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何となくの魔法

どうしてnoteを書くことにしたのか、さっぱり分からない。
強いて言うなら、何となくだ。(笑) 

twitter も何となく始めた。インスタでフォローしている人が、twitter がメインぽいので読んでみたかったのかなぁ。そこらへんはすごく曖昧だ。
何となくアウトプットしたいのかと、自分なりに思っていたけど、昨日違うことに気がついた。

吉本ばななさんが昔から好きで、twitter で見かけてフォローした。するとたくさんリツイートされてて、note に興味が湧いた。
ばななさんの記事が一月400円て、ありえなくない?めっちゃ安いやん、面白そうだし読もう。

すべて何となくの数珠つなぎだった。

ばななさんのもっとてきとうにという、記事がどうにもこうにも自分のことのようで、うわあこれやわと膝を叩きたくなった(笑)

最後のブレという話が、本当に自分のことでなるほどと思った。

結婚もしてない、子供もいない私は、とにかく三十代始めから、どうにもこうにもとんでもないほど、トラブルとお付き合いしていた。
どうして自分ばっかりこうなんやろと、泣きたいことばかりだった。
悲劇のヒロインみたいというより、本当に苛酷だった。
昨日のリツイートによって、私の目の前に現れた、もっとてきとうにという記事。

なるほど、これかと思った。
これを読むために、twitter 始めたんやわと。

自分より大切な存在を持たない私は、やっぱり余力がありすぎたのかもしれない。
トラブルが振り切っていたし、自分の視野も大きく歪んでいた気がする。
土台が歪んでいたから、現れる現象もひどいものばかりだった。

二年前、両親が次々と亡くなり、介護を終えた私は、憑き物が落ちたように、段々と自分の欲が消えていった気がする。
もちろんあるにはあるけど、自分本意欲が少しずつなくなっている。今も少しずつ落ちている感じ。

世の中の理、宇宙の理。
それを少し分かった感じがする。分かった気になってるだけかもだけど、大事なことは、何となくが連れてやってくるんだな。

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