香り語る。

昨日の夜は何を食べましたか。それは、どんな匂いでしたか。

好きな香りはたくさんある。夕飯時のお出汁。うんと熟した桃。カスタードのバニラ。同級生がお泊まりのときに付けてたボディクリーム。夏のはじめの、草刈りされた土手原。ヨモギの葉の裏はコーラの匂い。(これは、あまり共感を得られた試しがない。)憧れの香水、借りた体操着の柔軟剤、洗い立ての犬、父の煙草。まだまだ不安定なコーヒーのドリップだって、上手くいっているときには、飲まなくたってわかる。最近、ようやく、の話だけども。

香りというものは、大抵、何か、記憶と強く結びついていているものだ。それが良いものであれ、悪いものであれ、ある種、バックアップ的な役割を担っている。コインロッカの鍵、なんかも、そう遠くない表現なんじゃないかな。僕は、マイルドセブンの煙に、夢と現実と半分づつに身を置きながら揺られたエスティマの後部座席を思い出す。まるで昨日のことのように、なんてものじゃあない。今、まさに、窓に頬をべったり付けて、運転席とドアの隙間から進行方向を眺めている頃の僕になる。香りが連れてくる記憶は、こんなにも鮮やかで、細やかなのに、肝心の香りを、僕たちは、どうしたって、思い出すことができない。その術を持たない僕らは、だから、なんでも忘れてしまう。それは、少しだけ悲しくて、仕方のないことと、とうに諦めてしまいました。

朝一番のターミナル駅、ホームにも改札のところにも、焼きたてのパンからバターの香りがいっぱいに充満していて、ひどく吐き気がしてしまう。それが美味しそうな香りであることも、事実美味しいのも、よく知っているのに、口の中は嫌な唾液でいっぱいになって、嚥み下すのがやっと。人の流れに巻き込まれる形で、なんとか電車に乗り込むと、ようやく息ができた。少々オーバーな換気は、人熱から逃れるには最適で、賛否あるようだが、かなりありがたい。顔に張り付くマスクと合わせて、プラスマイナ・ゼロといったところやろか。いつか地下鉄のトンネルいっぱいに、チョークで落書きしたい。始発までにはちゃんと消すから。バターたっぷりの甘いパンは、どちらかといえば好物のはずだし、叶うことなら、ありとあらゆる食材をバターを溶かしたフライパンに投げ入れたいと思っている。そのほうが食材のためにもなると、思っている。僕が生まれ変わってエリンギとかになったら、そうして欲しい。美味しく食べてね。放課後に通る分には、お腹と背中を両方から、痛いくらいに押されるので、そのパン屋が怪しい営業をしている風でもない。どうしてだろうな、不思議。乗り物や、人に、自分でも知らないうちに酔っていて、そのときだけ苦手になってしまう説が、今のところは最有力。答えが見つかったら、どこかにメモしておこう。

僕自身が感じていることを、残しておきたくて(失うのが恐ろしくって)、高校の三年間は必死で絵を描いた。油絵で、半年かかった自画像にはじまり、瞬間、瞬間に気持ちがだんだん向いてきて、一枚10秒〜5分くらいのドローイング をするようになって、結局、2000枚ほど描いて、うち3分の2は捨ててしまった。テレピンと、膠と、その他いろいろ混ざった、悪い匂いの良い記憶。今は、写真にその可能性を見つけている途中。残しておけばよかった、とも思うけど、ないのが正解なときも、時々は、ある気がしている。ない、が、可哀想だ。いつも。一度だけ、会場を押さえて、一緒に絵を描いていた子たちと展示会をしたことがあった。作品を壁に、床に、敷き詰めて、この上なく素晴らしい空間を作れたのに、いざ、人に見せると、とても恥ずかしいことをしているように思えてきて、おまけに隅っこにかけて置いた、写実的な油絵の方まで連れて行って、「ちゃんとした絵も描くんです」と言ってしまったことを、ずっと後悔しています。後の自分にも、先の自分にも、悪いことしたな。ごめんね、もうしないから、決して、僕を蔑ろにしたりなんてしないから、善いことするから、ゆるしてね。そしたら今日は、ゆるしてあげる。

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