傘とチョコレート。

スマートフォンは、今や脳の代わりになった。いやだね、と、センセイは言う。考えること、その起点、先の表現に至るまで。図鑑を開くに、人間は、頭を大きくするために進化をしてきたみたいだ。今日も首が痛い。ついでに、腰も。頭を外に出したから、そのぶんだけ身軽に、どこまでも歩いてゆける気がする。大陸を渡ったご先祖さまの旅路よりずっと遠く、軽くなくちゃ、宇宙にはいけないね。

あのチョコレートはいつまでが新発売で、いつまでぼくは本を読むんだろう。

綺麗に食べれた手羽先の、ふたつに別れた細い骨を、膝も使わず折ってみる。そんなにちからはいらないけれど、予想打にしないとこがとんがって、なんてことしてくれたんだって怒られたような気持ち。そんなことは、ないんだけど。飛ぶ鳥の骨を、触ったことはないけれど、きっともっと容易く折れる。空にいくために、骨の中身をすっかり抜いてしまったようだ。羨ましいなと思う。僕も空を飛べたらなぁ、なんてことは言わない。徒歩で、いいんだけど。軽いことが、羨ましい。重たい方が強いと思っている人はたくさんいるけれど、僕はとにかく、軽くなりたい。毎日のように爪を切る。髪を切り終えた後、椅子から立ち上がるのが好きだ。リュックをロッカーに預けて学校にいこうかな。いつかは学習机を捨てよう。

きみの声に似た電気信号。現実に近づいたデジタルに、おやすみってイヤホンを通ってきてもらわなくちゃ眠れない。

なんでもセンセイにきいた。円の公式、小鳥の言葉、死ぬのは怖い?

想像力がない人は、生きていきやすいんだろうな、と思う。気付くと死にたくなることって、1日のなかにたくさんある。傘を、後ろに大きく振って歩く老父/足を大きく開いて座るサラリーマン/階段で急に立ち止まるカップル/冷たい指摘
気が付かないフリも、必要。できないヒトから死んでいくから、美しい人は、強くなければ、死んでしまうから。

ヤなやつでいいから、生きていて欲しいのに。

善意も悪意も好意も嫌悪も、押し付けがましくて仕方がない。押し退けあっていくしかない。結局のところ、だから死ぬときには、一人なのだ。

昨日買った傘を開かないままで人に貸した。

帰り道に考え事をしていたら、うちについてコーヒーをいれる頃には忘れてしまって、すこし悲しかったけれど、お風呂につかっていたら思い出したので、すごいな。思考は、もしかしたら、毛穴とか、爪の間を、自由に出入りできるのかもしれない、それできっと、蒸気と一緒にもどってくる。

走馬灯は、今までに出て行った考え事が、空気の中の水に残っていた分だけ、集まって、よく見えるようになるのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?