欲と乾き。

同窓会が中止になって、ホッとした。どうしようもなく好きだったあの子も、今思えばほんの子供で、たかだか3週間の席替えに一喜一憂していた日々こそ懐かしいが、顔も名前も大して思い出せない。LINEのグループへ、しつこい招待に根負けして参加をすると、僕が最後で、誰も死んでいなかった。
人がいま何をしていて、僕がいまどうしているのか。そんなものをシェアしたって、どうなるでもない。それでも、知りたいような、知られたいような、ここぞとばかりに顔を出す顕示欲。自尊心とさえ呼ばせてくれない。一度世間様の目に触れれば、もう、醜く肥大して、自分でさえ押し潰されてしまう。はじめは、褒めてもらえると思ってかざしたはずなのに。夜になって恥入れど、日が登って悔やんでも、人も己の記憶も消えぬ。

車の運転は楽しい。アクセルを踏んだだけ進み、ハンドルを切れば曲がる。後退も転回もできて、燃料が切れれば動かない。
全てが自分の想像の通りに起こり、逸脱しない。扇風機を真正面に置いて、瞼を閉じた僕は、どこまでも真っ直ぐ続く、よく舗装された、広い道をドライブする空想に身を委ねる。

創作の原点は、乾きにだけある。僕のことで、僕が一番よくわかっている座標。思考し、表現する行為に、決して短くはない時間を捧げてきた。満ち足りているひと時は、こうして文章を綴る気にもならない。
お前は孤独の人だ。孤独の中でしか僕として生きられないと。僕を評する人々はそう繰り返す。
友人には恵まれている、父親の愛を受けて育ち、裕福ではないにせよ、望めばどんな進路にだって背中を押してくれたろう。
高校に入学したばかりのころ、一番ものを創ることに執着をしていた時期は、国民的アニメに描かれるような理想の家庭、下校中に香るお出汁だとか、灯のついたリビングを渇望していた。よい作品を溢れるほどに描いていたと思う。

致命的に不得意なことが3つ。スポーツ、地理、暗算。それ以外のことは大抵、少し手ほどきを受ければ、また、マニュアルのようなものを読めば、「頑張っている人」より上手くやってきた。その驕り。大海に出ればあっけなく打ち砕かれる程度のもので、慣れてしまえば鼻を伸ばすこともない。
一夜漬けで成功してきたツケ。努力への抵抗。何事も一番にはなれない。その苦しみ。
ほんとうに恐ろしいのは、幸福でなく、妥協による満足だ。
孤独に生きることも選ばない。
選択の余地に毛布を敷いて寝転がる。

親しい友人たちを、僕は、心から尊敬している。よりかかれる安心感を、見出そうとしているのかもしれない。そんな綺麗事。自分の体を軽くするのに必死なだけだろう。

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