教習所という闇

こんにちは。毎週土曜に更新する、
将来、芸人になろうと思ってる18歳
コントレイル・石川大輝です。
くだらないことをつぶやいてます。

僕は教習所が嫌いだ。

皆さんは教習所に一度は通ったことがあるだろうか。僕は、校内に漂う重苦しい空気みたいなものがあまり好きではない。通ったことがある方は一度は感じたことがあるのではないかと思う。
それとも僕だけなのか。

そもそも、僕が教習所に通い始めた理由は高校卒業が確定し、自由登校期間というものがあったので、家族(特に母)に『どうせ、暇なんだから免許とってくれば』と言われ渋々行くことにしたのである。(父も弟も母に同調したので劣勢状態)

僕が通っている教習所は、駅近くで在学中の高校からバス一本と立地は良いのでいつも混み合っている。その中には同じ日に僕と同級生の子がいることもしょっちゅうである。

でも、僕は教習所に行って同級生と話したことがあるのはたったの数回(学校ではたまに教習所のことを話すが)。その理由は、まず話しかけられる状況、雰囲気ではない(重苦しい)、親に言われて渋々教習所に通っている自分を説明するのが嫌なのと、ここ最近教習所に通って全く運転に手応えがないことである。

一つ目は最初に話した通りだが、2個目と3個目はメンタルが他の人に比べると弱い僕には自尊心と自らのプライドを傷つけるかもしれないと思ったからだである。

僕の高校は県内屈指の野球部で強くてどこのクラスも誰か一人は野球部がいてリーダー的な存在を担っていたけれど、3年に進級してなぜか僕のクラスだけ野球部がいなかった。その際誰がリーダー的な存在になるべきかを考えた時に担任とクラスメイトが真面目そうに見えた僕にクラスのリーダー的な仕事をお願いされるようになった。
そこで、運転が得意ではないけど5種目中4種目(一つは名物の選抜リレー)に出場、そこでおそらく自信をつけた僕は、学校中が注目する文化祭の実行委員長を務めたのである。

こんな経緯から、僕は同級生の中では有名人なので教習所に通っているうちは優等生であることを貫いていかなければならないと思ってる。
自分の格好悪いところを見られて
『石川くん、運転下手なんだ珍しい。
修了検定なんか私一発だったよ笑』
『文実委員長、車運転できないの草』
『そんなしょーもない理由で教習所行ってんのかよ』
なんて言われたら今まで高校で積み上げてきたことが水の泡になってしまうのではないと思っている。

そんな中、本日1月29日に第一段階の修了検定(技能検定)があった。高校の卒業試験の影響もあって、車に運転するのは実に5日ぶりであった。

就職試験の時も大人数の前でで話す時も緊張しないのに、今日はなぜか緊張していた。
『俺は世界一運転が下手なんだ』と検定前に思ってはいけないネガティブな思想になってしまい、
普段の教習でミスしなかったクランクも、発着点停止も、チェンジレバーをSからDに戻すのもミスしてしまった。他の教習生の運転を見ると一目瞭然であった。

重苦しい教室の雰囲気の中で結果を待ち、想像通り不合格を告げられた。(不合格は20人中、僕と同じくらいの年齢の男子高校生?2人だけだった。)
担当した指導員がアドバイスなどをして励ましてくれていたけど、教習所を楽しいと思ったことは一度もないので、今まで感じたことのない絶望感と自尊心を大きく傷つけられてしまった。
(もちろん、指導員には否はない。)
そこでトイレに30分くらい篭って今までの教習を思い出そうとしたが鬼厳しい指導員との教習を思い出しまい、効果はゼロだった。

教習所を出て、『二度と車を運転するもんかと』駅まで突っ走った。自宅の最寄り駅に着き、
自転車で帰ろうとした時、僕の足が止まった。
落ちたトラウマから自転車も運転できなくなってしまっていたのだ。ショックだった自分は普段自宅まで15分くらいで行く道のりも30分かけて自転車を押して帰った。

家に帰ってきて僕は、検定で落ちたこと、不合格が二人しかいなかったこと、運転が一向に上達しない、重苦しい雰囲気で精神的に辛いので辞めたいと言うことを母親に告げた。
すると、親にはよく分からないが叱られた。
『行かせようとしたのはあんただろう』とは
思っていたがそこは触れないでおいた。
まだ第一段階なのでやめるなら今でそれなりのお金が帰ってくること、予約が混んでいて取りづらいので間隔があき、また落ちる可能性が高いよと言う話をした。

最終的に父母としっかり行けと説得され
通い続けることになり、
両親に納得してもらうのにも心が折れた。


こんなくだらないこと話を最後まで聞いてくれてありがとうございました。
良かったスキと他の記事を読んでみてください。

では、また来週の土曜日、ここで会いましょう!







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