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みこちゃんコンテスト第1回講評集~10/22分

みこちゃんの寄稿です。第1回の楽しい思い出を振り返りたいと思います。
すでに第2回の応募数は2週間で前回を越えましたが、第1回のチャレンジが皆様のおかげで大成功に終わったので、それがこうして第2回に受け継がれているのだと思います。

noteの私設賞では、エントリ作品数も最大級の私設賞となりました。

第1回を支えてくれた応募者の皆様に感謝しながら、あのイベントを涙拭きつつ(/_;)
振り返ってみたいと思います。

こちらから第1回みこちゃんコンテストのすべての作品をすべてお読みいただくことができます。

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本日時点での応募総数は約190近くにのぼりました。
参加していただいたみなさま、本当にありがとうございます。

一奥担当分(3作品)

人は、一番高いに立った時に、果たしてそこから何を一望するでしょうか。
夜景を見たくて、一番高い「建物」に登るかもしれません。あるいは、高い場所そのものに行くことを目的にして、山へ登るかもしれない。

実は我が国で、東西南北に最も長い都道府県が東京都であることを、ご存知でしょうか。

区部の都会のみではない。
夜景のきらめきのみではない――標高2,000メートルと聞いて、どんな世界を思い浮かべるでしょうか。

同じ場所にいて、同じ言葉を使っているはずなのに……まるで山霞のように、すれ違ったり、違う言葉を使っていることがある。

そんな切なさと、しかし不思議な、東京という街の玄妙さが交錯している。
そんな心地を抱きました。

物を整理しだすとなかなか捨てられない。まだ使えると思う……結構、あるあるだと思います。
それも文房具のような――何かを描く、創るための道具ともなれば、いざ捨てるとなると、そこで想像力の翼が羽ばたき出すように思えます。

つまり、
これを捨てなかったら、こんなものが創れるんじゃないか? 生み出せるんじゃないか? と。
実際に作らずとも、その可能性を思い描くだけで、わくわくが止まらなくなることもあるでしょう。

その感性を共有できない相手からは、
「無駄なものを捨てられない人」
扱いされてしまうかもしれませんが。

その意味では、寄付はなるほど、と思いました。
道具としての使命を、まだまだ全うさせてやれるように思ったからです。

そんな折り合いの付け方もあるのだな、と感じました。


ヒロさん講評分(4作品)

ありがとうございます 、ステキなnoteを。

文字化された ありがとう を目にする経験値も 何気ない日常に ありがとう と発する下地になりそうです。

人と関わること全てに ありがとう を探すと日々の繰り返しや過ぎる時間が楽しみになりそう。

当たり前 という言葉が浮かんだらまずそれを呑み込み ありがとう へ変換する。

見返りのためではなく 、必然の流れで自身を取り巻く周囲に幸せの輪を作るのでしょう。

多くのnoteのコメント欄で ありがとう の言葉を見かけたとき嬉しくなることと合点しました。


明るく楽しいものだけに囲まれているわけではない
嬉しさと希望だけが己を充たしているわけではない

だから絶望や脆さに本音を見たときの共感力は止まらない

そして冒頭から見逃さないように またなぞりたくなる

カタカナがたった3文字 、マント だけなのがとても印象的です

幸せの手ざわりがする言葉 は多用され、探される頻度も高いだろう

戯れている黒の手ざわり に心情的な淀み と無機質な文字 2つの意を汲み取れた

文末に とっておきの楽しみが潜ませてあり 幸せの手ざわりを得てしまった


イイオトコ予備軍が日本全国さまざまな個性で時間をすごしている

1人のイイオトコの成長が記された心に響くnote

50m走で1番のコがいれば 6番のコもいる

投げ輪が上手だったか否か と性格や行動の個性に大した違いはない

自閉症や発達障害が公言される著名人はとても多い

いまの我々の生活の礎に多大な貢献をされたビッグネームも多く並ぶ

明るくリズミカルなテンポで リアリティと希望が記される

心意気強く専門書を購入するも読了を諦め 支援クラスへの贈呈には遠慮なく笑ってよいのだろう

近い状況に当たる方への心強く、そして何より等身大のエールが綴られる

1人や家族だけで限界あることは しっかり助けの手を挙げる

このひとことの言葉のための2000文字は 必ず誰かに届いている


異国の地で 深く日本を思うキーワードのひとつは桜の花でしょう

それが20数年の移住となれば尚更のはず

南国・サンパウロの桜の花は深い桃色を付けるのだという

自分は敬愛するアントニオ猪木氏の物語からブラジルと日本の深い交流を幼少ころから知る

道明寺(桜餅)を南国でいただいた機会を手繰り 馳せる思いがとめどなく流れるnote

地球のちょうど反対側と揶揄される位置関係が微笑ましい皮肉のよう映る

そして時間軸はご自身のキラキラ時代に充てる言葉を別の機会に譲り(笑) 、お義母さまと子供たちで行が埋まる

印象強い桃色の桜の花とは異なる 、白いろに近い ソメイヨシノの仄かな桜いろ

まぶたに浮かぶると 幾つもの自分ものがたり が刺激され言葉が巡りはじめます

郷をじっくりと愁えることほど幸せなことはないのかもしれません

音楽部門共同審査委員けんたさん講評分

僕も大好きな曲で
気が向くと、折々YouTubeで
さだまさしや山口百恵の歌で聴きます。さだまさしや山口百恵の歌で聴きます。

ウーターズさんがこの曲と出逢われたのは
ギターの練習曲としてだそうです。

自分も少しピアノをやるんですが
楽器に向かって曲に当たってみると
「どう弾いたらいいんだろう」とか
「あー、こう弾いてみたい」とか

今まで漫然と聴いていた曲の
その端々にまで思いを回らすようになります。

きっとウーターズさんも
ギターの演奏を通して
自分だけの『秋桜』をハッキリとお持ちなのでしょう。

今回、ウーターズさんの書かれた
3種類の違ったジャンルの演奏に対する感想は
いずれもご自身の『秋桜』を軸に展開され
とても興味深いものでした。

ご自身の『秋桜』を通しての
違和感、驚き、を賛辞として昇華させる様からは
自家薬籠中とした曲への大きな愛が感じられました。


みこちゃん講評分

文中にさりげなく置かれている岩切さんの「根拠なき自信」という言葉が印象的でした。

実はこれこそが、生きていく上で最強の自信なのだろうなと、敬意を思って思いますです。

「責任を果たせなかった時の申し訳なさ」

会社が破産した時の債権者会議って、怒号が飛び交うのもありますけど、実はけっこう優しいものらしいですよね。これは破産した経営者の方から直接聞きました。

言葉はきついけど、「誠意を見せてくれ」ということで、取れないものは取れない。もちろん命までは取らない。
お金を取ることと、命を取ることは別次元のことですから。
その時はしんどいでしょうが、生きていればなんとでもなります。

「精神疾患も風邪」
まったくその通りだと思います。
心の風邪です。

ものすごく重く考える方もいますけど、心の病もまた、この世の中に生きている限り必然的とも言える頻度と圧力でやってくると思います。

「優しさ的なものや人を属性で判断しない価値観が、苦しい時の自分を救った」

優しさに勝る武器や支柱はないと思います。
人を信じられる。
これこそ最大の力だと思います。

「負にしない力」
そもそも勝ち負けなんて人生にないと思えます。

そんなことを思いました。
ありがとうございます。

お金というのは失うと絶対的な尺度として、人を傷つけると思います。
でも、それは危機であっても、負けじゃない。

おそらく岩切さんはそのようなことをお考えなのかなと思いました。

お金で人生そのものを語る文章。
めったに読めるものではありません。

ひとつ思っていることがあるのです。
わたしも専門は文学ではなくて経済学です。

これはチャットしたときにお話させていただきましたね。

文学的なものに逃避してはいけない。
お金という現実的なものに真正面からぶつかって、その克服をだれかの幸せに
文学的に還元する。

岩切さんのお仕事の方法であり、生き方なのだなと思いました。

ありがとうございます。

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第2回THE NEW COOL NOTER賞への、みなさまのエントリーをこころからお待ちしております。

■募集期間  ―― 令和2年12月1日~令和3年1月15日まで
■応募方法

#第2回THE_NEW_COOL_NOTER賞」のハッシュタグをつけてください。
特定の部門へのエントリを希望する場合は、さらに「#第2回THE_NEW_COOL_NOTER賞○○部門」を付けてくだされば、各審査委員が拝見します(必須ではありません)。
※希望する場合は複数の部門への応募が可能です。

また、お一人様何作品応募いただいても構いませんが、授賞対象は1作品までとさせていただきます。
なお、過去作品でも応募可能です。その場合も、同様にハッシュタグをつけていただけるだけでエントリとなります。

よろしくお願いいたします。

参加者同士の交流の場所を設けてございます。
お気軽にご参加ください。

*なお講評は分担制にしているため、必ずしも応募順に講評結果が発表されるわけではございません。よろしくお願いいたします。

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