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データを共有するという感覚

ビッグデータ全盛の時代において、自分の行動に関するデータを取られることに嫌悪感を感じる人はそれなりにいるはずだ。

一方で、自分のデータを取られているのではなく、「共有している」と捉えると急に見方は変わってくる。

例えば、電車が事故で混んでいる時や災害時に、ツイッターやfacebookで現場の情報に関するつぶやきがあると助かる人は多い。別に現場にいる人はつぶやく義務はないが、おそらく自分の知っている状況を伝えることで何かの役に立てばと思い、実際に多くの方が現場の情報を提供してくれているのだろう。

しかしながら、このようなつぶやきを積極的に行う人でも、グーグルマップから自分の位置情報を知られることを嫌がる人もいるだろう。

グーグルでは個々人のスマホの位置情報を通じて、それらのデータをプールして、交通情報を提示している。よって、個々人は自分の位置状況の提供を通じて、結果的に交通状況の可視化に貢献しているといえる。

さらにウーバーはこのグーグルマップを利用して、新たなビジネスを開始し、そして消費者はウーバーを便利に感じている。

でも、仮に世の中の人全員が自分のデータや位置情報を提供しなくなると、みんなはグーグルマップやウーバーから得られる恩恵を得られなくなる。

そうならないための1つの考え方が「データをとられている」ではなく、「データを共有している」という感覚なのかもしれない。

それでもやはり個人の行動データを共有するのは嫌だという人も当然いるだろう。

ただ、今のところはツイッターやFB、インスタグラムではバンバン投稿が行われているし、グーグルマップの精度も高いということは、結果的には、データを共有することから得られる便益が、取られるデメリットよりも大きいとみんなが感じているからだろうか。

かくいう私も、別につぶやく必要もない個人的な気づきを今noteで共有している。


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