青年が、ベルボトムのジーパンに下駄をはいているような時代だった。つまり、“City Pop”の全盛時でも、たいした需要はなかったと思しいのに、それを何十年後に、しかも海外でも人気が高まるなんていうことが、本当にあるのだろうか。いや、あるのである。私自身が、つい数か月前に、自ら体験したことを、ここに報告させていただく。


その頃、私はあるイベントの仕事でずっと離島に通っていた。そのイベントは、春、夏、秋と三つの会期に分かれており、1ヶ月程度の中断期間を挟みながら、約半年ほどの予定だったが、中断期間には借りている施設を空けなければならず、会期の始まりには必ず準備作業が必要だった。秋会期の開始前日に、私はTという島の準備の手伝いで、朝からずっとその島で働いていた。ただその間、本来の自分の担当である、N島のことが気になり続けていた。私にはN島でその日のうちに、タブレットをWiFi接続して、プリンターも15mのLANケーブルを引き回して接続し、ちゃんとレジの役目を果たすように設定しなければならないという、ミッションがあった。しかしT島での仕事はなかなか終わらず、やっと終わったのは午後も遅くになってからだった。T島からN島へ向かい、そこで作業をして、家のあるT港へ戻る船便はもう限られていて、私に与えられたN島での時間は、わずか20分ほどしかなかった。しかもその中には船着き場からの移動時間、約7分も含まれている。T島からN島へ向かう揺れる小型船の中で、私の顔は少々こわばっていたかもしれない。船は定刻に到着し、それから15分後、私はT港行のフェリーの最終便の列に悠々と並んでいた。ミッション コンプリーティド。まあ、3度目ともなると簡単だった。ただその時、私の気持ちは、一日中続いた心配から解放され、かなり浮き立っていたことを、告白する。そしてその時に見つけたのだ。行列の10人ほど前、ちょうど折れ曲がったところに立っていた、外国人があるものを提げているのを。

ここで、少々説明が必要だが、その島はある企業が開発を進め、今ではアートの島として、人口3000人程度のところに、年間35万人が訪れるという観光名所となっているところなのだが、その半分は外国人なのである。アジアのみならず、西洋諸国からの観光客も大変多い。(今は大変だろうな、、)そして行列の先にいたのも外国人、眼鏡をかけた中年の白人で、背はそう高くなかった。東洋系の奥さんらしき人と一緒にいた。そしてその人物がぶら下げていたのが、ディスクユニオンのビニール袋だったのである。サイズは30センチ程度の正方形で取っ手がついている。中にはLP盤が入っていると思われた。

ご存じない方のために言い添えておくと、ディスクユニオンは東京新宿を拠点とする一大中古CDレコードショップチェーンで、外国人客も多いと聞く。その時私の頭に浮かんだ言葉は、(うゎー、外人がホントに買ってるんだ)というものであった。やがて乗船が始まり、かなり大きなフェリーの客席は、ほぼ満席状態だった。そして偶然にも、通路を挟んだ真横の席には、件の外国人夫妻がいて、旦那の方は例の袋を大事そうに膝の上で抱えていた。

ここで、お断りしておきたいのだが、私という人間はどちらかといえばシャイな方である。人見知りとまではいかないが、普段見ず知らずの人に話しかけたりすることは、まずない。まして、それが外国人なら、絶対といっていいくらいに、ない。しかし、その時の私には妙に高揚した気分というものがあった。先ほど長々と書き連ねた事情により、いい歳をして少々浮かれていたといってもいいかもしれない。今思っても信じがたいことだが、私は話しかけた。それも英語で。「Hello」。第一声は震えていた。「その袋の中身は何ですか」時間をかけて練り上げた英文を声に出した。すると、ヴィンスは(その後判明)少々驚いたような表情をした後、見せてくれた。ディスクユニオンの袋から出てきたもの、それはおなじみの、山下達郎の“For You”だった。ド定番中のド定番。私はゆっくりと「マスターピース」とつぶやいた。それから、到着までの30分間、私は生まれて初めて、大瀧詠一や吉田美奈子、シュガーベイブなどについて、英語で会話した。韓国系オーストラリア人の奥さんは少し日本語が話せたので、時々助けを借りながら、メルボルンからやってきたヴィンスと結構マニアックに語り合った。彼はなかなか詳しかった。ソースはほぼYouTubeに頼っているようだが、彼の悩みは日本語の概要欄やコメントが読めないことで、この際とばかりに、私に質問を浴びせてきた。また、自分が見逃しているアーティストがいるのではないか、という不安があるらしく、きちんと整理された彼のスマホのプレイリストを私に見せてきて、欠けているピースはないかと聞いてきた。私も自分のスマホを見ながら応戦した。ヴィンスが最も喜んだのは「9 minutes of Tatsuro Yamashita」という公式のメドレーの存在を教えた時だった。ということで、苦しくも楽しい30分はあっという間に過ぎ去り、下船が始まった。そしてヴィンスは私にハグをして、しきりに感謝を口にしながら別れ、駅に向かって行った。どうですか、これが現場主義者である私の、外国人に”City Pop"の愛好家は確かにいる、という経験です。


いや、そんな大それたことのように言ってますけど、YouTubeのコメント欄の英語の多さを見れば一目瞭然だろ、とか、テレビの番組で外国人が東京で大貫妙子のLPを探し回るの見たぞとか、どこからか声が聞こえてきます。現場もなにもないだろう、事実として明白だろ。確かにそうなのですが、まあ、いいじゃないですか。私としては、結構珍しい体験で、どこかで誰かに言いたかっただけです。


最後にYouTubeにある、お勧めのプレイリストを挙げて、この拙文を終わりにしたいと思います。
「和モノ JAPANESE CITY POP & LIGHT MELLOW MIX 2」
「和モノ JAPANESE Light Mellow CITY POP MIX Ver.Drive」
前者では冒頭の2曲、後者は最後の2曲が聞きものです。曲間はきちんとつないであり、ちゃんとしてます。

今、思い出した曲があり、ひとつ追加しておきます。2019年初夏のリリースでタイトルは「さよなら サマー」。配信のみで250円。
歌っているのは野呂佳代という人です。そう、深夜のバラエティ番組などで時々見る、あの小太りの元48グループの方です。この曲、曲調は完全にいわゆる“City Pop”なのですが、歌詞の中に散見される言葉がなかなか面白い。「商店街」、「川崎ナンバーのWho are you」、「踊ろよランバダ」、「焼きそば」、など、これまでのその手の音楽には絶対に使われなかったであろう、ダサいワードをチョイスしており、ちょっといじってんのかという、微妙なラインをついています。配信のみなのでジャケットはないはずですが、画面には安目の安西水丸風のイラストが出てきたり、また歌い手の顔を思い浮かべると、やっぱり狙ってるなとも思ったのですが、聞きこむにつれ、楽曲の良さと、その経歴とは裏腹な歌唱の確かさで、今では我が愛聴の一曲となっています。これもぜひ、皆さんに聞いていただきたい。

今改めて、聞いてわかったのだが、この歌の、途中に出てくる、合いの手が「Oh Jolie」と言っているようだ。これは俺の大好きなAl Kooperの「Jolie」ではないか、、、


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