恋を恋と認識する前のおもいで


初恋という名前をつけた恋は11歳の時のあの時のものだと思い込んでいるが、初恋という名前も知らないもっと原始的な初恋は多分9歳くらいにしている。


そのとき確か、「お兄ちゃん」は大学生で、名古屋大学で航空がなんとかかんとかというお勉強をしていた。

おにいちゃんはわたしと違った大きい骨格を持ち、髪は黒く癖っ毛で、“音が振動であることがはっきりわかる“くらい低い声をしていた。
「第二次性徴ってのがあって男の子は声が低くなる」と保健の授業で習ったアレを思い出してどうもむず痒くなったのを思い出す。
お兄ちゃんの声は低くて落ち着いた。

おにいちゃんは時々、おばあちゃんの家に遊びに行った時にいて、それはだいたい夏だった。
毎年会ってるはずなのに、9歳の夏だけなぜかははっきり覚えている。


お兄ちゃんは突然帰ってくる。おじいちゃんの軽トラックを乗り回し夜ご飯のギリギリ前に滑り込んできた。

夜になればおじいちゃんと一緒にビールを飲んでいた。
白い箱に入ったタバコは苦くて薄い層になって鼻に残る匂いがした。おじいちゃんはお兄ちゃんといつも楽しそうに喋る。大きな笑い声が響く。話題に入りたくても難しい。黙っておばあちゃんが向いてくれた桃を食べる。
桃はちゅるっとして光って、少しザラザラしていた。
みたことないバラエティ番組が流れ出した時間にだいたい眠くなってきて、お母さんに「ねなさいー!」なんて言われてから敷布団と蚊取り線香の匂いのするお部屋に連れて行かれるのが常だった。
「おやすみ」はおじいちゃんじゃなくてお兄ちゃんのために言っていた。

わたしの方が早く起きてお兄ちゃんのところに近づいてみたら、死んでるんじゃないかというくらいよく眠っていてパパみたいなお髭が生えているのに気づく。じっと見入ってしまった。

お兄ちゃんは時々わたしと遊んでくれた。お人形遊びだったり、お絵かきだったり、縄跳びだったり。
お母さんに言えば少しびっくりするようなわがままをお兄ちゃんは「うんうん」とか「いいよ」とか「そうだよね」とか聞いたことがないほどの綺麗な標準語で受け止めてくれた。

お絵描きをする時、お兄ちゃんはだいたい頬杖をついて何をするわけでもなく私の絵を見ていた。
お兄ちゃんから誉めることはないし、そもそもずっと黙っていた。「どう?」って聞いた時だけ「いいじゃん」と返してくれた。

いろんな遊びをする時も、一緒にお昼寝をする時も、お兄ちゃんはタバコの匂いがしていた。一緒にお昼寝する時は緊張してしまうから、お兄ちゃんが寝た後に少し離れて寝るのがコツだった。



お盆が終わって明後日帰るという時に、おばあちゃんの家の裏の山に行かない?とお兄ちゃんに誘われた。人生で初めてのデートだった。結局蜂がいるとかなんとかの理由で引き返した。


恋ってなんだろう、恋がコレかとわかる前のごちゃごちゃした気持ちは恋ではないと思うんだけどむずかしい。仮にこいだとしても親戚のお兄ちゃんなので🙅🏻‍♀️である。汗
心の発達と共にきちんとした恋心が形成されるなら、発達の間に合っていなかっただけの可能性もある


恋が恋だとわかる前に恋に落ちてどんどん深くのめり込む作品が好きで、三島由紀夫の潮騒とかダフニスとクロエとかが大好きで何回も何回も読み直している。そこに制限されることのない自由と自然美があることがすごく良いのだ。

でも今、思い返すとわたしの初恋はなんだかそれに少し近かったのかもしれないな〜。



おわり




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