反ユダヤ主義

「反ユダヤ主義」への証言で批判 ペンシルベニア大の学長辞任
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231210/k10014283861000.html

微妙な問題なんだろうな、と思った。

私自身、自分がやらないように気をつけているのは、誰かの発言の一部を切り取って引用して、その方の本来の趣旨とは異なる使い方をしてしまうこと、なのだけれども、案外自分が気づかないだけでやっているかも知れない。
特に、差別や偏見に基づいた話題に関する内容の場合、前後の表現次第に反して、切り取り方次第では真逆の意味を持たせることも可能で、本来の趣旨を損ねる使い方は、もし私自身が悪意や敵意を持っていれば、やろうと思えばできる「揚げ足取り」だろうな、と思えた。だから、

このうちマギル学長は、学生が反ユダヤ主義を巡る発言をした場合、嫌がらせにあたるか聞かれたのに対して「文脈による」などと答えました。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231210/k10014283861000.html

この「文脈による」は、なんだか、当たり前のことを言っているように思えたけれど、なんとなく感じたのは「あ、切り取られたな」だった。

日本に住んでいれば、親ユダヤも反ユダヤも、皮膚感覚としてはまったく理解できない。私自身は、ユダヤ人の友人(彼を、知人ではなくて友人と呼んでも、怒られないだろうな、とは思う)がいるけれど、そもそもが、黒人だろうが白人だろうが、黄色人種だろうが、ユダヤ人だろうが、パプアニューギニア人だろうが、韓国人だろうが、中国人だろうが、一人一人についてはヒトという括り以外は気にしたことがない。無論、本人のアイデンティティの一部として、ありのままの事実として、「何」人という言い方はするけれど、やはり、「だから、なんなの?」としか言いようがない。

もういいや、わかった、とにかく私も、反ユダヤ主義と受け止められないような発言(書き込み)には気をつけよう、とは思う。

ただ、イスラエルがユダヤ人国家だとして、「イスラエルは」を「ユダヤ人は」と置き換えても支障がないならば、言いたいことがある。

歴史的にユダヤ人がどうか、については、よくわからないことは書かない。ただ、現在進行形のパレスチナ人の大量虐殺に関して、ユダヤ人は残虐な人たちだと主張することは、「現在進行形の事実に基づく認識」として、全世界に共有されていると思うし、「主義」でもなければ、「反ユダヤ」でもないと、私は感じている。
だから、2023年以後、ということで、ユダヤ人の残虐性に事実として言及する分には、なんの問題もないんだろうな、と私は考えている。

無論、私のユダヤ人の友人については、ユダヤ人である以前に彼は友人だし、彼が残忍だとは全く思っていないけれど。

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