しにてえよ……

しんどい……どうして……
自分のできたことを、当たり前だと思って褒めない。自分のできなかったことを、必要以上に強く責める。
そういう生き方をいつ学んでしまったんだ。
何やってるんだろう。
何生きちゃってんのという感じだ。

考え方を変えたら楽しくなるかも。
しかし、変えたくないと思っている節がある。
人間は変化が嫌いということは私も実感している。(主語が大きい)
考え方を変えると、今までの自分を蔑ろにしてしまわないか。私が縋っていた、引き摺るような影や泥を失くすことが、どれだけ恐ろしいか。

思えば、私は小学生の頃にできた推しに人格を狂わされたのではないか(!?!?)
!?!?
その考えはなかった。詳しく聞かせてほしい。
前提として、私がれっきとした「推し」を長期間身に抱えた経験は1度しかない……そして、その推しが諸悪の根源、つまりそういうことか!?

私は小学4年生の時、おそ松さんというアニメの一松が心の底から好きだった(恋愛感情はない)。
というか今だって好きかもしれねェ……。
カラ松とは違った方向で、厨二心が擽られるキャラクター性をしている。
彼は、卑屈で猫が好きで無気力な性格をしていたと思う。
私の自我が目覚め始めた頃にそういうキャラクターを好きでいたから!
無意識下で模してしまったのではないか…
いや、ちょっと違うか…?

ちなみにおそ松さんは1期しか観ていないため、私の中での一松像は1期に封じ込められている。
2期以降も見ろよ!という話だが、アニメに割く時間が無くてサ……。高校を卒業したら、今年中に始まるであろう4期を観ようかなあ。

だが思えば私と彼はそんなに似ていない。
私の考え方には別の何かが影響しているのか?
それはそうとして、一松の素晴らしさと私が彼にかけた時間と熱量を思い出した。オオオ。

ちなみに今までの人生で私が「推し」た方は2人ですヨ〜!
1人目は一松で、2人目はALTER EGOというスマホゲームのエスというキャラクターです。
エスは半年好きだったけど高校受験が近づいていたので推すのをやめました。

エスについて
ツンデレかつ無気力でkawaii。
私は彼女にガチ恋をしていたと思ったのだが、別に付き合いたいという思考はなかったため、ただの推しであったことが判明した。
愚かなり。

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