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【アゼルバイジャン暮らしの日記】自己紹介には、暗号を仕込んで。

2024年1月19日

お友だちと、コーヒーモーニング。
夫の転勤について来て、駐在員(の配偶者)仲間たちのコミュニティで社交をするようになると、あちこちのコーヒーモーニングに参加することになる。子どもが学校に通っている場合は、その保護者たちのコーヒーモーニング、チャリティのプロジェクトに参加していればその団体のコーヒーモーニング、といった具合に〇〇の会のコーヒーモーニングは無数にあるけど、要はまあ、朝に集まってさっとお茶を飲みながら、おしゃべりをする会だ。持ち回りでお家に呼び合うこともあるし、手軽にカフェやホテルのラウンジで済ませることもある。私が好きなのは、朝にさっと集まって三々五々別れるというところ。それぞれの用事や事情もあるから、短いときは30分で帰ってもいいし、長くても2時間程度を一緒に過ごして、情報交換をしたり親睦を深めたり。食事よりも気軽で、飲み会のような煩わしさもない。会合の時間が短いのもいい。

そんな風に、あちこちのコーヒーモーニングに顔を出していると、複数の人とわっと初めて会う、という機会が増えてくるので、自然と自己紹介に慣れてくる。自己紹介は突き詰めると「生きていて、自分が何を大事に思っているか」を表現する場だと思う。私はこういう人間だから、それに魅力を見出してくれる人は仲良くしよう!というメッセージ。自分を、いかに簡潔に分かりやすく表現するかが肝なのだけれど、その場に参加しているメンバーによっても、見せたい自分の側面は違ってくるので、毎回適宜アレンジする。私がたいてい話すのは、1.自分は人生の半分以上(根無し草みたいに)海外転勤生活をしていること、2.本と旅行が好きなこと、そして3.現在取り組んでいるプロジェクトを紹介(これはその時々で変わる)など。今は、日本文学のブッククラブを企画しています、とかね。

自己紹介というのは実は奥が深くて、自分という人間に付随する事柄、経歴とか肩書とか夫の職業とか子どもの数とか趣味とか諸々、そのどれに言及するかは、その人の価値観や人生観を如実に映す鏡みたいなものだ。あるいは、こっそり忍ばせたキーワードで、暗号みたいな会話をすることもある。「ブルガーコフに゙傾倒してロシア語を学び始めた」というのはある特定のメッセージを送るし、「バワの建築に触れたくてスリランカに行った」というエピソードも、ひとつの価値観を示している。わかり合うひとを、探し出すための暗号。そういうのを散りばめて話す自己紹介に、互いにぴんと来て惹かれ合う瞬間はとてもわくわくする。

私は、そのひとの家族構成(子どもが何歳)や、配偶者の経歴にはあまり興味がなくて、「あなたは何に心が動くの?」を知りたい。最近観たお気に入りのドラマでもいいし、絶対聴いてほしい一曲でもいいし、息を飲んだ旅先の景色の話でもいい、そういうことを話せる感性とアンテナを張っているひとがいい。同じものが好き、共感でなくても、自分自身が好きなものを知っている、知ろうとしている、そういうひとと時間を過ごしたい。私は、自分が退屈だと思う相手とは(たとえ多少の義理とか義務があったとしても)、自分の貴重な時間を割いて付き合う必要はないと思っていて、(多少の波風はあるものの)その方が幸福に暮らせる。

その一方で、そういう心の響き合う相手と出会うためには、自分の自己表現の方法も磨く必要があると思う。言動もそうだけれど、服装が表現する情報も実は多いから、私はいつも「自分の好きな服」を着ることにしている。いつもおめかししているというわけではないけれど、部屋着もフォーマルのドレスも、自分の好きなものを第一に選ぶ。他者にどう思われたいとか、こういうのが無難とか、そういう邪念は一旦横に置いておいて、「私はこの装いが着たいかどうか」をじっと見つめてみる。多少のマナーとか、太って見えないテクニック等(切実)はあるにせよ、自分の好きをぎゅっと突き詰めるのは、感性を研ぎ澄ますし、何より楽しい。

大学の入学式で、なぜか一様に紺色のスーツの集団の中で出会った、花柄のスーツの私と華やかなピンクのスーツの彼女は、30年経った今でもずっと大切な友だちなんだ。

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