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初恋のラムチョコケーキ
まだ二人が同じ時間を過ごしていた頃。
あなたがよく食べていた焼き菓子がある。
オレンジピールがポイントの焼き菓子。
あれはどこで買ってくるのかいつも不思議だったけれど何故かそれを聞いたことは無かった。
料理上手の彼はいつも狭いキッチンでとても豊かな食事を作ってくれた。
彼の得意料理はカルパッチョとラム肉を使った料理。
小さな部屋の小さなワインセラーにワインが数本。
少しゴツゴツとした細長い手。
手慣れた手つきで栓を抜き注いでくれるワイン。
その一連の流れはいつもしっとりとおだやかで私はいつもうっとりしてしまう。
その空間がいつも好きだった。
だけど。
あなたはいつかここを旅立つんだよね。
私はそれを知っている。
あなたのことばかり見ていたら気づいてしまった。
そのどこか遠くへ私を連れていってはくれないことも。
あなたとの時間はいつも特別でその瞬間瞬間を仕舞っておきたくなる程キラキラと輝いていた。
ずっとこの余韻に浸っていたい。
時が止まってしまえばいいなんて本気で想っていた。
そう思っていたのに。
その日は突然前触れもなくやってくる。
いたはずのあなたが消えてしまった。
部屋のものが半分なくなったその狭い部屋の小さなテーブルに。
彼がいつも食べていた焼き菓子と最後まで彼が飲まなかった赤ワインが一本。
焼き菓子には黒いテープ。
その上に「ありがとう」と白い文字。
多くを言わなかったあなた。
でも本当はすごく私のことを考えていてくれたことも特別な日にと大事にとっていたはずのその赤ワインを私に残したその気持ちも言葉にすれば曖昧にしか聞こえなくても私はちゃんと分かっている。
こんな日が来ると思っていたから崩れ落ちることはなかった。
あなたを失ってもボロボロにならないように。
いつも心をぎりぎりのところで支えていた。
それでも。
やっぱり叶わないんだとはっきりと分かった時心の中から何かがさぁっと抜けていくのを感じた。
ワインを一人で開けた。
この部屋でワインを開けるのはいつも彼の仕事だったのに。
二人で飲む日をどこかで期待していた。
まさか一人で飲むことになるなんて。
あなたはいつも少しだけ残酷。
別に一人でも上手に開けられるんだ。
一人でも結局生きてゆけてしまうこと。
小さな焼き菓子を何時間もかけて彼の特別だったはずの赤ワインを一本飲み切るのと同時に食べ終わった。
まるで彼との思い出を飲み込むかのように。
忘れないように大事に大事に飲み込んだ。
オレンジピールってほろ苦いな。
今の私の気分にそっくり。
でもチョコレートみたいに甘い思い出の方が多い。
もうすっかり大人だったけどあんなに人を好きになったのは初めてだった。
まるで初恋みたいに毎日毎日あなたにときめいてドキドキしていた。
今も時々。
あの日あなたがくれた黒いテープに書かれた一行のありがとうと。
優しいあなたの横顔と八重歯を思い出す。
共に過ごした時間は今でもそっと宝物のようにこの胸の中でキラキラと輝いている。
あなたのことが本当に好きだった。
それは今も変わらない。
とても長い時間が過ぎたはずなのに今でもあなたを思うと景色が滲むくらいは涙が出てしまう事をあなたはきっと知らないよね。
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