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野球に打ち込んできた体育会系の私が、ContractSの叶えたい世界観に共感するワケ。

ContractSを代表する社員が、半生を語るコラム『ContractS わたしの履歴書』。登場する社員は、セールス・エンジニア・デザイナー・バックオフィス等の多岐にわたります。それぞれの分野で後世に残る仕事を成し遂げようと日々奮闘するContractS社員。彼ら彼女らが自らの言葉で語る努力や想い。読めばきっとあなたに役立つ何かが得られるはずです。

■田中 恭平(たなか きょうへい)
職種:フィールドセールス
趣味:ドラム、お酒、読書

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両親のスパルタ教育で、野球と勉学に励む真面目な少年時代。父とは毎日18時に鬼のトレーニングをして過ごした。


幼少期は、背が小さくて泣き虫な子供でした。母親にずっと付いて回る、典型的な”母親っこ”でしたね。家では姉が友人と楽しそうにゲームをしている光景を見て羨ましく思い、字が読めないのにも関わらず、会話についていくために必死でゲームの攻略本を読んだりしていました。

打って変わって、5歳の幼稚園児時代は、目立ちたがり屋な少年期を過ごしました。母が元々幼稚園の先生ということもあり、親としてのプライドもあってか、音楽会で打楽器をやらされたり、劇で主役を任せられていました。とにかく注目されることが嬉しかったので、姉の友達の前で思いっきり叫んだり、ひょうきんな踊りをしたりと、目立つ行動ばかりをしていた記憶があります(笑)

小学生になってからは、急に真面目になります。というのも、父からの命令で少年野球、母からの命令で勉強…と、スパルタ家庭のもとで勉学とスポーツに明け暮れていたからです。特に、少年野球は辛い日々でした。練習自体は週3なのですが、練習がないときも含め、夕方18時になると毎日父に呼ばれて一緒にトレーニングをやらされていたんです。ランニングだけでなく、腹筋・背筋・スクワットなどを小学生の頃からこなすのは珍しいと思いますが、当時の私にとってはそれが当たり前の日常でした。

高学年になると、コーチから指名されて少年野球チームのキャプテンも務めました。自分よりも身体が大きくやんちゃなメンバーも沢山いた中で、やるべきことをはっきり伝えてみんなを動かす経験は精神的な成長にも繋がりました。他方で、学校ではその反動もあってか、コントやネタを披露してふざけていました。良いバランスが取れていた、充実した小学校時代だったと思います。


中学では硬式野球チームに、高校では強豪校の水球部に。スポーツを通して、礼儀や強固なメンタリティーを身につけられた。


中学にあがってからは、これまでのひょうきんな自分とはおさらばしたいと思い、急にクールな大人に憧れて静かなキャラを演じ始めたことを覚えています。あとは、流行りに乗ってギターも始めました。どうにかモテたかったのだと思います(笑)スポーツは引き続き野球を選びましたが、ある日、肘と膝を故障してしまいました。怪我をしながら練習するのは身体的に辛かったですが、野球はもはや生活の一部となっていたので、”やめる”という選択肢は自分の中になかったですね。

しかし、小・中と野球をやりきった達成感があったので、高校では水球部を選びました。本当はバンドがやりたかったのですが、父親に「やめるならもっとしんどいことをやれ」と言われ、高校が水球の強豪校だったということもあり渋々選んだという感じです。水球では、1年目に怪我をしてしまいプレイヤーとして活躍できない期間を経験したのですが、どうにか力になるべく、チームの分析や作戦を考えることに徹しました。私は企画をすることがものすごく好きなのですが、当時のこの役回りが今の得意分野に繋がっているなと感じています。もちろん水球は野球に劣らないくらいにしんどいスポーツでしたが、チームメイトに恵まれていたことが救いでした。

改めてずっとスポーツに打ち込んできた思春期でしたが、仕事に不可欠な上下関係のコミュニケーションや礼儀を学ぶ意味では、為になる経験をして本当によかったと思います。また、どんなに辛いことがあっても「あれだけ辛いことがあったんだから、それと比べたらなんでもできるな」と思えるメンタリティーが身についたことは大きな自信になりました。

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学生時代は研究に打ち込みつつ。オーストラリアでワーキングホリデーを経験。バックパッカー生活を通して、”働き方”の多様性を現地で学んだ。


学生時代は、理工学部に入学しました。入学当初は華やかなキャンパスライフをイメージしていたものの、実際には研究に追われる日々を過ごしましたね(笑)私生活では、子供と大人向けにスイミングスクールのインストラクターのアルバイトに打ち込みました。自分が試行錯誤して用意したレッスンプログラムを通して、レッスン生が目に見えて成長していく過程を見るのは非常にやりがいがありました。

一番印象的だった学生時代の経験は、バンド活動を一緒にやっていたメンバーに誘われて行った、オーストラリアでのワーキングホリデーです。私はこれまで「誰の助けもない状態で自分一人で何かを成す」という経験がないことがコンプレックスだったんです。当時は就活前だったので迷いもありましたが、持ち前の冒険心が後押ししてくれました。

オーストラリアでの生活は、実際にはワーキングホリデーというよりも”バックパッカー”のような生活でした。当時はお金がもったいなかったので、最初の数週間でホームステイ、その後数カ月間シェアハウスをした後は、オーストラリアを縦断する旅に出かけたんです。道端で野犬やカンガルーに追いかけられたり貧困村で現地人に襲われたりと、スリル感ある経験もしましたが、当時は圧倒的な足の速さで逃げ切ったので、父のスパルタなトレーニング指導には改めて感謝しています(笑)

オーストラリアでの経験は私の中で、「働き方の多様性」を許容する大きな機会となりました。昔から、「仕事をするからには、好きなことを一生懸命やってやりがいを感じられるように働くべき」というのが当然と思っていたのですが、出会ったオーストラリアの現地の方々の中には、「他に大事なものを守るために嫌な仕事でも文句を言わずにやる」という姿勢の方もいて、仕事に対する価値観というのは人それぞれでいいんだろうな…と感じたんです。そこで、『「働く」ことに対する価値観に優劣がないと認められるような社会を実現したい』と漠然と感じていた想いから、「リクルートマネジメントソリューションズ」という人材領域の会社での社会人生活が始まりました。

社会人のスタートは、想定外のコーポレート部門。全社的な業務改善プロジェクトに関わる中で、”企業法務”としてのあるべき姿を追い求めた


社会人1年目は、想定外の出来事から始まりました。当初は営業を希望していたのですが、経営企画部の法務・コンプラ・総務グループに配属されたんです。当初はやりたい仕事と違うなら…と本気で辞めようか迷いましたが、一緒に就活をしていた友人の「いきなりコーポレート部門で経験出来るのってすごいことだよ!」という一言で思い留まり、一旦まずはやってみようという気持ちで挑みました。配属されてからは、コーポレート部門という職域の特性もあってか、最初から業務の目的や意味、自分がどのようにその会社で価値を発揮できるのか等、会社という大きな枠組みの中で物事について俯瞰的に考える視点が身につきました。

社会人2年目では、法務部門の仕事に主に従事しました。日々案件は増え、仕事の難度も上がり、辛い時期が続きました。他方で、持ち前のメンタリティーの強さが功を奏してか、「どうせやるなら、営業の先にいる取引先にとって価値のある仕事がしたい」と思えるようになりました。顧客志向を意識したのはこの頃からでしたね。

社会人3年目では、新たなチャレンジの機会がやってきました。当時、事業部の統合や売上拡大により、法務グループは多忙を極めていたのですが、そんな状況を「なんとかする」という漠然としたテーマ感でリーダーとして全社的な業務改善プロジェクトを推進することが決まったんです。

このプロジェクトでは、まず、社内の法務の業務を分解し、どこに時間がかかってるかを洗い出すことから始めました。当時、会社としては「戦略法務」に舵を切りたいと思いながらも、実際には「予防法務」(予めトラブルを未然に防ぐための業務)に時間がかかってしまっている状況だったんです。また、他社の法務にヒアリングをする中で、どの会社も自社の契約が細かく追いきれてないという課題があることに気づき、「本来手をつけたいと思っていることに手をつけられていない企業法務の実態をどうにかしたい」という社会的な課題感を持ち始めるようになりました。この課題を少しでも解決するために、マネジャーとディスカッションを繰り返したり、KPIの設計に関わるなど、質の高い仕事をさせていただいたと感じています。この頃から、”企画力”次第で会社をより良くしていける可能性にやりがいを感じ、会社で働く意欲がグッと上がったことを覚えています。

「契約とは締結することが目的ではない」抱えていた課題感とぴったり一致するContractSの世界観に惹かれ、一瞬で転職を決意。

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社会人4年目の上期が終わったタイミングで、”転職”という選択肢を考えるきっかけが訪れました。当初希望していた営業部署への異動が決定したんです。その頃はリクルートマネジメントソリューションズという会社が大好きだったので思い悩みましたが、既に自分の中では「社会人としての一つの区切り」がついていたと感じたので、このタイミングで改めて営業として働くイメージは思い浮かばなかったんです。むしろ業務改善プロジェクトを通して、私の関心事は「世の中の企業法務への課題感」にまで広がっていたので、ここまで思い悩むなら、いっそのことその課題感に手をつけている別のフィールドに挑戦する選択肢もありなのではないかと思ったんです。

友人に紹介してもらったスタートアップ特化型のエージェントを通じて出会ったのがContractSでした。ContractSがコーポレートサイトやプレスリリースで打ち出していた「契約マネジメント」という世界観のメッセージを見た途端、「これだ!」と一瞬で応募を決意したことを覚えています。特に、「契約とは締結することが目的ではない。本来は企業の生産性向上のためにあるものだ」というメッセージが刺さりましたね。ここまで自分の課題感とぴったりと一致する考えを持つ企業はあるのだろうか…と感動を覚えました。

また、世界観以外での魅力として、ContractSの”人”の雰囲気も魅力でした。私は前職で周りのメンバーに恵まれていた経験から、「誰と働くか」を価値観の一つとして大事にしてきていたのですが、ContractSの面接で採用責任者の増井さん、CEO笹原さんや吉田さんと会話していく中で、自然と自分がこの中で働くイメージが湧いてきたんです。言語化するのはなかなか難しいのですが、「あったかいな。この会社で働きたいな」と感じたのがContractSでした。最終的な決め手はそこだったのかなと思います。

「自ら変化を起こせる人材でありたい。」お客様と距離が近いセールス領域で、売り方の仕組みづくりをどんどん考えていきたい


現在、ContractSではフィールドセールスチームのメンバーとして、顧客にContractS CLMの価値を提案する営業に従事しています。3月に入ったばかりで、まだ一人立ちして間もないので、毎日商談の経験を積み重ねながら、猪突猛進している状態です(笑)

まずは一人前のフィールドセールスとしてContractSに貢献できる成果を出すことが当面の目標です。他方で、「変化を自ら起こせる人材になりたい」という理由でスタートアップの環境を選んだので、しっかりと「売り方の仕組みづくり」にも取り組んでいきたいと思っています。

極論、私は「職種」にはこだわりません。ContractSの”世界観”と”人”に共感したことが今ここにいる理由なので、純粋にお客様と距離が近いセールス領域の中で、できる最大限の力で自ら変化を起こせる仕組みを作り、ContractSの成長を引っ張っていきたいです。
(本記事は2020年5月に取材したものです。)

ContractSへ興味をもってくださった方はぜひご応募をお待ちしています!
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