「家族」という呪い―短編『母が死んでは』あとがき―


はじめまして。
小説家の齋藤迅です。

2018年9月12日より始めた「毎月1冊自身の体験を投影した短編小説を書く」(いい企画名を募集してます。笑)という活動の第一弾のあとがきということで、今回は大きく分けて2点

・現代における新たな私小説・私小説作家としての齋藤迅
・「家族」という呪い―短編『母が死んでは』あとがき―

について書いていきたいと思います。


現代における新たな私小説・私小説作家としての齋藤迅

さて、まずこの章においては『母が死んでは』には殆ど触れません。
そして、僕が自己体験小説家とTwitterで名乗り始めたことの理由にも触れていきます。
ですから、読んでいない方も是非ここだけでも、読んでみて下さい。

話を進めるに当たってそもそも「私小説」とは何か、ということを確認しておきましょう。

コトバンクによると、「私小説」とは
作者自身の経験や心理を虚構化することなく,そのまま書いた小説。
作者自身を主人公として、自己の生活体験とその間の心境や感慨を吐露していく小説。

まあ定義は色々とあるようです。

これに対して章のタイトルにある「新しい私小説」とは何か?
僕の考える「新しい私小説」とはずばり

自身の体験や心理を虚構化することなく、しかしあくまでもフィクションとしての脚色、登場人物の構築、その他諸々を、他の普通の小説と同様に行ったもの。

です。
だから、僕がこれから毎月書いていく短編はどれも、「他のどの小説よりノンフィクションに近い」小説であり、「他のどの私小説よりフィクションに近い」小説となるでしょう。

実際に、僕は今回の小説『母が死んでは』においても、自身が過去に体験したエピソード、またそれを通して考えたこと、感じたことなどを多く書いています。

次に、そういう「新たな私小説」を書く「私小説作家」としての齋藤迅がどういう立場に立とうとしているのか。

簡潔に言うならば、僕は「僕と同じような体験をした人々と、その苦しい経験を分かち合える作品を書く」作家になりたいと考えています。

自分でいうのもなんですが、僕は21歳という年齢にしては他の多くの人よりも圧倒的に多くの経験を重ねてきました。
親の離婚、母親の浮気、借金、いじめ、DV、性に関する問題、etc......

こういった経験は他人と比べられるものではありませんし、僕の経験は幸いにも、その表層を掠めとるようにして積み重ねられてきたものです。
しかし、上を見ても分かるように、その数だけは膨大だ。

これだけ多くの経験を重ねてきた自分だからこそできることがあるんじゃないか?

僕はずっとそう考えてきました。
そして、その思考を重ねて現在出した答えが「新たな私小説」であり、「私小説作家としての齋藤迅」。

つまりこれが「自己体験作家齋藤迅」です。


「家族」という呪い―短編『母が死んでは』あとがき―

さて、それでは今作『母が死んでは』のあとがきにはいっていきましょう。

今作は一ノ瀬志帆という、父親と離婚して以来暫く会っていない母親が悲劇のヒロイン症候群患者である少女の話です。

志帆の一人称で進められる作品内では実際に、志帆の母親は

“自分自身を可哀相だと思わなければ、周囲に自分が可哀相な人間だと思ってもらわなければ生きてはいけない。”

と、描写されています。

また、志帆には2人の弟がいて、長男が遼、次男が裕太という名前です。
遼は志帆と共に父親のもとに残りましたが、裕太は母親の元に去りました。

志帆は、遼のことを「子ども」だといい、遼との話において裕太のことをも信じられない、といったような様子を見せていました。


さて、ここまで書いたことは殆ど、僕の家庭環境と一致しています。
「自己体験作家」たる所以というわけでしょうか。
悲劇のヒロイン症候群に関しては、作中で志帆がそう思っているだけなのと同様、僕がそう思っているだけです。

それでは今回どうしてこのような作品を書いたのか。

その問に答えるならば、「家族」であるだけで、何をされても愛さねばならないという、日本に未だしぶとく生き残ったその価値観にもの申したかった、ということがひとつの理由です。

章のタイトルで僕は「家族」という呪いと書きましたが、その理由のひとつがこれに当たります。

僕たちは時として、「家族」であるというただそれだけで苦しめられなければならない。逃げずに向き合うことを強要される。

そんなのおかしいじゃないか。
親に苦しめられた人たちは逃げたっていい、憎んでいいんだ。

実体験として僕は、僕に浮気の片棒を担がせた母親が父と再婚をしたいと言い出したのに対して、すべてばらして破綻させてやったことがあります。
(暫く弟と姉には恨まれていた気がしています。笑)

その決断が正しかったのかどうか。
それに関しては未だに答えが出ていません。
しかし、後悔はない。

多くの「家族」問題で苦しむ人々は、そのように闘っても、或いは逃げてもいいんだ。

読んだ人がそういうことに少しでも気付いて、そして心が楽になってくれればな、と思います。



さて、作者があまり作品について語りすぎれば、読者が自由に作品に触れることができなくなってしまいましょう。
今回はこの程度に収めまして、また来月、新たな小説を公開しますのでそこでお会いしましょう。

どうしても聞きたい!
ということがありましたら、Twitterから質問箱を経由するなどして質問して下さい。
お答えしたいと思います。

それではまた。


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