兄の結婚。

兄と僕とは9つ離れていて、父親が違う。

家を空けがちな両親に代わって、僕の面倒を一番みてくれていた。もうすぐ誕生日を迎える彼は、きっともうすぐ結婚する。多分僕は手紙を書くだろうから、このnoteはその下準備だ。

180cmをこえる長身に、ゴツゴツのシルバーアクセサリー。いつもお尻の半分くらいで履いていたプーマのジャージの裾を、安全ピンで留めていたのをよく覚えている。小さい頃から、地面ばかり見ていたのだ、僕は。授業参観や運動会には、自分の学校を休んで来てくれた。兄ちゃんの三者面談には、僕が行った。とにかく、自慢の兄ちゃんだった。もちろん、今だって。

高校に入って野球をやめてからは、半グレみたいな仲間がいつも家にいたけど、おかげでいつも、「ただいまぁ」と帰れば、誰かが「おう!おかえり!」と迎えてくれた。これって、とってもラッキーだ。ごくせんに出てくるクマそっくりなテルくん、眉毛がテグスほど細かったアンちゃん、元気にしているだろうか。親になっているかもしれない。皆、お兄ちゃんには内緒だよ、とよくお菓子をくれたから、自分の子供になんて、もう、メロメロなんだろうな。でも、みんなには内緒だぞ、って僕に一番お菓子を与えていたのは、兄ちゃんだ。

夕飯は決まってチャーハンだった。卵がちょっと焦げて、食べる場所によって味のてんでバラバラなそれがそれでも一等好きだった。今でこそ、海鮮丼を4杯平らげられる僕ではあるが(この話はいづれ書きたい。いつでもこんなに食べる訳じゃないんだよ、とだけは補足させてくださいね。)当時はかなり食が細かった。幼児用の茶碗どころか、仏様に供える程度で充分。半分くらいは、兄たちの「おすそわけ」のせいだったろうけども。今にして思えば、高校生の男の子が、兄弟のために毎日キッチンに立っていたのだから、すごい。もっと遊びたかったろうに、僕が小学校から帰って、眠るまではうちに居てくれた。兄も、兄の友人たちも、世間から見れば不良の類だったけど、本当に優しい人たちだった。寂しいなんて思いをしたことは一度もなかったし、授業で習ったことよりも、彼らが教えてくれたことの方が、よっぽど役に立っている。

授業といえば、僕は兄と同じ高校に進んだ。田舎だから、通える範囲にそもそも学校が少ないのだけれど、それにしても相当なブラコンだ。これは逆もまた然り、相思相愛なのだから、良いでしょう?

兄の代が散々ヤンチャをしたから、学校側もイメージの改善に躍起になったらしい。制服も違えば、偏差値だって9年の間に随分上がった。通学路や校舎や、ロッカーの落書きはそのままだったので、不満はない。兄を可愛がってくれていた先生がいらっしゃったのも、嬉しかった。公立の学校なので、現役の教員という訳ではなく、定年退職をしてから、講師として授業を持っている倫理の先生だった。僕の名前を見るなり、「兄貴に聞いてるぞぉ、全然似てないなぁ!」と、神経質そうな細い目をくしゃくしゃにして笑うのだ。入学式の日に、兄が電話をしていたらしい。全く、おかげで、素敵な先生に僕は三年間師事することになった。余談だが、兄は素行不良、成績不良、出席不足、その他もろもろの影響で、卒業がかなり危うい状態だった。そんな時に、各教科の先生に、兄と一緒に頭を下げて回ってくれたのがその先生だったらしい。世の中に、先生と呼ばれる人はたくさんいるけれど、その先生ほど、世の中のこと、生きるために必要なことを教えてくれて、生徒のことを想ってくれる先生は、なかなかいないだろう。いつか3人でご飯に行けたら良いなぁ、と思っている。

しかし、それは結構、むつかしい。兄は遠くへ行ってしまった。別に、死んだ訳ではないけれど、東海と九州、物理的に、それなりの距離だ。それにお互い、何かと忙しい。なんとか高校を卒業した兄は、就職した会社を2週間でやめた。人に愛される才のある人だったから、ツテツテを辿って職が途切れることはなかったが、長続きはしなかった。才能ではないかもしれない。兄は極度の気遣いだ。これは、彼が生き延びるために身につけてしまった力だろう。彼が地元を飛び出した理由は2つ。いつからか家にいることの多くなった義理の父に、気を遣って。母は既にどこかへ消えていたので(連絡先、誰も知らないんですけど、もし母が死んだら、警察から僕に連絡きたりとか、するんでしょうか。)血の繋がった家族は僕だけだ。居辛いのも無理はない。もう一つは、まぁ、それなりにクズだったので、会社に前借りしていたお金が返せなくなったからだろう。顔のこわぁいおじちゃん達に囲まれて、「お兄ちゃん、帰ってるかい?」と聞かれたのは今でも根に持っているからな。それで、お付き合いしている彼女さんが、実家に戻るタイミングで、便乗したと言う訳だ。

僕と兄は、仲の良い兄弟だ。兄にとっては唯一の家族。僕にとっては唯一の兄である。昔こそ、僕は兄にべったりだったけど、今ではそれに、ちょっと負い目も感じているので、頻繁に連絡をとることはない。それで家族でなくなるなんてことも、あるまいし。最低限の連絡しか取らないということは、つまり、連絡があったときは、何かあったということだ。先月、久々に来たLINEの内容は、じいちゃんの訃報だった。この、じいちゃんというのは、母方の祖父で、元々強い人ではなかったが、このコロナの影響で、施設に会いに行くこともままならなかった。急いでスーツを着込んで飛び出したせいで、九州から新幹線で名古屋に来る兄を、5時間も待ちぼうけることになってしまった。

数年ぶりに会う兄は、長かった襟足を短く刈り込み、ギシギシの金髪を黒く染めて、黒淵のメガネをかけた大人になっていた。それもよく似合っていて、格好良い。隣には、記憶よりいくらかスカート丈の伸びた、兄の彼女を連れていた。

葬式自体は恙無く終えることができた。受付に立ってはみたけれども、僕含め4人しか参列しなかったから、名前なんて書いてもらうまでも無かった。途中、「鬼殺し」を祖父の口元にぶちまけてしまったりはしたけれど、些事である。

今までの兄の彼女さん達とは、よく遊んでもらったけれど、彼女と話したことは、ほとんどなかった。精進落としを黙々と口に運びながら、兄と兄の彼女さんとのやりとりを、兄と僕とに重ね合わせてぼぅっと眺める。似ているなぁ、と思ったし、兄自身が、自分の恋人を、僕に似ていると紹介した。顔つきとか、背格好は勿論、全然違うのだけれど、それでも、似ていた。自分の弁当箱をじっと見つめていると、兄が「そっち俺がもらうから、俺の分のこれ食えよ」と、こちらの返答を待つでもなくおかずを入れ替える。これ、説明がむつかしいけど、伝わっているかな。僕が何が苦手で、何が好きか、遠慮して言い出せずに、さてどちらから食べようかと考えているのを見抜いて、甘える前に甘やかす。それは今まで僕の特権だったけど、どうやらそうでは無くなった。僕と彼女さんは、無言で顔を見合わせて、ちょっと笑った。寂しくても笑うのだ、人は。

兄はきっとこの人と結婚する。遠く離れた土地で、僕以外の家族を持つ。

彼女は長女だから、向こうの養子に入るらしい。先日、父の荷物に、役所の封筒に入った「養子縁組離縁届け」を見つけた。兄と父は、全く連絡をとっていないはずなので、どうか父がこの紙切れを兄に渡す前に、とっとと結婚してしまって、僕と兄弟でなくなってくれれば良いなと思う。そう何度も、親に棄てられるような思いをして欲しくはない。

兄はもうすぐ結婚する。僕と、兄弟ではなくなる。書類上の話だけど、世の中の繋がりなんてもののうち、形があるのは、それくらいのものだ。

僕を育ててくれた優しい兄。酔うと、「お前は、泣いてる時が一番可愛いよ。前歯が二本とも抜けて、thの発音ができないで泣いてるお前が、一番可愛かった」と繰り返す、意地悪な兄。痛いのは苦手で、仲間が皆タトゥーを入れても、絶対に入れなかったし、ピアスも空けなかった兄。僕が眠ってから、夜中にバイトに行ってたこと、きっとまだバレていないと思っているでしょう。貴方が家を出たのを確認してから、貴方の部屋の漫画をこっそり読んでたから、知ってるよ。ごめんね。

どうか幸せになってほしいな、僕の兄ちゃん。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?