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日記の効能②


なぜ本を書くのか


なぜ本を書くのか?僕は本にしてお金が欲しいだけなのか?それとも本にならなくてもこの書くという行為がたのしいだけなのか?自分の気持ちがよく分からず心が迷子になっている。今まではただ楽しく書いていただけなのに、他の人の言葉、思考に触れると自分の気持ちを見失うことが度々ある。そう考えると、本を読むこと、他者の情報に触れることは、自分の心に迷いが生じる原因でもある。しかしまた、他者の言葉に救われたことも何度もあるのだ。この世の中は自分1人ではどうしようもならないことばかりだ。自分1人でここまで過ごせたわけではなく、父さん、母さん含め色々な人が支えてくれたおかげで今がある。また、本の言葉によって無知な自分を成長させてくれたり、時に勇気を出して一歩踏み出すきっかけも与えてもらった。何事も使い方次第ということなのだろうか。本の中に答えを求めてしまうと苦しくなる。この本にはあなたの人生を変えるヒントは転がってないかもしれないが、ここに答えはない。答えというのは、自分で考え、導き出すものだ。だから本の中に答えを探すというのは、他者に自分の人生を委ねていることでもある。結局は自分で考えること。自分と向き合うこと。考えるために書く。向き合うために書く。書くことから始まる。日記を書く行為は、自分の内なる答えに気付くための近道でもある。頭の中で漠然と考え続けるよりも、とりあえず書いてみる。そもそも自分は何に悩んでいる。もはや悩んですらないのではないかと気付くことさえあるだろう。僕は日記に可能性を感じている。でないと日記を10ヶ月もの間、毎日書き続けられるわけがない。また、日記を書き続けることで自分自身の軸となる部分が少しずつ見つかっている感覚すらある。今までは自分の軸ではなく、他者から決められた軸で生きている感覚だった。それは、本ばかり読んで自分の気持ちをどこか置いてけぼりにしていたからだと思う。自分の考えに自信が持てず、いつも本の中に、ネットの中に正解を求めていた。そして自分と同じ考えを持つ人を見るとホッと安心していた。他社は全く関係ないのに。今でもまだその癖は消えていない。いや違う。以前の僕は自分の考えを知らなかったんだ。自分と同じ考えを持つ人を見て、この人は僕と同じ考えを持ってると嬉しくなり、その瞬間、僕はこんな考えを持ってるんだ、この価値観を大切にしているんだと気付いたんだ。その時はそんなことを思っていなかったが今そのことに気づくことができた。僕は自分を知らなかった。周りを気にして、周りに合わせて生きてきて、自分の考えを抑え込んで、心の奥底にしまっていた。そして本の中で自分の意見を堂々と主張している人をみて、その中でどこか自分と似た考えを見つけて嬉しくなっていたんだ。自分の意見を言うことは難しい。相手のことを気にすればするほど言葉を慎重に選んで、挙げ句の果てには何も言えなかったりする。自分を押し殺すことは苦しい。押し殺し、押し殺し、自分という存在が分からなくなる。言葉を吐くことも辞め、言葉すらも心の奥底に眠らせてしまう。そして、自分の気持ちと共に安らかに眠っていく。眠っていく言葉を起こすには、毎日少しずつ言葉を使うことから始める。なんでもいい。日記に書いてみる。おはよう。今日も生きてると吐き出してみる。私は生きていると気づく。当たり前のことに改めて気づく。僕は文字を書いている。右手を動かしている。イオンのフードコートに座り、少し高さの低い机にノートを置いて、黒の水性ペンで本を書いている。手は少し疲れてきている。周りから女子高生が友達と喋っている声が聞こえる。さっきまでも聞こえていたはずなのに、今聞こえたと改めて認識する。さっき抹茶とバニラのミックスソフトを食べた。冷たくて頭がキーンとした。味はすごく美味しくて幸せを感じた。260円のアイスを買えるほどの豊かさがあることを知った。そしてまた、この日記をのんびり書けるほどの時間、心のゆとり、体力も持ち合わせている。僕は幸せ者だ。書くことで幸せ者だと気づいたんだ。幸せも成長も実感するものではなく、気づくものなんだ。書かなければ分からない。声に出さなければ気づかない。いつもありがとうと伝えることで、そこには幸せな空気が流れ始める。僕は気づくために書いている。それは、成長、幸せ、考え、悩み、豊かさ、何かは分からない。また書きたいから書いている。本を完成させたい。その一心で書いている。本が書店に並ぶ。僕の本が売れる。全く想像できない。想像できなさすぎて笑えてくる。でも本を書くことで心は落ち着いている。本を書き続ければ、僕の人生は何か面白いことが起きるんじゃないかと期待を持てる。この人生に期待を持てることがすごく楽しい。期待というのは希望でもあり、未来に希望を持てることは幸せなことだ。そう考えると僕は希望を持つための行為が好きなのかもしれない。ただの夢追い人なのかもしれない。夢を追い続けて何も夢が叶わず死んでいく人間なのかもしれない。しかし夢は叶えるよりも追いかけている今が楽しいのかもしれない。本を書くという行為は一生夢を追いかけられる。1冊書けば2冊目。2冊目書けば3冊目と次に進むだけで常に夢を持てる。夢が叶うかどうかではなく、夢を持ち、追い続けることが人生の楽しみに変わる。だから僕は本を書き続ける。誰にも求められてはないが、小さな期待を文字に載せる。まだ23歳。焦るな自分。まだまだ人生こっから。年齢なんて関係ない。今できることを毎日少しずつ積み重ねる。また書くぞ。ではまた。

日記を書き続けられる理由


毎日でも書き続けられるもの。それがこの日記である。YouTubeも毎日のように撮り続けている。しかしYouTubeは1日で動画が完成するわけではなく、1週間の日常を動画に収め、それを編集し、やっと1本の動画が出来上がる。もちろんすぐに完成する動画もあるのだが、僕の動画の大半は3日ほどの日常を1本のVLOGにして出すことが多い。それが最近では毎日1本動画を更新したいという気持ちが湧いてきており、それは毎日達成感を味わいたいという気持ちの表れなのかもしれない。それとも日々の不安から毎日作品を作ることで自分を安心させたいのかもしれない。日記を書くこともYouTubeを撮ることも自分の安心へと繋がっている。それぞれ安心の感じ方は違うのだが、日記を書くことは優しく囁かれるように、君なら大丈夫だよと言われている感覚がある。逆にYouTubeを撮ることは今ではなく未来へと一歩前進するような感覚がある。後ろからドンっと背中を押されるような一歩踏み出す力を与えてくれる。また本を書くことは自分の軸を作ることでの安心感がある。軸といっても決して太い幹のようなものではなく、僕の軸は細くもろい。すぐに軸がブレてしまうような、ビュッと風が吹けば折れてしまうような、そんな頼りない軸だ。しかしこの軸に気づき、周りに流されず、1日1日を生きる中で少しずつではあるが軸が太くなってきている感覚もある。本を書くことに意味はないと言われても僕は本を書くだろうし、早く正社員になりなさいと言われても僕は今の生き方を続けるだろうし、周りの意見ではなく自分の今の気持ちを大切にできるようになった。周りからの言葉もすごくありがたいし、時に救われ参考にさせてもらうこともある。また、行動に移すときも相手に言われたから行動に移したのではなく、僕がやりたいと思ったからやってみただけなのだ。結局は自分の意思が大切で、自分がやりたいと思ったことをやってみる。これも僕の1つの軸だ。他にも僕は嫌なことではなく、怖いことにも挑戦するようにしている。嫌なことはやらないが、怖いけどやってみたいことはやるのだ。怖いというのは、その事について自分が知らなかったり、やってみたいけどその先の失敗をイメージして怖がっていることが多い。僕はつい最近、コーヒー屋でのアルバイトを始めたが、それも僕にとってはすごく怖いことだった。コーヒーを自分で淹れたことはなく、特別コーヒーが好きなわけでもない。しかし、美味しいコーヒーを淹れれるようになりたいと思ってしまった。ならその「やってみたい」という気持ちを大切にして、怖いけど一歩踏み出してみようと思い今に至る。まだ三回ほどしか出勤してないが、これがまた意外と面白い。こればっかりは続けてみないと分からないが、あのとき一歩踏み出して良かったなと思う。バイトを応募しただけで受かるとは限らないし、受からなかったら受からなかったで諦めもつくし、何事もやってみないことには分からない。やらない後悔よりやる後悔。失敗万歳。失敗しておいで精神でなんでもやってみたらいい。僕が本を書いていることも普通に考えたらおかしいことだと思う。僕の周りに本を書いている人なんて一人もいないし(知らないだけかも)、周りに本を書いているなんて言っても「はあ‥」と微妙な反応をされて終わりだ。それはお前に本が出版できるわけないだろという呆れた気持ちなのか、そもそも「どういうこと?」というよく分からない気持ちからの「はあ」なのか分からないが、僕はそれでも書き続ける。それは書くことが楽しいからであり、書くことで自分を安心させることに繋がるからだ。僕は不安症の人間だ。常に不安を纏っている人間である。この不安を少しでも取り除くには日記を書くしかないのであり、日記が僕の不安をいつも取り除いていくれる。そしていつも安心して深い眠りにつくことができるのだ。自分を安心させることは睡眠の質にも関係する。安心すると悪夢は見ないし、夜もスッと眠りに入る。スッと眠りに入ると、スッと深い眠りに入り、8時間も寝れば朝もスッと起きられる。別に僕は睡眠のプロではないが自分を安心させることで、僕の睡眠の質は上がってるなと感じるのだ。だから毎日日記を書くことは、自分を安心させることに繋がり、深い睡眠へと導いてくれる。心の安心度合いが深い睡眠と関係しており、毎日日記を書くことで毎日心を安心させてほしい。特に僕みたいな不安症の人は。今日も僕は文字をたくさん書いたことで心が満たされている。それは文字を書いたことだけでなく、考えを言葉にしたことで生まれた新たな考えとの出会いに僕の心は満たされたんだ。日記を書くことはなんて素敵な行為なんだろう。日記は人を癒し、人を安心させ、人を深い睡眠へと誘う。目を瞑り、10秒後にはストンと眠れるほどの落ち着いた気持ちになる。毎日毎日頑張っている自分。生きているだけで偉い自分。そんな自分の頭を撫でて、今日も安心して眠ってほしい。今日も本当にお疲れ様。おやすみなさい。

自分を記録する

自分が心地良いと感じる時間。楽しい、幸せだと感じる瞬間。その全てを日記に記録する。記録し、自分を知り、自分にとっての心地良さを大切にする。逆に苦しい、辛い、悲しいという感情も記録すること。その感情を支配しているものは何かを知り、少しずつ少しずつ自分を解放していくこと。日記とは今の記録である。今書いていることは全てリアルで、僕が心の中で思ったことをそのまま言葉として吐き出しているだけである。あなたはどんな時に「幸せだな〜」と感じるだろうか。僕はカフェで美味しいカフェラテを飲みながら、時間を気にせずこうして日記を書いている今がとても幸せである。一旦手を止めて目を瞑り、ゆっくりと深呼吸をした今にも心地良さを感じた。睡眠時間も8時間は必要で、8時間未満だと1日中眠気を感じてしまう。また、寝る時間も夜遅すぎると8時間寝たとしてもスッキリとした目覚めにはならない。22時~23時に寝ると調子が良い。アルバイトをするよりも、こうして本を書いたり、YouTubeを撮ったりしている今の方が楽しい。しかしある程度の生活費は必要なので、今もアルバイトは続けている。何もしなかった一日よりも、こうして本を書いたりYouTubeの動画を一本撮ったり、誰かの人生相談にのったり、何か一つでも成し遂げると一日の満足度は高い。もちろんたまには何もしない一日も大切。こんな感じで自分にとっての心地良さを言語化してみる。そうするとこんな理想の一日が出来上がる。

親友と温泉に入ってのんびり語り合う時間が好き。温泉後のコーヒー牛乳は格別。最近はサボりがちだが筋トレも大切。自分の身体を見てテンションが上がれば最高だ。人生相談にものりたい。仕事を辞めたいと悩んでいる人に辞めたらいいと言いたいし、やりたいことがあるけど一歩踏み出せない人にやったらいいじゃんと言いたいだけ。ただ背中を押してあげるだけの存在になりたい。あなたが一歩踏み出せずにいることを僕に聞かせてください。

理想を掲げるのは楽しい。叶ってもないのに楽しい。こんな一日が続けばいいなを実現させるのが面白い。むしろ今すぐ実現させればいい。会社が休みの日に理想の一日を実現させてみる。その中でもっとこうしようと理想の一日をブラッシュアップしていく。そして完璧な一日が完成したら後はその一日が永遠に続くように日々を過ごしていく。僕も今はその段階。アルバイトは辞められないけど、いつか辞める気もしてる。理想の一日では本を書くこと、YouTubeを撮ること、お悩み相談が仕事になっているから、今から仕事のつもりで全力で取り組んでいく。本の執筆依頼はこない。YouTubeのチャンネル登録者も三年半かけてやっと1,460人。「お悩み相談したいです」とメールがくることなんかほぼほぼない。そんな状態でもプロのつもりでやっていく。プロといっても内容や質がプロなのではなく、ただひたすら毎日続けるだけのプロなのである。社会人として会社で働いている人もその道のプロだ。毎日八
時間会社で仕事をしている。営業をしたことない初心者のうちから、営業マンとして自分を売っていく。毎日毎日売り続ける中でいずれ凄腕の営業マンになっていく。初めは誰もが素人で、素人も10年続けりゃプロとなる。この姿勢が大事。理想の一日を作る。その理想を叶える素人として日々動いていく。僕は本を出版したことないし、依頼すらきたことないが、それでも素人として本を書き続ける。書けば書くほどプロに近づいていく。自分の中ではいつまでも素人のつもりで書く。その方が気楽に続けられる。プロなんだから良い文章を書いて当たり前。プロなんだから面白い動画を作って当たり前。プロなんだから人を喜ばして当たり前。そんな目で人から見られるのは苦しいし心がもたない。いつでも素人で何食わぬ顔で物事を続けていく。別に素人なんで僕に期待しないでください。僕は僕で自分のやりたいことを続けます。そんな心構えで何事にも取り組む。それが僕が心地良く物事を継続させていく秘訣でもある。これも一つの記録だ。僕は僕。あなたにはあなたの心地良さがある。それは自分で探せばいい。ここには僕のリアルを置いていく。それを見てあなたはあなたのリアルをノートに刻む。それでいい。自分にとっての心地良さを。自分にとっての幸せを。日記と共に見つけていこう。

何となくではなく、何を考えたのか

何が勉強になった?何が面白かった?どんな味がした?どういう匂いだった?どういう食感だった?あらゆる物事から何を感じ、どう考えたのかを自分の言葉として吐き出すことが大切だと感じている。これは僕自身もまだ全くできておらず、授業中の身である。そう感じたのも、僕は今コーヒー屋で働いており、日々色々な豆で淹れた珈琲を飲んでいる。豆の種類によって驚くほど味や香りも異なり、言葉のボキャブラリーが少ない僕にとっては大した表現もできずにいる。また、微妙な味の違いも気づくことができず、自分が感じたことを自信を持って言えない。間違ってたらどうしよう。他の人が感じた味と自分が感じた味が異なっていたら、コイツは分かってないと思われるんじゃないかと不安になって自信を持てずにいる。僕は今までなんとなく食べて、なんとなく飲んで、なんとなく本を読んで、なんとなく人の話を聞いて、なんとなく生きてきたんだなと痛感している。いつも行くカフェでも、【珈琲を飲む→美味しいと感じる】それで終わっていた。飲んだ珈琲はどんな味だったのか。苦味が強いのか。あまり苦味は感じられずスッキリ飲めるのか。香りはどうだろう。コーヒーっぽくないフルーティーな香りがするだろうか。それともコーヒーらしいずっしりとした深みのある香りだろうか。飲んだときの温度はどうだろう。丁度良い温度だろうか。それとも熱すぎて飲めないだろうか。飲んだあとの舌に残る感触はあるだろうか。少し舌がビリビリしたり、ザラザラしたり、そうした微妙な何かを感じとっただろうか。自分が感じたことを素直に言葉にする練習。誰にも言わなくていい。自分の中だけで話せばいい。僕自身もまだ誰かに自信を持って言えるほどコーヒーの味について詳しいわけではない。でもこれも、毎日飲む中で自分が感じたことを素直に言葉にする練習をしないと一向に成長しない。自分が感じたこと、考えたことを言葉にすることは意外と難しい。言葉を知らなければ自分が伝えたい表現すらできない。僕は昨日生まれて初めてルートビアを飲んだ。沖縄ではよく飲まれているコーラみたいな飲み物らしい。間違ってたらごめんなさい。そして初めて飲んでみた感想は「なんじゃこりゃ!」。後味がなんかおかしい。すごく変わっている。そして一緒にいた珈琲屋の店主とバイト先の先輩も飲んだら湿布の味がするやら、歯磨き粉の味がするやら言葉が出てくる出てくる。そう言われて飲んでみるとたしかにそんな味がして、でも決してまずいわけではなくて、僕は意外と美味しく飲むことができた。僕は今まで美味しいとかまずいとか変わった味がするとかそんな事でしか表現をしたことがない。でもその場にいた方達は言葉のチョイスがとにかく的確で、普段どれだけ味わって飲んだり、食べたりしているんだろうと思った。僕には考えたこと、感じたことを言葉にすることが足りてない。これからの課題である。そしてまた日記は自分が普段何を感じて、何を考えたのかを言葉にする絶好の機会だ。日記を書くことで僕の課題が見つかり、書かなければ考える機会すらも失っていた。どうか自分の感じたことを言葉にしてみてほしい。頭の中でなんとなく考えるのではなく、文字にして、言葉にして、ゆっくりと考えてみてほしい。僕には足りないものだらけだが、日記を書くことで足りないものばかりに目を向けても苦しいだけではないと感じたりするわけだ。

何となく考えるのではなく、何を考えたのか。
何となく美味しいのではなく、何が美味しいと感じたのか。
何となく響いたのではなく、何が響いたのか。

日々日記に自分の気持ちを言葉にすることで、自分の感性を磨いていきたい。まだまだこれから。一歩ずつ一歩ずつ前に進んでいく。

弱音

言葉の力は偉大だなと感じる。さっきまでくよくよしていたことも、一つ背中を押してくれる言葉を知るだけで心がグッと楽になる。そんな誰かを救う言葉を、誰かを癒し、背中を押してあげられる一言をかけてあげられる人になりたい。そして今日は一つ素敵な言葉を紹介したい。

長い間、岸を見失う勇気がなければ
新しい大陸を発見することはできない。

これはフランスの小説家アンドレジットの言葉だ。僕は今、自分の人生に自信を持てずにいる。大学卒業して就職をせず、フリーターとして自分のやりたいことをやりまくって生きていくんだと意気込んでいたあの頃の自分はどこにいったんだろう。僕の人生はこのままでいいのだろうか。彼女は正社員としてバリバリ働いていて、僕はフリーターとして全く先の見えないトンネルを歩いている感覚だ。僕は何がしたいんだ。何のためにフリーターになったんだ。そんな苦しい苦しい心の声が日記に漏れてしまっている。早く何者かにならないといけない。そう思い込んで、焦って、不安になって、息が詰まる。苦しい。苦しい。生きているだけでお金もかかる。一人暮らしだから何もしなくても毎月の生活費は払わなければならない。貯金ができる人が羨ましいし、夢に向かって突き進んでいる人を見るとなんだか虚しくなる。本当情けないよね。今は23歳で来月で24歳。まだまだ若いんだから大丈夫よ、と言われても、そうですよね、とはならない。僕は生き急いでるんだろうな。これが自分一人の人生だったら焦らなくてもいいのだろうが、大切な彼女がいて彼女との先のことを考えると今のままじゃダメだよななんて思ってしまう。だからこうして本を書いたり、日々YouTubeを撮ったり、自分に今できることを頑張っている。この本も最初の頃は無限に書けそうなんて思っていたけど、最近は何を書こうと悩んでしまっている。書きたい。でも書くことが浮かばない。今日は辞めとくか。そんなことが何回か続いた。そして今はなんとかして文字を書いている。先ほどの素敵な言葉を共有したくてペンを走らせた。皆さんの人生はいかがだろうか。楽しいだろうか。普通だろうか。苦しいだろうか。僕の言葉がどうかあなたの心を癒し、背中を押すきっかけとなれば嬉しい。この人も悩んでるんだと思うと、なんだか気持ちが楽になるよね。そんな感じ。僕の悩み、心の葛藤もどんどん聞いてね。では、おやすみなさい。

神様との出会い

僕には仲の良い親友がいる。その名は将太郎。大学の頃に出会い、今でも定期的に会って遊んでいる。今日も先ほど会ってきて一緒に温泉に入り、その後はマックに行ってひたすら語った。この何気ない時間が本当に幸せで、今はお互いバイトで忙しいが、時間を見つけてはこうして会うことでお互いの気持ちを高めている。将太郎と会うことで、「よっしゃ!また頑張るぞ!」とエネルギーを貰えるのだ。そういえば今日、将太郎に以前カフェでたまたま出会ったお爺さんの話をしたのだが、「その人神様じゃね?」という話になったので皆さんにも共有させてほしい。そう。僕はつい最近、神様に会ったのだ。これはタロット占いをしているお友達のさゆりさんにも「それは神様だね。神様が人間となってつよし君に会いに来てくれたんだよ」と言っていた。僕は神様に会ったみたいだ。僕も衝撃的すぎて今でも鮮明に覚えている話なのだが、いざ文章で伝えるとなると上手に伝えられる自信もない。でも書いていく。僕はつい最近、アンデルセンカフェでモーニングを食べていた。朝の8時だった。そしたら近くの席に赤いポロシャツを着て片手には花束を持ったお爺さんが座った。お互いに目が合いニコッとすると、そこから会話が生まれお爺さんが街で朝と夜ゴミを拾っている話や、お爺さんの畑の食べ物を好きに取って帰っていいという許可を得た。その後、お爺さんから急に「110円くれんか?」と言われた。僕はすぐに「いいっすよ!」と言い、財布から110円を取り出した。お爺さんはそのお金を持って雨の中傘も刺さずにダッシュでコンビニに行き、紙パックの焼酎を買ってきた。帰ってきてからも話は続き、僕のアルバイトの時間が迫ってきた。僕はそろそろアルバイトに行かなければならないことを伝えると、何時に終わるのかと聞かれたので、15時に終わることを伝えた。すると15時から街の広場で待ち合わせをしようという話になった。僕もお爺さんの面白さに惹かれていたので、すぐに「いいですね!」と伝えアルバイトに向かった。そしてアルバイトが終わり広場に向かうと、お爺さんが広場のゴミを拾っていた。タバコからペットボトル、何から何まで落ちているゴミをひたすら拾っていた。僕はゴミを拾っているお爺さんに声をかけた。「来ましたよ〜」と伝えると、「おまえさんもゴミを拾え」と言われ、2人で人がたくさんいる中で広場のゴミを拾った。そしてある程度ゴミを拾うと、お爺さんは急にどこかに消え、僕のもとに1人の女性が現れた。その女性は大量の荷物を持っていたのだが、それらの荷物は先ほどのお爺さんのものらしく、買い物をした後店に預けたままにしていたらしい。そこでお爺さんと一緒にいた僕を見かけ荷物を届けてくれたそうだ。荷物を届けてくれた女性とあのお爺さんは何者なんだという話をしていると、そこにお爺さんが現れた。そして先ほどお姉さんが持ってきた荷物の中にお爺さんが購入した花束があり、それをお姉さんにプレゼントすると言い出した。しかし、お姉さんは仕事中のため受け取ってもらえなかったのだが、「あのお姉さんは半分プレゼントを受け取ったよ」とお爺さんは言った。例えプレゼントを相手に受け取ってもらえなかったとしても、相手に渡す意思を見せればその時点で相手は半分プレゼントを受け取ったことになるのだろうか。また、お爺さんは毎日朝と夜広場のゴミを拾うことにも明確な理由があるそうだ。それは、街を綺麗にすることで、その街がどんどん平和になっていくこと。そして、自分が誰かの役に立てば、必ずどこかから自分に良いことが返ってくると確信しているそうだ。そのお爺さんは一人では抱えられないほど大量の荷物を持っており、それらの荷物のほとんどが誰かに渡すためのプレゼント用として購入されたものだった。先ほどの女性に渡そうとした花束もそのうちの一つだった。先ほどの女性には花束を受け取ってもらえなかったのだが、次は広場にいた別の女性に声をかけ、その方に上質なバッグを渡していた。当然その方はいきなり声をかけてきたお爺さんからそんなものを渡されすごく驚いていた。また、お爺さんから貰ったバッグの色がたまたまその女性が大好きな水色で、そんな奇跡にこれまた驚いていた。このお爺さんは一体何者なんだろうか。その女性の方にプレゼントを渡した後は、2人で街を歩き、お爺さんの話にひたすら耳を傾けていた。このお爺さんから色んなことを吸収したい。そんな気持ちでいっぱいだった。途中で2度お漏らしをして、ズボンをびしょびしょにするようなめちゃくちゃ変わったお爺さんなのだが、それでも僕はそのお爺さんに強烈に惹かれていた。この方のGIVE精神。これはどこからきているのかが気になってしょうがなかった。そしてその後、お爺さんは携帯ショップに遊びにいくぞと言い、2人で携帯ショップに向かった。そこで何をするんですか?と聞くと、携帯の充電をするだけと言い、「もう迷惑だから辞めようよ〜」と心の中で呟いた。しかし携帯ショップに着くとびっくり。店員さんがお爺さんに頭を下げているではないか。今日はこれをやろうと店員さんにプレゼントを差し出すと、いつも頂いてるからいいですよと店員さんが言う。いいから受け取れと言い、店員さんかはありがたくお爺さんからのプレゼントを受け取っていた。店員さんの話によると、お爺さんはいつも充電しにくるついでに何らかのプレゼントを渡しているようだった。そして後でお爺さんに話を聞いてみると、携帯の充電なんかは正直どうでよくて、それはただプレゼントを渡す口実にすぎないと言っていた。そして携帯ショップを出て、僕とお爺さんはお別れすることになるのだが、最後に余ったプレゼントのほとんどを僕が受け取ることになった。それはもう大量だった。 

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背負っていたリュックにパンパンに詰め込み、両手には大きな紙袋を持った。こんなにたくさんのものを受け取っていいのだろうかと思ったが、ありがたく受け取らせて頂いた。本当にありがとうございます。僕がお爺さんと一緒に過ごして分かったことがいくつかある。一つ目は、お爺さんはプレゼントをした相手からの見返りは求めていないことだ。お爺さんは目の前の相手からではなく、きっとどこからか何らかの形で自分に良いことが返ってくることを確信している。例えばプレゼントだけでなく、ゴミ拾いもそのうちの一つだ。ゴミ拾いをしたところで、誰かから直接的な見返りが返ってくることを考えるのは難しい。しかしお爺さんは毎日ゴミを拾っていれば、きっと良いことがあると言っていた。お金があればお金を使って誰かにプレゼントすればいいし、お金がなければないで道端に落ちているゴミを拾えばいいと言っていた。そうすれば僕がお爺さんに110円を渡したように急にお金が降ってきたり、ホームレスの人が急に3千円くれてこれでタバコでも買えと言ってくれたりするらしいのだ。本当に不思議な話だ。僕はこのお爺さんが本当に魅力的な人物だと思っていて、このお爺さんは僕に足りないものを補わせるために神様が会わせてくれたんじゃないかと思っている。人に与えることの大切さ。そして、与えたときは与えた相手からの見返りを求めるのではなく、地球上のどこからか必ず良いことが返ってくると信じなさいということを教えてもらった。良い行いをすれば、必ず良いことが返ってくる。因果応報。人を傷つければ自分も傷つけられる。人を褒めれば自分も褒められる。良いことを日々積み重ねることで、人間はきっと幸せになれるんだろうな。お爺さんと出会ったことで僕は人に与えることは必ずしもお金を使ってプレゼントを渡すことだけではないと知った。相手の良さを認めて素直に伝えてあげる。相手がいっぱいいっぱいの時はすぐに手を差し伸べる。相手からの意見は素直に受け止めるなど、相手を思った言動は、必ず自分にも良い行いとして返ってくるとわかった。僕にできることはそう多くはないが、道端に落ちているゴミを拾うことは今からだってできるし、少ないお金でもプレゼントを買って誰かを喜ばせることだってできる。そして、素敵な言葉はタダで口から出る。言葉で人を元気づけ、勇気を与え、相手を喜ばせる。これならいくらでもできる。良い行いをすることで、目の前の相手や日本がより良いものになるだけでなく、どんどんと自分も満たされる。こんな世界がきっとある。僕はそんな幸せを導く法則をカフェで出会った神様(お爺さん)から学んだ。これからの人生に活かし、日々をより良いものにしていきます。本当にありがとうございました。

夢にレベルをつける

僕は人に夢を語ることが苦手だ。それは自分が掲げる夢に自信がないのか、言ったところで分かってもらえないと諦めてるのか、夢が変わったときの失望感など、色々な感情から言い出せずにいるのだと思う。例えば僕は今本を出版してみたいと思っている。しかしどうだろう。周りの人に本を出版してみたいと言っても、本?といった曖昧な返事しか返ってこない。それは僕自身が本を出版したいという曖昧な夢しか語ってないからかもしれないが、僕ならいいね!楽しそう!どんな本を出版したいの?と聞き返すのにな〜なんて思う。他にも僕はYouTubeの動画を1,000本更新するという夢もある。これは僕がYouTubeをやり続ければ必ず達成できる目標だ。そして僕がなぜチャンネル登録者の数ではなく、動画の本数を目標にしているのかというと、過去にチャンネル登録者を意識しすぎてYouTubeが嫌になってしまった経験があるからだ。どれだけ動画をあげてもチャンネル登録者は増えないし、再生回数も伸びない。それなら「ええい!」とチャンネル登録者を気にすることを辞め、動画を1,000本更新してやる、1,000本更新すればそれなりに増えるでしょと考えるようにしたのだ。そしたら今では動画の数は235本でチャンネル登録者は1,527人までになった。無事に収益化も達成し、毎月お小遣いが入るようになった。このまま1,000本まで動画を積み上げればチャンネル登録者3,000人くらいいくんじゃないかな。何はともあれ楽しみながらYouTubeを続けていきたい。楽しむことができれば続くから、結果は二の次。続けていれば必ず成果は現れる。この本も一緒だ。そういえば先ほど僕は本を出版したいとは言ったが、その影には僕は本を5冊書くという夢もある。これは5冊出版するのではなく、5冊書く。出版するしない関係なく5冊書くのだ。これも先ほどのYouTubeの話と同様、5冊書けば1冊くらい出版できるんじゃないかなという期待を込めての5冊。ダメなら10冊書く。そんな気持ちでいる。質を上げることは苦手だが、継続させることはできる。そして数を積み重ねる。継続させる。これさえできれば必ずいつか質も結果もついてくると信じている。現にYouTubeもチャンネル登録者は1,000人達成したし、本はまだ出版したことはないけれど、もし出版することができればそれも一つ証明できる。結果なんてクソ喰らえ。そんな思考が僕にはある。これは結果を追い求めることに疲れた人が吐いた言葉なのではないかとすら思う。お金なんかどうでもいい。お金は大切だが、お金を意識しすぎるとお金のことで頭がいっぱいいっぱいになって自分が苦しくなるからお金は気にしないことにする。そんな感じ。全部一度放り投げてみる。ぜーんぶどうでもいいと。そしてまた拾い始める。本当に大事なものを。あなたが好きなことを。僕は今やっていることは全て自分がやりたいことなんだと思ってる。朝から本を書いていることも、この後にブックカフェに行くことも。15時から珈琲屋でアルバイトをして、夜は自炊して皿を洗ってシャワーを浴びて寝ることも全部自分がやりたいことなんだと。本当に嫌なら辞める。辞めたくても辞められない状況にいたとしても、辞めるくらいだったら今のままの方がいいと選択してるから今を生きているだけ。そこには辞めることでのお金の不安、会社の人間関係、周りからの評価、親からの期待、色んな葛藤があるのだと思う。どんな感情を抱いているにしろ、決断しているのは全てあなたです。今の人生を選んでいるのはあなた自身なのだ。それは僕も一緒。大学卒業後は就職をせずにフリーターになった。何のあてもなく、警備員のバイトからフリーター生活が始まった。自分でお金を稼ぐ。自分の仕事で生計を立てる。そんな未来が来ると想像なんか1ミリもできない。だから時としてドッと不安が訪れる。でも大丈夫。きっと上手くいくと自分に呟く。そう言っていると本当に大丈夫だと思えるようになる。YouTubeを撮ることも、本を書くことも、珈琲屋でアルバイトをすることも、僕の未来にきっと活きてくると信じて日々働いている。最近ではブックカフェを作ったら面白そうだなと思ったりもした。これは僕の夢レベルでは10段階の3くらいなのだがこの夢も周りに言うようにしている。以前の自分では言えなかったのだが、夢にレベルをつけて10段階のうちの1でも周りに公言していい。夢は変わっていい。むしろ夢は変わっていくものだと自分に許可を出したら突然夢を言うことが簡単になった。以前の僕は本当に明確な夢しか言ってはいけないとどこか思ってて、やってみたいことはあるけど誰かに語れるほどではないなと自分の中に夢を収めていた。でも今は違う。夢はほんの少しやりたいと思ったことでも言ってみる。そしたら少しずつ少しずつ夢の方に近づいていく気がして、誰かが突如力を貸してくれる気もして、そう考えたらなんだか楽しくなってくる。夢としてのレベルは低いがブックカフェを作りたいと言ってみたら珈琲屋で働くのも、もっと一生懸命に働いてみようと本気で思うようになった。それはコーヒーの淹れ方、豆の香り、味、表現の仕方から始まり、お客様との関わり方や経営的なものから全て、少しずつでいいから自分なりに勉強したり教わったりしながら前に進んでいこうと思った。夢は明確なものじゃなくていい。ちょっとやってみたいかも。こんな店があったら面白そうだな。少しワクワクするな。そんな少し未来に希望が持てた人はほんの少しでもやってみたいと思ったことがあれば、自分でもやってみて周りの人にも少しずつ言ってみたらいい。時に「何言ってんの?」みたいな顔をする人がいるかもしれないけど、中にはきっと「いいね!」と言ってくれる人もいるから大丈夫、安心してね。僕も手探りで日々を生きてる。来月には24歳になる。焦らず焦らずじっくり生きる。地に足つけて毎日少しずつ歩みを進める。それ以上のことはできない。今日もYouTubeを撮って珈琲屋で一生懸命働いて、街に落ちてるゴミ(運)を拾って、自炊してシャワーを浴びてしっかりと生活をする。人生は生きることの積み重ねだから、自分を信じてゆっくり前に進んでいこう。ではまた!

6/27のプチ日記

あなたの夢を応援してくれる人。あなたの魅力に気づいてくれる人。あなたのありのままを丸ごと全部受け入れてくれる人。そんな人は世界中探せば必ずどこかにいるから安心してほしい。世界中っていうとあまりにも規模が大きいが、ここ日本という国の中だけでもきっと沢山いる。職場で毎日のように怒られて惨めな気持ちになったり、親からダメ出しばかりされて自信を失ったり、自分には生きてる価値も魅力も無いと思ったとしても、あなたには価値があると信じてほしい。今いる世界だけがあなたの居場所ではない。今の職場が苦しくて苦しくてしょうがないなら、思い切って外に出てみてほしい。そこにあなたの居場所があるから。お前は何にもできない、お前には才能がないなどと言われても、あなたにも夢中になれるものは必ずあるし、今やっていることがただあなたとマッチしていないだけなんだ。

自分の振り返り

時に訪れる不安。急に押し寄せ、死にたくなるような、心が苦しくなる瞬間がある。昨日までそんな不安もなく人生順調だなと思っていたにも関わらず、急に俺の人生はこのままでいいのか、このまま何となく生きてて大丈夫なのかと不安が訪れる。それもそうだ。僕はただのフリーターで世間からしたら底辺中の底辺だろう。色んな人から正社員として働くことをすすめられるし、このままじゃ彼女に捨てられるでと何度も言われるし、フリーターとして生きる僕の肩身は狭いなと日々感じている。そして色んな人からそうしたネガティブな言葉をかけられる度に僕の心は病んでいき、何もかも上手くいっていないような気になる。現に僕は2個バイトを掛け持ちして何とか生計を立てる身で、これといったスキルや才能もなく、あるとすれば日々YouTubeを更新したり、こうして本を書いたりする程度だ。しかしこれらも突出した何かがあるわけでもなく、むしろ何もない。才能はないが書いている。書かなければ不安が押し寄せる。動画を投稿しなければ自分が自分でなくなる気がすると、不安から行動が起きている節もある。もちろんYouTubeも本を書くことも楽しくて、楽しいから続いているし、楽しくなければとっくに辞めている。ただ続けている理由は楽しいだけではなく、その裏側には「不安」も潜んでいるわけだ。この仕事をやらないと食っていけない。だからやる。という不安が行動を促していることもあるのではないか。不安とは行動を起こす上でとても大切で、不安が大きければ大きいほど身体が動く。対策をする。準備をする。人から学ぶ。このままではいけないと常に前に前に進もうとする。決して悪いことばかりではない。しかし不安が大きいと自分を苦しめ、自分は何もできていない、何にも前に進んでいないと今の自分を否定しはじめる。ちょうど今僕がそのタイミングだ。そこで自分に問うてほしい。1年前の自分はどうだった?どんな状況で何をしていた?僕であればまだ一人暮らしもしておらず、実家に住みながら警備員のバイトをしていた。YouTubeのチャンネル登録者も1,000人には到底およばない。本を書くという考えすらなかったし、まさかジムのバイトをしたり、珈琲の勉強をするなんて思ってもなかった。今日だって家でコーヒーをドリップして朝から飲み、その後は行きつけのカフェの店主とコーヒーについて語り合った。語り合ったといっても、僕が聞きたいことを聞いてそのことについて教えてもらうという珈琲の授業を受けている感じだ。でもこんな姿も1年前には想像できなかった。この1年間、僕は色んな行動、挑戦をする中で確実に前に進んでいる。スピードとしては亀のようなスピードだ。1年単位で見ると凄いスピードで進んでいるように見えるが、1日単位で見ると毎日必死にアルバイトをして、隙間時間で動画の編集をしたり、こうして本を書いて、なかなか上手くいかないな、全然前に進まないなと思いながら日々を生きている。それでも自分のやりたいことを少しずつ少しずつ根気強く継続させていく中で1年経って自分を振り返ると案外前に進んでんじゃん、なら大丈夫だと自分で自分を励ますことができる。もし1年単位での成長を実感できない場合は、3年でも5年でも10年でもいい。色々なことに挑戦し、亀のスピードで継続させていく中で、きっと3年後、5年後、自分の成長を実感できる。もちろん成長なんてどうでもいい。現状維持で十分だという人に挑戦や継続を勧めるつもりはない。あくまで挑戦は日々の生活に刺激を与えるもので、継続は自分を励ます材料にすぎないのだから。フリーターである僕はずっと同じような生活をすることにどうしても飽きてしまうので、ふとしたときに何か新しいことを始めてしまうし、不安を埋めるべく、今自分がやっていることを継続させている。継続することで今日も頑張った。やり切ったと安心して布団につくことができるのだ。そして今日もバイトをして、YouTubeを更新して、こうして本も書いた。これだけで不安は消え、安心して眠りにつくことができる。そして今日のこの頑張りは来年、3年後の安心材料となるのだ。毎日継続させることは案外良いものだよ。未来への種まきを僕と一緒にやっていこう。ではまた。

2022/7/4の日記

 1人1人が総理大臣としてこの国を良くするために動く。僕は広島県に住んでいる。広島の知事として、毎日道端に落ちているゴミを拾う。これは僕の一個の仕事でもある。そして最近新しく始めようとしているのが、退職相談所である。
 先日YouTubeで教師の方が働きすぎで追い込まれ自殺に至った動画を見た。なぜ彼は、自殺ではなく、仕事を辞めるという選択肢が取れなかったのか。
 他にも僕の親友は以前、毎日働きすぎで精神的にも肉体的にも追い込まれ、職場に行ったらトイレで吐いたり、僕と会えば「死にたい」が口癖になるほど追い込まれていた。もうほぼほぼ鬱状態だったように思う。そんな彼は今は転職して日々を楽しそうに生きている。もちろん仕事は大変そうだが、以前とは比べものにならないくらい表情が明るくなり、僕と会ったときには「毎日が幸せだ」と言っていた。
 なぜ教師の方は自殺をし、親友は自殺することなく仕事を辞められたのか。それは「仕事を辞めていい」と許可を与えられたかどうか、あなたはもう十分頑張った、一旦休みなさいと周りの人間が言ってくれるかどうか、この違いだと思う。1人で抱えることなく、気軽に周りに相談できる環境があるか。優しい人ほど親に迷惑をかけたくないからと自分で全てを抱え込む。そんなとき、赤の他人である僕なら悩みを打ち明けやすいのではないか。赤の他人だからこそ、そこまで期待せずに悩みを話せるのではないか。そして、赤の他人でも仕事を辞めていいと許可してもらえることに価値があるのではないか。そんなことを思ったのだ。
 今の世の中には退職代行というものがある。会社に直接辞めると告げられない人が、退職代行を通して、自分は関与せず仕事を辞めるという仕組みだ。彼らは仕事を辞めることをしっかりと決断し退職代行を利用している。僕がやりたいのはその一個前。辛い仕事を辞めるかどうか迷っている人の背中を押してあげたいのだ。辞めていいんだよ、と。
 自分が壊れるほどの辛い仕事なんてさっさと辞めればいい。当たり前だ。私たちは何のために生まれてきたのか。幸せになるためだ。こうして本を書いて好きなことをして幸せを感じるために生まれてきたのだ。
 僕は23歳のフリーターである。今月で24歳になる。今はアルバイトをしながら家賃2万5千円の部屋でのんびり質素に暮らしている。それでも毎日は楽しいのである。明日も12時からバイトはあるが、それまでは朝8時からブックカフェに行って珈琲でも飲みながら本を読み、2時間くらいゆったり過ごしたら電車でとことこバイト先に向かう。そして7時間しっかり働いて生きるためのお金を稼ぐ。なんら普通の生活だ。それでも僕は幸せである。
 今日も8時間のバイトを終え、帰ってシャワーを浴びてご飯を食べ、今この本を書いている。自分を死に追いやるほどの苦しいバイトはしていないため、僕の心はいつも穏やかである。穏やかだからこそ毎日YouTubeも撮れるし、こうして本も書ける。では穏やかではないバイトに遭遇したらどうするか。辞めるだけである。真っ先に辞める。それだけだ。
 僕は辞めるのが得意だ。これまで10個以上のアルバイトをしてきた。10個以上してきたということは、10個程のアルバイトを辞めてきたことになる。中には申し訳ない辞め方をしたこともあるが、それは日々のゴミ拾いでなんとか回収できないかと考えている。

嫌なことはやらない。自分を苦しめるものは手放す。

 簡単なことだ。あなたの仕事があなたを毎日毎日苦しめているのであれば、それは間違っている。今すぐ辞めたほうがいい。
 仕事は辛いもの。仕事は苦しくても耐えるもの。そんなことを聞く。その仕事に耐えるほどの価値があるのか。耐えて耐えて耐えた先に、あなたが望んでいるものが手に入るのか。その答えがYESであれば、耐えて耐えて望みを叶えればいい。しかし、もしNOであれば今すぐ辞めよう。やめて僕と一緒に好きなことをしよう。YouTubeを撮ったっていいし、絵を描いたっていい。人助けだっていいよ。何だっていい。身体を自由に動かして、毎日笑って生きよう。人間を取り戻そう。
 僕たちは笑って、やりたいことをやって、時に働いて、生活費を稼いで、そうやって生きていくのだ。生活費を稼ぐ仕事なんかなんだっていい。楽しそうなものを。これならできそうだってものを。ずっとやってみたかったことを。思い切ってやってみたらいい。
 雇用形態だって関係ない。正社員だろうが、派遣社員だろうが、パートだろうが、アルバイトだろうが、働いている人はみんな偉い。ただそれだけ。みんなが幸せに笑って生きられる世界を。みんなで作っていこう。僕らならきっとできるよ、大丈夫。まずは自分から。無理しないでね。おやすみなさい。

仕事が辛い、苦しいと悩んでいる人は
僕が開くカフェ「喫茶ごゆっくり」まで。
珈琲でも飲みながら話し合おう。

自分の振り返り

時に訪れる不安。急に押し寄せ、死にたくなるような、心が苦しくなる瞬間がある。昨日までそんな不安もなく人生順調だなと思っていたにも関わらず、急に俺の人生はこのままでいいのか、このまま何となく生きてて大丈夫なのかと不安が訪れる。それもそうだ。僕はただのフリーターで世間からしたら底辺中の底辺だろう。色んな人から正社員として働くことをすすめられるし、このままじゃ彼女に捨てられるでと何度も言われるし、フリーターとして生きる僕の肩身は狭いなと日々感じている。そして色んな人からそうしたネガティブな言葉をかけられる度に僕の心は病んでいき、何もかも上手くいっていないような気になる。現に僕は2個バイトを掛け持ちして何とか生計を立てる身で、これといったスキルや才能もなく、あるとすれば日々YouTubeを更新したり、こうして本を書いたりする程度だ。しかしこれらも突出した何かがあるわけでもなく、むしろ何もない。才能はないが書いている。書かなければ不安が押し寄せる。動画を投稿しなければ自分が自分でなくなる気がすると、不安から行動が起きている節もある。もちろんYouTubeも本を書くことも楽しくて、楽しいから続いているし、楽しくなければとっくに辞めている。ただ続けている理由は楽しいだけではなく、その裏側には「不安」も潜んでいるわけだ。この仕事をやらないと食っていけない。だからやる。という不安が行動を促していることもあるのではないか。不安とは行動を起こす上でとても大切で、不安が大きければ大きいほど身体が動く。対策をする。準備をする。人から学ぶ。このままではいけないと常に前に前に進もうとする。決して悪いことばかりではない。しかし不安が大きいと自分を苦しめ、自分は何もできていない、何にも前に進んでいないと今の自分を否定しはじめる。ちょうど今僕がそのタイミングだ。そこで自分に問うてほしい。1年前の自分はどうだった?どんな状況で何をしていた?僕であればまだ一人暮らしもしておらず、実家に住みながら警備員のバイトをしていた。YouTubeのチャンネル登録者も1,000人には到底およばない。本を書くという考えすらなかったし、まさかジムのバイトをしたり、珈琲の勉強をするなんて思ってもなかった。今日だって家でコーヒーをドリップして朝から飲み、その後は行きつけのカフェの店主とコーヒーについて語り合った。語り合ったといっても、僕が聞きたいことを聞いてそのことについて教えてもらうという珈琲の授業を受けている感じだ。でもこんな姿も1年前には想像できなかった。この1年間、僕は色んな行動、挑戦をする中で確実に前に進んでいる。スピードとしては亀のようなスピードだ。1年単位で見ると凄いスピードで進んでいるように見えるが、1日単位で見ると毎日必死にアルバイトをして、隙間時間で動画の編集をしたり、こうして本を書いて、なかなか上手くいかないな、全然前に進まないなと思いながら日々を生きている。それでも自分のやりたいことを少しずつ少しずつ根気強く継続させていく中で1年経って自分を振り返ると案外前に進んでんじゃん、なら大丈夫だと自分で自分を励ますことができる。もし1年単位での成長を実感できない場合は、3年でも5年でも10年でもいい。色々なことに挑戦し、亀のスピードで継続させていく中で、きっと3年後、5年後、自分の成長を実感できる。もちろん成長なんてどうでもいい。現状維持で十分だという人に挑戦や継続を勧めるつもりはない。あくまで挑戦は日々の生活に刺激を与えるもので、継続は自分を励ます材料にすぎないのだから。フリーターである僕はずっと同じような生活をすることにどうしても飽きてしまうので、ふとしたときに何か新しいことを始めてしまうし、不安を埋めるべく、今自分がやっていることを継続させている。継続することで今日も頑張った。やり切ったと安心して布団につくことができるのだ。そして今日もバイトをして、YouTubeを更新して、こうして本も書いた。これだけで不安は消え、安心して眠りにつくことができる。そして今日のこの頑張りは来年、3年後の安心材料となるのだ。毎日継続させることは案外良いものだよ。未来への種まきを僕と一緒にやっていこう。ではまた。

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