夢の気まぐれ。

こんな夢をみた。

金曜日の帰り道は、レンタルビデオ屋で待ち合わせをしよう。VHSなんてもう1本も置いていないのに、いつまでもDVD屋さんとは呼べないね。いつかはブルーレイ屋さんになってしまうのかな。想像もつかない。お互いの好きなタイトルを借りよう。二人ともホラーは得意じゃないのに、時々、示し合わせたみたいに持ってくるのはなんでだろう。きっと一人じゃ観られないからだね。再生する前にお風呂に入ってしまえばへっちゃらだよ。たまにはピザもとろう。とびきり大きいサイズの、ハーフ アンド ハーフ。果物が乗っているやつは嫌だな。チーズケーキが食べられない理由と一緒。宅配のお兄さんを待っている間にポップコーンも作ろうか。フライパンを揺すりながら、蓋を押さえている手を離したらどうなるだろう、と考える。考えるだけだよ。弾けたポップコーンが床いっぱいに広がったら、小さい頃、キティちゃんの販売機に両手と顔とをくっつけていた気持ちになると思うんです。エンドロールは人を寝かしつけるためにあるんだ。嬉しくなる映画も、悲しくなる映画も、同じ終わり方をするのは、仲が良いからじゃない。冷房を寒いくらいにかけたときの毛布が気持ちいいのと、物語の好きな部分だけ繰り返し開く手つきとは、根っこが同じ部分でつながっている。もちろん目覚ましなんてかけてないから、先に起きた方が、二人分のコーヒーをいれよう。普段、朝ごはんなんて食べられないけれど、朝昼兼用のサンドイッチは特別だよ。卵が甘いのか辛いのかは、食べるまでわからなくてもいい。本を読んだり、音楽を聞いたり、それぞれ好きなことをして日が沈むのを待つ。涼しくなったら、近くのコンビニまで歩いて行って、ちょっと御行儀は悪いけど、アイスを食べながら帰るのだ。冬になったら、あんまんがいい。夜になる前にいろんな味のパスタを作ったら、おうちの中でバイキングができるね。ピアスは開けないでいてね。引っ掛けてしまうのが恐ろしくて、とても君に触れなくなる。

いつだったか、眠る前にこんな話をした。ああでもない、こうでもないと、来やしない休日の過ごし方を、通話アプリ伝いに、電子信号に変換された声。粗悪なイヤホンは、君が煙草を吸うためにだけ回す換気扇につながっている。瞼の裏側では、型押しのクッキーがまだ焼けない。

目を瞑って、人と話をしていると、いろいろな夢を観る。起きているときに、話の内容と全く関係のないところで、頭の中に明瞭なイメージが再生されるので、夢に限りなく近い何か、なのだけれど、あんまりにも突拍子がないものばかりが、目をあければすぐに消えてしまう。眠っているときに夢を観ないタチなので、夢のほうが痺れを切らして、もしくは、類稀なるサービス精神で、僕に観せているに違いない。入園料を払っている訳でもなしに、物好きな奴だ。

「理想の休日」の話をしているあいだ、僕がずっと思い浮かべていたのは、クッキー作りの様子。生地を広げて、丸い型で端っこから抜いていく。ただ丸いだけじゃなくて、大きいのも、小さいのもあって、穴だらけになった生地は、一つにされて、また伸ばしての、繰り返し。抜いた分がどうなるかは知らない。ただ、生地に型を当ててほんの少し力をかけると、その部分に穴があくので、それが僕の役割なのだけは判っている。あたりにはバターではなくて、取り込んだばかりの洗濯物をしまった棚を開けたときの良い香り。オーブントースターは見当たらないし、そもそも、視線は手元に固定している。焼くのは僕の仕事じゃないから、オーブンがあっても、なくても、さして問題じゃない。こねて、抜いて、まとめて、抜いて、生地はずっと無くならない。起伏のない話の説明はむつかしい。とにかく、そんな映像が、ずっと見えている。頭の中じゃなくて、瞼の裏に投影された現実を観ている。クッキーを焼こうね、なんて話は一切していないのだから、いっそう不思議だ。他の話をしているときは、また別のものが観える。共通しているのは、ループすること。終わりのないこと。生産性のない会話への戒めだろうか。どちらにせよ、目を開ければ、話をやめれば、それでお終いの、儚い人の夢。

友人と、このささやかな幸せを実行する機会があった。結局昼過ぎまで寝てしまって、計画の半分もチェックを付けられなかった。いつの間にか大きなピアスがぶら下がっていた耳たぶに、こっそり触ってみたけれど、いつ裂けてしまうんじゃないかとドキドキしてしまって、柔らかさは忘れてしまった。クッキーは今も焼けていない。



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