兵器のない世界

私が「師匠」と呼んでいるある方の講演会の内容から。
既に何度も書いているけれども、師匠は、埼玉県秩父市に肉体を持たれて、秩父周辺で活動されていた「創造主の意識」を受け取れる方だと、私は理解している。
こんな訳のわからないページを掲載させていただいているnoteには、ただ感謝。

ラファエル様だった師匠が、なぜ、九次元(ゼウス様、イエス様、お釈迦様、アッラー様、孔子様、などなど)を飛び越えて、直接「創造主の意識」を受け取れるのか、その辺の話題と根拠の説明も、講演会で話されていたけれども、いずれ、(私が生きている間には)書きたい。一般の方も参加できる講演会の時に話された内容なので、一人でも多くの方に知って欲しい、とは考えるけれど、今は書かない。

師匠は、以前講演でおっしゃった。「火薬を発明したノーベルは、地獄の深いところに落ちているよ。」「そもそも、火薬みたいなものが、人類に必要だったのかな?」
「実在界(霊体の世界)では、肉体を持っている時と同じようにみんな生活しているけれど、山を崩すとか、森林を伐採するとか、そうした仕事は実在界にはない。」とも、おっしゃっていた。
自然は、あるがままに受け入れる、不必要に改変しないのが理想系、だと私は理解している。

その一方で、「自分とは異なる考え方の人と接して、相手を理解する、一人でも多くの人と接点を持って自分の進化に役立てるのが、肉体を持つ目的」という趣旨の話も、何度となくされていた。だから、一人でも多くの人と接することに役立つ技術、新幹線にせよ、飛行機にせよ、自動車にせよ、師匠は否定されていない。新幹線を通すには山に穴をあける。高速道路を通すのに森林を伐採する。それらについては、師匠は問題視はされていなかった、と私は理解している。
例えば「お金」。経済活動の血液とも言えるけれども、「お金」があるから、人々は効率的に多くの人と接することができる。その辺の話も、師匠はされていた。
つまり、「自分以外のヒトと交流するための『手段』については、問題ない」と私は理解している。

わかりやすいのが「お金」だろうと思う。それを「目的」にしてしまった方々の多くは、おそらく、なかなか地獄から戻れない。「欲の使い方」の軌道修正は、なかなか難しい。
ならば、「火薬」はどうなんだ?と、考えたことがある。
火薬は、「銃」など、人間を含めた生き物の殺生のために使われるケースが、圧倒的に多いように感じる。ビルの解体だとか、土木工事だとかに使われるケースもあるのだろうけれど、火薬の発明によって、人類は「他人を殺す能力」を圧倒的に高めた。これも「他者の冒涜」の延長で、軍事力の行使(仲間を守るため、を遥かに超えて、他者を殺戮するために使ったケース)を決断している方々は、勝手に落ちればいいとは思うけれども、だから、ノーベルは地獄から出られなくなっているんだろうな、と私は理解している。確か師匠は、そうした話題を講演で話されている。
ノーベルだけじゃない、アインシュタインも同じ。原子爆弾の製造に関与した。その延長の、水爆だとか(核分裂ではなく、核融合であっても)それらを使うことに抵抗感を持たない方々も、勝手に落ちろ、とは思う。殺された側は、「自分が今、生きているか、死んでいるか」さえ、きちんと把握できるなら、たぶん、なんの問題もない。すぐに次の機会があるから。

若干話が逸れるけれども、「人間なんて、死んだらそれで終わり」だと思っている方々のかなりが、死んで肉体を抜けた後、自分が死んでいることがわからないらしい。「自分という意識があるんだから、自分は生きているに違いない」と信じ切って行動する。そうして(日本語的な表現だけれど)この世に彷徨っている霊体が、現代はかなり増えている、らしい。師匠は、「例えば、壁をすり抜けることができたとか、したら、あれ?自分は死んだかも知れない、と自分が死んだことに気付くことが大事」だと、話された。そして、どうやら自分は死んだらしいと気付いたなら「自分は、どこへ行ったらいんだろう」と考えることが大事、らしい。自分が死んだことに気づいて、「どこへ行ったらいいか」考えたなら、間違いなく、「迎え」が来る。素直についていけば、行くべきところ(地獄)に一旦行って、それほど意識体として汚れていない、何が悪い行為か(例えば、兵器で自動小銃を乱射するのは、他者への冒涜だとか、)自分で気づくことができるなら、それほど地獄に長逗留せずに上に戻れる、と私は理解している。(だから、生きている間に、一つ一つの「思い」の善悪を自分で判断することが大事だと、理解している。確か師匠は、それも直接的に言葉にして話された。たぶん、私は、しつこいくらいこの話題を書いている。なんとしても、一人でも多くの方に知って欲しい。)

で、本題。AI(人工知能)はどうなんだろうか?

「お金」のように、あれば便利なものには違いない。ただ、師匠の講演会の文脈を考えるに、「完璧な答えを出す」ことを自分自身が行うなら、それは経験として進化に役立つだろうと思われるけれど、AIにただ依頼して、AIが吐き出した言葉をあたかも自分の言葉のように使ったとしたなら、「あんた一体、何のために肉体をもったんだ?」というような結果になりそうな気がする。はっきり言って、「魂としての進化」(という、本来の肉体を持つ目的)を重要視するならば、AIは、無用の長物のように思える。これは、生成形AI に限った話、だろうか。AIも使いようによっては、便利な場面も多いけれど、本来人間が自分の意識(魂)で判断して、その結果によって「進化」を遂げる「経験値を高める」ためには、全く役に立たないという気がする。生成AIなどに頼れば、おそらく進化が遅くなる。

ましてや、AIが軍事利用されることが常態化したなら(というよりも、おそらく常態化するだろうけれど)AIは、はっきり言えば、存在すべきじゃなかったことは間違いない。
そうなると、現在のAIを開発し、可用性を高めたエンジニアの多くが、「直接的な責任」を負うことになるように感じる。
例えば、GPU(Graphics Processing Unit)がAIに有用であることを提唱したエンジニア、学者だとか、関係する多くの方々が責任を負うことになる、ような気がする。

以上、話の枕が長かった割には、本題は短かった。このページについては、文責は私なので(というか、自分の言葉で書いていなくても、最終的な文責は私になると思うけれど、)このページ自体、読み返して加筆修正はあるかもしれないし、180度、この内容と違うことを書き直すかもしれませんが、、、。
(眠い、とりあえず、アップしたけれど、読み返す気力がない。また後で、、、。)

以上

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