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日記の効能③

2022/7/11

今日僕は退職相談所を始めた。僕の携帯の電話番号を公開し、仕事が辛い、辞めたいと悩む人の電話相談にのることにした。費用は無料。自分がやってみたいと思ったことをそのまま形にしたのだ。しかし退職相談所を始めたものの、いきなり電話がかかってくることはなく、始めたけど始まってない感じだ。店はオープンしたがその日1日中は誰もお店に来なかった。これが1週間、1ヶ月、1年後に、何のために私はお店を開いたんだろうと自分を疑い始める。あの時は、あんなに楽しい気持ちで早くやりたいと思っていたのに、いざ始めてみるとなんだかあっけない。そんな気持ちを僕は今抱いているのだ。しかし、退職相談所が思い浮かんだときのとてつもないアイデアを考えてしまった驚きは嘘ではなく、この世の中に退職相談所は必ずあった方がいいという気持ちは今でもある。ただ実際に電話がきて、ありがとうと感謝されるまではどうしても不安になってしまうのだ。誰か1人でもあなたには価値がある。あなたが生きてるだけで私は嬉しい。幸せだと言ってくれることは生きる喜びに変わる。それと同じでこの店があって嬉しい。退職相談所のおかげで私の人生は変わったと1人言ってくれるまではどうしても辛抱強く店を開き続けるしかないのだ。最初の1人を待つこと。そして最初の1人を幸せにすることが何より大切で、1人幸せにできれば10人幸せにできる。10人幸せにできれば100人幸せにできると、幸せにした数が実績となり、自分の自信にもなるのだ。何をするにしても大切なのはやっぱり継続で、自分がやりたいことならとことん継続させるしかない。退職相談所に関しては電話がくることには始まらないが、僕はこうして本を書いたり、日々YouTubeを更新し続けることが退職相談所を知ってもらうきっかけ作りとなるかもしれない。また、退職相談所よりも僕という1人の人間を知ってもらうことが何より大切だ。そのためのツールとしてYouTubeなどの動画コンテンツや、文字を書いて本を読んでもらうことは最適である。僕は動画を作ることも、文字を書くことも大好きで、あとは人の悩み相談にのることも好きだ。路上で人生相談をやっていたことがあるくらい、知らない人と話しをするのも全く苦ではないし、むしろ結構楽しめるタイプだ。自分が楽しいと感じたことを続ける中で、相乗効果で全てに良い流れを起こしていく。YouTubeも執筆も頑張れば、退職相談所にも良い流れが起きる。そして、退職相談所に良い流れが起きれば、今度はYouTubeや本にも良い影響が起きる。てことは結局、今やっていることを全部継続させる以外の道はないのだ。続けていれば絶対に大丈夫。必ず上手くいく。退職相談所も電話が1件もこなくても、辞めなければきっと上手くいく。大切なのは毎日店を開けること。店を開けて、毎日近所のゴミを拾って、近所の人に挨拶をして、みんなを元気にすること。これを続けていたら必ず少しずつ人が訪れる。人が来たらその人達を満たしてあげる。そうするとまたどこからか風の噂で人がやってくる。その繰り返し。人生は意外と単純なのかもしれないね。今できることを継続させる。周りに貢献し、周りを喜ばせる。これさえできればきっと大丈夫。きっと上手くいく。僕も頑張る。あなたも頑張る。大変な世の中だけど、どうにかみんなで力を合わせて元気に楽しく生き抜いてこうね。あ、仕事で苦しくなっている人がいたら、今は僕が開くカフェ「喫茶ごゆっくり」まで。では、おやすみなさい。

2022/7/2

毎日続けることの効果はすごい。最近は毎日のようにYouTubeを更新している。するとどうだ。前まで月に50人ペースで増えていたチャンネル登録者が今では月150人と3倍以上のペースで登録者が増え続けている。チャンネル登録者は自分の中では気にしないようにしているが、それでもやっぱり増えていると嬉しいものだ。しかし今はチャンネル登録者の数よりも、毎日動画を更新することを自分の中で大切にしている。だからこれまで通り、日々動画を撮って編集し、更新することを1つの日課にしたいと思う。ただ僕の中で必ず毎日更新しないといけないというルールを決めているわけではなく、極力毎日更新したいが、動画が追いつかなかったり、気分が乗らなければ休むことももちろんある。基本は毎日で休みたいときは休む。しかし動画を更新した時の方が1日の満足度は爆上がりするから少し頑張ってでも更新するといった感じだ。継続というのは幸福であり、毎日何か1つ継続することは僕たちの人生に幸せを与えてくれる。継続することは何だってよくて、それこそYouTubeだっていいし、本を書くことだっていい。筋トレが好きな人は筋トレをしたらいいし、絵を描きたい人は絵を描けばいい。自分がやりたいこと、好きなことだから当然やってて楽しいし、楽しいから毎日やりたくなるし、毎日やるから成長もする。時に気分が乗らない日もあるが、気分が乗らないから休むのか、気分が乗らないけどちょっと頑張ってやるのかでも幸せの感じ方は異なる。例えば僕の場合、本当に疲れていて今日は絶対YouTubeを撮らないという日はYouTubeを撮影することは辞める。しかしそんな時はYouTubeの撮影はしないが、寝っ転がりながらでもできる動画の編集をしたり、こうして本の執筆の続きをしたりしている。単にYouTubeの撮影がしたくないだけなのである。また、YouTubeの撮影がめんどくさいと感じたが、めんどくさいけど心の中ではやりたいと思っているなら、めんどくさくてもやるという決断をする。それはめんどくさくてもやって良かったと後から思うことが分かっているからである。本当にやりたくないのか。単にめんどくさいだけなのかでも対応の仕方は異なるのだ。僕の場合、本当にやりたくない日は休む。YouTubeがやりたくないなら、1日中何もしない選択肢を取るか、YouTube以外の何か(動画編集、執筆など)できることを継続させる。この際何もしなかった1日よりも、何か少しでも進めた1日の方が満足度は高い。また、自分がやりたいことにめんどくさいという感情を抱いたときも、僕はめんどくさくてもやる選択肢を取る。それはめんどくさくてやらなかった時よりも、めんどくさくてもちょっと頑張ってやった時の方が幸せを感じたからそうしている。どちらも試してみての結果なのだ。こうして自分という人間を少しずつ知っていくと、自分の扱い方が分かってきて、物事を継続させやすくなる。僕の場合、やりたいことを1つに絞るよりも、いくつかある中でその日にやりたいことを選んだり、全てを毎日少しずつ継続させていくスタイルが合っている。もちろん中には1つに絞って1点集中で取り組む方が成長は早いという意見もあるが、僕にはそれは合ってないと感じた。1つに絞るというのは、それしかない、それに飽きたら終わりということを指す。YouTube1本に絞る。そうするとある時YouTubeが嫌になる。しかし僕にはYouTubeしかない。だから辞められないとなると嫌々続けるか、辞めて0から何かを始めるかのどちらかになる。僕の場合は違う。全部を満遍なく継続させる。もちろん成果はこれっぽっちもでない。でも毎日色んなことをやれて楽しいし、何より飽きない。飽きる気がしない。だってやりたくなければやらなければいいだけで、数ある中でやりたいものを選択すればいいだけだから。なのでこれ1本で食っていく、これを辞めたら人生終わりだという危機感が全くないのだ。命綱をたくさん持っている感じ。例え1本チョキンとハサミで切られても、残り2本あるし大丈夫だよ、人生楽しめるよといった感じ。そしてこれからも命綱を増やし続けようとすら思っている。命綱というとリスクに備えている感じがするが、リスクに備えるというよりも、単に人生を楽しむための選択肢をいくつも用意している感覚にすぎない。ただ自分がやっていること全てが自分の収入源ともなれば、それは命綱としての役割を果たすことにもなる。1つの収入に頼らなくてもいいから、1つ失っても残りの3本で食っていけばいい。2本切られても後2本あるしと安心できる。しかし、自分がやっていることを全力で楽しむには食っていくという考えすらも僕は捨てている。僕はお金を稼ぐということに関しては、本当に本当に才能がない。ビジネスレベル0。最低レベルだ。しかし物事を楽しむこと、継続させることに関してはそれなりに自信はあるというか、下手だけど下手なりに続けられるといった感じだ。YouTubeもこの本もそう。下手なんだけど続けられる。下手なんだけど自分は楽しんでるから続けられる。自分は楽しいということは、この楽しさが伝わる人は100人中1人くらいいるんじゃないかと思って、その1人に届けばいいなくらいの気持ちで書いている。別にみんなに評価される必要なんてなくて、下手でも100人中1人は良いと思ってくれる人はいるでしょと思ってればそれだけで続けられるのだ。100人中1人も私を評価する人はいないと思っているのなら、あなたを全肯定してくれる人を周りに探せばいいだけだ。友達でも恋人でも家族でもカフェの店主でも誰でもいい。もし周りにいなければあなたの作品をネットの世界にバンバン出しまくってみてほしい。その時は100人中1人に評価されればいい。いや、評価などいらない。自分の作品をまずは1,000個世に出すと心に決めてやってみてほしい。1,000個出したときにはどうだろう。必ずあなたの作品に「いいね!」と言ってくれる人が現れるはずだ。1,000個というと中々の数だが、毎日やれば3年で達成できる。ゆっくりやっても5年もあればいけるだろう。自分が好きなことならスピードも早いはず。周りの評価は無視して、まずは1,000個作る。この本も本になるとか、良い文章を書くとか、そんなことは全部無視する。まずは5冊書くと自分と約束している。これは2冊目。2冊目を書いたら3冊目に取りかかるだけだ。本を書くことは楽しい。毎日書くともっと楽しい。書けないときは、YouTubeを撮影したり、編集したり、本を読む。書きたくなったらまた書く。椅子に座りペンを持ってノートにひたすら頭の中に浮かんだ言葉を書き殴る。今日は結局何の話がしたかったのかな。でも何だか楽しかったな。こんな感じでテキトーにのほほんとやっていく。人生も何もかも。ではまた。

2022/7/13(水)

本を書くことは楽しい。本が出版にならなくても楽しい。不思議だ。僕にとって本を書くこと、執筆とは、日々の考え、経験を記録する日記にすぎない。いや、日記なんだけど執筆をしているという、日記と執筆を掛け合わせたくらいの気持ちでいる。ほんの少しの緊張感。でもとてもリラックスしていて、変な力は入っておらず、流れるようにペンが走る。それはこの日記が本になるとかならないとかを全く気にしておらず、僕が日々綴った日記が本として出版されたら儲けもんだなくらいにしか考えてないから出来る技なのかもしれない。何事も力は入れないこと。深く深呼吸して肩の力は抜く。結果など一切気にしない。結果などどうだっていい。楽しむこと。流れるように自然なままに自分を表現すること。自分が作る作品は素晴らしい、面白いと自信を持つこと。100人中1人はきっと認めてくれる存在がいることを信じること。これさえできれば何だってリラックスした状態で自信を持って取り組める。この本だって100人に1人はきっとめちゃくちゃ面白いと言ってくれる人が現れる。こんな好き勝手書いてるだけなのに人生が変わったなんて言ってくれる人が現れるかもしれない。いや、きっと現れる。そう思ったら楽しくなる。どんどん書けるようになる。なんだって1つの作品を作り上げたら1つ結果を残したことになる。だってその作品は必ず100人中1人は素敵だねと認めてもらえる作品で、それだけで価値があるものになるから。みんなから好かれなくていいし、みんなから気に入られる必要なんてない。自由にありのままに自然体で物事に取り組む。そして自信を持つこと。100人1人は私の良さに気付いてくれると。それで十分だと。僕は日々日記を書く中で同じようなことばかり書いているかもしれない。少し不安になってきたが、それほど僕が大切にしたい思いで自分自身に言い聞かせている証なのかもしれない。言葉とは、他者に向けて発しているようで実は自分に向けているものだったりする。きっと上手くいく、きっと大丈夫という言葉も他者に向けているようで、自分自身を安心させるために使う言葉でもある。上手くいくと信じること。大丈夫だと心を落ち着かせること。これが出来れば今日も明日も物事を継続させることができる。継続の力は本当に偉大で、結局は何を始めたかよりも、どれだけ継続したかに尽きる。それも嫌々ではなく、楽しく自然に。嫌な仕事を何十年やるよりも、自分が好きなことを何十年も楽しみながら継続させた方が自分も楽しいし周りも笑顔になる。苔が好きなら苔を極める。本が好きなら本を読みまくる。珈琲が好きなら色んな人に振る舞ってみる。もう何でもいい。僕たちは自由だ。もっと自由に生きよう。好きに生きよう。自分の好きなことをやって、自分を解放させよう。仕事も楽しむ。仕事のおかげで生活ができ、大好きなカフェに行くお金も稼げている。でも人を殺すような仕事はこの世にはいらない。そんな会社は今すぐ辞めること。みんな辞めてそんな会社はなくなればいいと本気で思う。辞められないなら喫茶ごゆっくりまで来てくれたら、さっさと辞めちゃいなくらいなら言ってあげるよ。人生一度きりなのに自分を追い込んでこれでもかと苦しめてどうする。そんなときはすぐに助けを求めないと。人生助け合いなんだから、助けてもらったら今度は助けてあげたらいい。僕に助けてもらったら僕が弱ったときはきっと上手くいくよとYouTubeのコメントにでも書いてくれたらそれだけで十分嬉しいから。相手を応援することも人助けの1つだからね。僕は今こうして本を書いているけど、何か伝えたいメッセージがあってペンを走らせているんじゃなくて、書きながら浮かんだメッセージをひたすら書いているだけ。だから話もまとまってないし、結果何を伝えたいんだろうとよく分からなくなるけど、それはそれでいいんだ。こんな感じでテキトーでいいんだよ。テキトーが1番だよ。テキトーも個性だから。こんなにもテキトーでいいんだ。私は今まで型にハマりすぎてたんだとテキトーな人を見て心がスッと楽になれるんだから。テキトーさをもっとオープンにしよう。ありのままにスッピンで生きよう。肌を痛めつけず、自由に生きよう。ではちょっと手が疲れてきたので今日はこの辺で。ではまた。

夢は探すものではなく見つかるもの

夢は探すものではなく見つかるもの。見つけるとのではなく、見つかるもの。こんなことを今日の朝ふと思った。僕は夢を探すのに、見つけることに必死だった。親友が珈琲屋を開きたいという夢を周りに堂々と宣言しているのがとにかく羨ましかった。そんなとき、僕には周りに自信を持って言える夢が1つも見当たらなかった。だから自分は誰にも認めてもらえない気がして、僕は必死になって自分も周りに言える夢がないかと探していた。でもやっぱり見つからなかった。何か1つ明確な夢があるというよりも、僕にはいくつものやりたいことが存在しているだけだった。それを夢というのかは分からないが、本を書くことが夢なら今すでに叶っているし、YouTubeを1,000本更新することが夢なら今は夢に向かって進んでいる状況だ。夢とはそんな大袈裟なものではなく、「〇〇を1年間続ける」とか、「〇〇に行きたい」とか、夢の規模は関係なしに自分が本当に望んでいるものを設定することが大切だ。自分が本当に望んでいるものでなければ、夢の賞味期限はすぐに切れてしまう。あれ、なんで私はあんな夢を持ってたんだっけと2週間もあれば消えてなくなるだろう。しかし、周りの目を気にした夢でなく、自分が本当にやってみたいこと、心の底から望んでいるものであれば、夢の賞味期限は無限大だ。その期間は分からない。自分が満足するまで一生続いていくのだ。そしてまた、夢というのはやってみたいことをやった先に見つかるものだとも思っている。YouTubeを始めたから1,000本更新してみたいと思ったし、収益化するまで頑張ろうとも思った。本を書いたことで自分の本を出版してみたいと思ったし、出版関係なくまずは5冊書いてみようという夢も見つかった。他にも最近は運拾いという名のゴミ拾いもしている。これも1年、2年と継続する中でポンっと夢が見つかるのかもしれない。それは僕にも分からない。そもそも夢など必要ないのかもしれない。夢は必要ない、どうでもいいと思っている中で見つかるものが夢なのかもしれない。夢というのはつまりやりたいことで、やりたいことをやれば夢を叶えたことになる。今日僕がやりたいことは本を書くこと。これは既にクリア。後はYouTubeを1本撮影して、編集して、動画を1本更新すること。カフェに行って本を読むこと。ゴミを拾うこと。楽しく生きること。これだけ。これだけと言っても割とあるように見えるかもしれないが、いつものルーティンなので全く苦ではない。僕にはやりたいことはいくつもあり、それら全てを夢というのであれば、僕にはいくつも夢があることになる。でもそれらの夢を他者に自信満々に語れるかというとそうではなくて、それはまだ自分がやっていることに自信を持ててない証拠なのかもしれない。本を書くことでいえば本を出版するとか、YouTubeでいえばYouTubeでそれなり生計を立てるとか、目に見える数字や実績がないから言えないだけなのかもしれない。周りには夢を堂々と言えない。しかし、自分がやっていることは大好きで、これからも永遠に続けていく予定だ。いつか自信を持って「私はこれをやっています」「私はこれが大好きなんです」と言える日がくれば、それはそれで嬉しいなと思う。まずは今やっていることを楽しみながら日々を継続させていく。これしか考えてない。夢なんか一旦放っておいて、自分がやりたいことを毎日楽しくやることだけ考えよう。ではまた。

文字貯金、動画貯金、運貯金

僕は今フリーターで正直言って貯金は全くない。全部かき集めても20万あるかないか程だ。てことは今全ての職を失ってしまえば、2ヶ月あれば僕の生活は破綻してしまうことになる。ヒェ〜恐ろしい。しかし僕は何とかなると思っている。この根拠はどこから来るのかは分からないが、きっと何とかなる。もしもの時は家にあるMacBookを売って、いらない服を売って、ゲームを売って、本を売って何とかしよう。だからきっと大丈夫。しかしそうは言ってもやっぱり不安だ。言葉ではいくら大丈夫と言っていても、実際心の中ではビクビクしている小心者だ。大丈夫、きっと上手くいく、何とかなるという言葉はいつでも服用できる薬みたいなものなのかもしれない。だからすぐ効くけど、意外とすぐに効果が切れたりもする。それでも何度も自分に大丈夫だよと声をかけてあげる。そうすると心が落ち着く。そのままスーッと眠りにつける感じがする。最高にリラックスできるのだ。そして、言葉の薬の良いところは何度服用しても身体に害はないところ。睡眠薬とかだと多量摂取してしまえば命の危険が伴うが、言葉はむしろ逆。声をかければかけるほど心は落ち着き、身体に害を与えるどころか、むしろ健康になっていく。本当に言葉は最高の薬だ。そんな素敵な言葉を僕は不安になったときに自分に囁いているのだが、僕は言葉を囁くだけでなく、ちゃんと不安を解消するための行動もしている。お金はないが、貯金もできないが、お金以外のものなら僕にも貯金できるのではないか。そう考えて浮かんだのが、動画貯金、文字貯金、運貯金なのだ。動画貯金とはYouTubeの動画貯金。これはYouTubeの動画を1本更新するたびに1溜まっていく。そして文字貯金は今書いているこの本だ。1文字書けば1円貯まっていく。そして最後、運貯金とはゴミを拾うこと、誰かに素敵な言葉をかけることで貯まっていく。道端に落ちているゴミを1つ拾うことで1ポイント。バイト先の人の素敵なところを見つけて伝えると1ポイント。母の日に母にプレゼントをあげると1ポイント。積み重ねれば積み重ねるほどあなたの人間的な魅力が磨かれていく。そしてこれらの動画貯金、文字貯金、運貯金は決してお金だけを運んでくるのではなく、お金以外の信頼、素敵な出会い、予想外の嬉しい出来事を運んでくれる。僕も日々街のゴミを拾っていたことで神様に出会えた。その方が生きる上で本当に大切なものを教えてくれた。そして実際にたくさんのプレゼントと貰った。僕は最高に満たされた。これは日々街のゴミを拾うことで得た運が運んでくれた出会いだと思う。YouTubeを日々更新する中でネット上ではあるがたくさんの方と出会い、こうして本を書くことでもきっと良いことがたくさん起きると確信している。良い行いをすれば必ず良いことが返ってくる。ゴミを拾うことも誰かを褒めることも家族にプレゼントすることもぜーんぶ良いこと。貯金とはお金だけではない。お金の貯金ができないのであれば、お金以外の貯金を僕と一緒にしていこう。きっと最高の人生になるよ。

ひとまず完成させる

ふと完璧を目指そうとしている自分がいる。良い本を書く。良い文章を書く。100点満点のホンなどないのに、誰かもウケの良い100点満点の1冊を作ろうとしている自分がいる。

そんなの無理に決まってんだろ!

そう自分に言ってやりたい。いや、言うのだ。この日記を通して。僕は今書いている日記を執筆とも捉えている。日記であり、執筆なのだ。僕が普段書く日記を通して日記の効能が伝わればいいなとも考えている。今書いている日記が1冊の本になる。本になるということは誰かに読まれる可能性があることでもある。それは本屋さんに並んで大勢の人に見られるとかそんな話ではなく、本を書いた自分自身が1冊の冊子にして僕の周りの人に渡せばその他人間にも見られることになるのだ。僕の周りの人に僕の考えを知られるとして、いったい僕は何を気にしているんだろうか。何にも気にする必要はない。書きながら気づいたのだが、僕はきっと大勢に見られる前提で本を書き進めようとしていたのだ。今までは誰に見られるとか関係なくとにかく書く、書くことを楽しむ、例え本にならなくても紙にコピーしてホッチキスで止めてそれが1冊の本になればそれでいいとか思ってたのに、急に本になって大勢の人に僕の文章が見られて「こいつの文章書いてること浅いな」とか思われたらどうしようなんて余計なことを考え始める。本になる可能性なんて0に等しいのに。それでも人間はつい希望を持つ生き物なのだ。勝手に良い想像をしたり、勝手に不安になったり、本当わがままな生き物だ。僕の今の目標は、もうどんな文章でもいいからこの「日記の効能」という1冊の日記を本にすることだ。もう本になればなんだっていい。10万文字を書いて、まだ書きたかったら書きまくって、それが1冊の本になればそれでいいのだ。中身の濃さ。そんなことも気にしない。中身の濃い薄いを決めるのは僕自身で、1冊の本になればその本は必ず中身の濃いものとなる。それくらいに思っていればいいのだ。ひとまず完成させる。改善はそこから考える。YouTubeも同じ。ひとまず動画をつくる。良い動画を作ろうと一生悩んでも仕方ない。数打ちゃ当たる。そうだ。数打ちゃあたる精神だ!こうして自分にしっくりくる考えに出会えるのマジ日記の1つの醍醐味である。本も数打ちゃ当たる。YouTubeも数打ちゃ当たる。まあ当たっても当たらなくてもどっちでもいいのだが、やっぱり当たったときはそれなりに嬉しいものだ。僕は高校まで10年間野球をやっていたのだが、ずっとバットの根元にボールが当たり続けても全然前には飛ばないし、それはそれはバッティングは楽しくない。やっぱりバットの芯に当たってスカーンとボールが飛んでいくほうが楽しいに決まっている。一生バットの根元にボールが当たり続けるのは苦しいし、それこそ野球が嫌になる。でもそんな野球も、何日もバットを振ってたら必ずどこかで芯に当たって、強い打球が飛んでいく。もちろん確率は人それぞれだが、どんなバッターでもバットを振り続けていれば必ず芯に当たるのだ。後はそれを信じてとにかくバットを振り続けられるかどうか。10回空振りをしても11回目を振る。11回目も空振りをしたら12回目を振る。その繰り返し。例えみんなから笑われても、それでも振り続ける。特に野球を始めたての人なんかは30回、40回振ってもバットに当たらないかもしれない。最初はそんなもんだ。それでもバットを振り続け、「カキーン!」とバットに気持ちよく当たった瞬間、すごく嬉しい気持ちになる。もう1回あの感触を味わいたいとなる。そしてまた、バットを振り続ける。何度空振りをしても、またあの気持ち良さを味わうためにバットを振り続ける。しかし今度は中々バットに当たらない。50回、60回振ってもバットに当たらない。そこで壁にぶつかる。自分には才能がないのかなと。そこでみんな辞めてしまう。ちがーう!そこで辞めたらダメなの。数打ちゃ当たるから60回で辞めずに100回振るの。失敗の基準を上げる。たったの60回で諦めない。それが自分のやりたいことなら尚更。僕も一緒。まずは本を5冊書く。それでダメなら10冊書く。本を出版するという気持ち良さを人生で一度でもいいから味わってみたい。そのために今日も地道に本を書き進める。時刻は22時47分。今日は7時間のアルバイトを終え、明日も8時間のバイトがある。それでもこうして自分のやりたいことを継続させる。YouTubeも1本更新したし、1本撮影もした。運拾いもした。本も読んだ。毎日続ける。数打ち続ける。誰よりも空振りする。それでも笑ってバットを振り続ける。それでいい。僕にできることはいつも笑ってバットを空振りし続けること。いつか当たるから大丈夫だよ^_^良いことしてたら必ず自分に返ってくるよ^_^とニコニコしながら日々を生きること。本当それだけ。それだけしかできない。だから明日も笑って1日を過ごす。YouTubeを撮って、更新して、明日も空振って、その次の日も空振る。それを繰り返す。本もゆっくりゆっくり書き進める。これは焦らない。ゆっくり進める。それが良い気がしている。毎日続けても楽しいことは、じっくり続ける方が合っている。これを自分の中で理解しているつもり。それが今はYouTubeと本で、この流れはどこかで変化するかもしれない。いや、きっとする。その時その時の流れに任せて僕は生きていく。てことで今日も1日お疲れ様。ゆっくり休んでね。お休み。

今書きたい言葉を書く

今書きたい言葉を書く。書きたいことがあるということは、神様からのメッセージを受け取っていることでもあり、そのメッセージが何なのかを深く知るために書くことでもあるのだ。あなたは今、何か頭に浮かんでいることはあるだろうか。もしあるのであれば、その頭に浮かんでいる考えを紙に書き出してみてほしい。より深く、詳しく、神様からのメッセージを受け取れるだろう。そして日記は、神様からのメッセージをより深く、詳しく知るための手段でもある。書けば分かる。より深いところに行ける。僕は今、ノート1冊と1本のペン、携帯を持ってカフェに来た。先ほど1冊の本を読み終え、ふと書きたいことが思い浮かびノートを広げペンを持ち、こうして今、文字を書いている。明確に「これが書きたい!」というものが思い浮かんだわけではなく、ボヤボヤっとした何かが浮かんだのだ。その何かは分からない。しかしこのボヤボヤも神様からのメッセージであると僕は受け取った。今まで神様がいるとかいないとか、神様を信じる信じないとかそういったことは全く考えたことはなかったが、最近は、神様は必ず僕を見守ってくれていると思うようになった。それは僕だけでなく、みんなも一緒。良い行いをすれば、必ず良いことが返ってくる。もし悪い行いをしてしまったときは、しっかりと反省し、その分良い行いをしてチャラ(0)に戻すしかない。もしくはそれ以上に人を笑顔にし、喜ばせ、大量のゴミを拾い、プラスに持っていくことを考えよう。僕はこうして本を書くことが幸せで、この幸せが誰かのもとに流れて、幸せな流れの川が作れればいいと思っている。最近は斎藤一人さんの本を読んでいるのだが、言葉一つ一つが前向きで、僕はすごく元気を貰っている。もっと頑張ろう。自分を信じて今を生きよう。楽しむぞ!と前向きなエネルギーを貰えるのだ。これは斎藤一人さんが本を通して前向きなエネルギーが流れる川を作っており、本を読んだ人々を前向きにハッピーにさせている。僕もこうした自分が楽しくやっていることで、自分以外の人を幸せにできたら最高だなと思う。そのためにもまずは自分自身を満たしてあげることが何より大切で、僕にとってはこうして本を書くことも自分を満たすことの1つなのだ。それはこの執筆が自分のやりたいことであり、好きなことだからで、そう考えると、自分の「好き」のエネルギーは凄まじいなと思う。自分の好きのエネルギーは自分だけでなく、自分以外の人をも幸せにする。僕にとっての読書もYouTubeも、この執筆もきっとみんなを満たすことに繋がる。そう信じている。幸せにしようとしなくても、勝手に幸せになっている。これが「好き」の力だ。改めて好きの力の偉大さを確認し、これからも自分の「好き」を大切に生きようと思った。人生の軸は自分の「やりたい」「好き」という気持ちで、僕たちは自分の「好き」「やりたい」を通して、幸せに生きるために生まれてきたのではないかとすら思う。自分の「好き」「やりたい」と出会うには、まず嫌なこと、苦しいことを辞めること。辞めれば余白が生まれる。今度はその余白に自分の「やりたい」を埋めてあげれば、その「やりたい」に少しずつ水をやり、花を開かせ、こうして好きなことが生まれる。好きを作るにも、心の余白、時間の余白が必要だ。まずは好きなことを探すのに必死になるのではなく、自分にとっての苦しさから解放させること、余白を作ることを大切にしてみてほしい。大丈夫、きっと上手くいく。僕たちの人生は上手くいくようにできている。これからも自分を信じて1歩ずつ1歩ずつ前に進んでいこう。

7/25 24歳になりました

今日は僕の24歳になる誕生日。父さん、母さん、産んでくれてありがとう。この世に産まれたおかげで、僕はこうして日々幸せに生きることができている。今はフリーターでこれから先の未来がどうかるかは全く分からず、真っ暗なトンネルの中にいる状態だけど、きっと大丈夫、きっと上手くいくと信じている。だから安心して。僕が信じられているからきっと大丈夫。去年の今頃は、まだ一人暮らしもしておらず、実家でバイトもせず、いわゆるニート状態だった。あと1週間程で一人暮らしが始まるので、それを待っている状態。フリーターでも一人暮らしをしながら自分の夢を叶えられることを証明したい。そんな気持ちで一人暮らしを始めた気がする。僕の夢といっても、一人暮らしをしながら、毎日のようにブックカフェに行ってその過程をYouTubeにあげて、いつか自分の生業だけで食っていけるようになりたいというものだった。年収1,000万とか、社長になりたいとか、そんな大きな野望があるわけではなく、ひとまず自分が生きていけるだけのお金を自分で稼げるようになりたい。労働から解放されたい。労働から解放されて、こうして毎日本を書いたり、YouTubeを撮ったり、最近は行けてない筋トレに行ったり、自分のやりたいことで1日を埋めたいなと思う。しかし、今はアルバイトをしないと食っていけない状態で、最近は週5~6くらいのペースでアルバイトをしながら、こうして本を書いたりしている。まあ労働もそれほど悪いものでもない。働くことでお金が貰えて、生活できて、ブックカフェに行けて、彼女とも旅行に行けたりする。働くことで知らなかったことを知り、出会えなかった人と出会え、ふと貴重なアイデアが降ってきたりもする。労働は宝だ。僕は今は労働から解放されて自由に生きたいと言っているが、いざ労働から解放されると、それは暇で暇で「働きたい!」「雇用されたい!」となるのかもしれない。それは全く分からない。ただ労働が死ぬほど嫌というわけではなく、僕は恵まれた労働環境にいるので、労働がそこまで苦ではないだけだ。これも辛い労働環境から逃げたからこその出会いだ。面白い仕事、自分に合った仕事はこの世にたくさんある。しかし、それらの仕事と出会うには、今やっている仕事を面白くするか、今の仕事を辞め、新たな仕事と出会うかのどちらかを選択しなければならない。そして僕はいつも、まず今やっている仕事を全力で取り組むようにしている。今の仕事を楽しむにはどうすればいいだろうか。これを考える。仕事は嫌なものではなく、楽しいものと捉える。そう捉えても上司からの罵声でメンタルがやられたり、精神的、肉体的にもしんどい状態なのであれば、すぐに辞めることをオススメする。仕事は山ほどある。正社員に限らず、アルバイトでも生きていける。つい最近だとインスタグラムで僕の好きなカフェがフルタイムで働ける人を1名、パートタイムを3名ほど募集していた。もし仮に僕が今の仕事を辞めたい状態だったら、絶対に辞めて、ここでフルタイムで働かせてもらうことにする。週5で働かせてもらって、社会保険に入れるなら入って、月10万円以内で生活して、働きながら学び、自分のやりたいことをやる。そんな生活を送る。きっと楽しいよ。カフェの店主には、「今の仕事を辞めてここで働きたい」と伝えればきっと働けると思ってる。もし既に定員が埋まってしまった場合は、そこは違っただけの話。きっと他の場所がある。生き方というのは本当に面白い。こうしてバイトで生きようとする人もいれば、正社員に呪われたかのように「正社員じゃないと死ぬ!」と思い込んでいる人もいる。はたまた、田舎で家を借りて、月5万円だけ稼いで暮らしている人もいれば本当に様々だ。生き方に正解はない。自分が生きている限り、その生き方は正解だ。しかし、今の仕事が辛く、もう死ぬほど追い込まれているのであれば、その生き方は間違っている。あなたにはもっと素敵な生き方がある。だから安心して今の仕事を辞めて、1ヶ月、2ヶ月ゆっくり休んでみればいい。ひとまず嫌なことを辞め、余白を作るのだ。そしたら後は、自然に毎日を過ごすだけ。やりたいことも探さない。自然と興味が湧いたものに取り組み、自然とやっていることを大切にする。楽しいことは継続させて、楽しいことを軸にした生活を作る。軸を決めればブレることはない。自分の楽しいことが継続できれば、仕事なんてなんだっていい。コンビニでもスーパーでも、自分が死なない仕事を探せばいい。僕は今日も生きている。無事に24歳にもなった。明日からはまた5連勤だが、死ぬことはない。死ぬくらいなら即辞めるだけだ。働きながらもやりたいことはやりまくる。その繰り返し。来年の25歳はどんな状態になっているだろうか。今と全く変わらないだろうか。それともちょっと面白い状態になっているだろうか。どちらにしろ、1日1日の積み重ねが25歳の僕をつくる。だから今日も明日も地に足つけて、じっくりコツコツ進んでいく。ではまた。

7/29 他者を励ますとは、自分を励ますこと

他者を励ますこと。それは自分を励ますことにも繋がる。誰かを信じることは、自分を信じることであり、誰かを応援することは、自分の背中を後押しすることでもある。それは逆も然り。誰かを侮辱することは、自分を侮辱することにもなるから要注意だ。僕は今、退職相談所をやっている。自分の電話番号を公開し、仕事が辛い、辞めたいと悩んでいる人の相談に乗っている。これは目の前の相手を信じ、応援することで、自分自身をも信じ、応援したいのだと思う。あなたなら大丈夫。きっと上手くいくと信じることで、僕なら何があっても大丈夫、きっと上手くいくよと信じたいのだ。他者を励ませば励ますほど、励ましの声が自分にも入ってきて、少しずつ少しずつ自分ならなんとかなるんじゃないかと思えてくる。これを繰り返すたびに、何があっても大丈夫だと強い基盤ができるのだ。もちろん僕は、100%自分なら大丈夫、きっと上手くいくと信じられているわけではない。むしろ僕は、自分を信じる力は弱く、いつも不安を抱えながら生きている人間だ。時にどっと不安が押し寄せている。その不安という重力に押し潰されそうになり、苦しむ時間が続くこともある。そんな時も、自分で自分を励ます。動き続ける中で、自分なら大丈夫と後押しするのだ。何もせず、家にじっといると、不安に押し潰されそうになるから、家でYouTubeを撮ったり、カフェで本を読んだり、執筆をする中で、不安を紛らわし、不安を原動力に行動している。むしろ、不安という負のエネルギーが僕の行動を起こす前向きな力へと変わっていくのだ。そう考えると不安とは、そこまで悪いものではなく、不安が人を駆り立てる前向きなエネルギーでもあるのだ。不安だから準備をする。自信がないから、自分を磨き、行動を起こす。本から学び、人の意見を素直に取り入れる。僕は、人の意見を取り入れすぎて自分の軸がブレたことが何度もある。なんなら今でもある。しかし、ブレ続ける中で徐々に軸が固まってくる感覚もある。揺れれば揺れるほど、頭は酔い、混乱するが、それでも揺れになれてしまえばこちらのもだ。揺れても平気。ここからが僕の時代だと言わんばかりに、自分が大切にしたいものを拾いはじめる。僕であれば、色んなことに挑戦する中で、自分が一生かけてやっていきたいことが見つかりつつある。本当に一生続けるかはどうでもよくて、現時点で続けていきたいという気持ちが大切なのである。僕は読書が好きだ。YouTubeを撮るのも好き。こうして本を書くことも、自分の考えを述べるのも好きである。これらの好きなことを、少しずつ少しずつ継続させていく中で、味わい深い、僕にしか出せない色を出せたら嬉しい。今もこれからも一生未熟者。死ぬまでずっと未熟だからこそ、これからも色々な人の考えを参考にしながら、右に左に揺れまくり、自分を磨き続けたいなと思う。てことでこの後はバイトがあるので、そろそろこの辺で。今日はカフェでのんびり書いてみた。ではまた。

2022/8/3 みんなも私もお金持ち

お金持ちとはどういう人のことを指すか。そもそも僕も、これを見ているあなたもお金を持っている時点でお金持ちなのではないか。今回はそんなお話をしたい。僕は24歳のフリーターで、現在の貯金残高は2ヶ月分の生活費しかない。そして今年は後半年分の年金を払っていないため、残り半年の年金を払うと、貯金残高は生活費1ヶ月分まで減ってしまう。これは大変なことだ。しかし、僕はそこまで不安を抱えておらず、まあ何とかなるでしょくらいの気持ちでいる。お金が尽きたら実家に帰ればいいし、まあなんだかんだ実家には帰らず、この一人暮らしを続けてるんだろうなくらいに思っている。そして僕は今、お金を持っている。いわゆるお金持ちである。生活費2ヶ月分の貯金があり、今日だって賞味期限切れの卵を5個使ったニラ玉を作り、お腹いっぱい夜ご飯を食べた。アルバイトだって4時間半働き、4千円程お金を稼いだ。明日もお腹いっぱいご飯を食べられるほどのお金はあるし、もうしばらくは今の生活を続ける経済力も、精神的、肉体的余裕もある。もう何の心配もない。きっと大丈夫なのだ。僕はなぜ、こんなにもお金の不安がなく、日々を生きられているのか。それは、お金を持っているという感覚が、過去の自分と変わったからかもしれない。過去の僕は、お金がない、お金がないとよく言うお金無い人間だったのだ。お金のあるなしは、彼女に高級ディナーをご馳走したり、良い車に乗ったり、貯金が100万円以上あるような人を僕の中ではお金持ちと定義していた。だから、友達が色んなところに旅行に行ったり、高そうなお店でご飯を食べているのを見ると、どこか僻んでいた自分がいた。お金持ちはいいなと。しかし今の僕は、高級車に乗る人も、彼女と高級ディナーを食べる人も、家で賞味期限切れのニラ玉を食べる人も、この本を読んでいるあなたも、みーんなお金持ちと認定している。だってみんなお金持ってるでしょ。きっと財布の中、銀行口座の中には、1円は入ってるでしょ。そう。僕もあなたもみんなお金を持っているのだ。お金を持っている人はみんなお金持ちであり、高級車に乗る人も、安いオンボロの軽自動車に乗ってる人も、僕みたいに車も持っておらず、家賃2万5千円の部屋で質素に暮らしている人も、お金を持ってさえいれば、みんなお金持ちなのだ。しかしこんなことを言ったって、いきなりお金を持っているという感覚になるのは難しい。でも大丈夫。今日から簡単にあなたもお金持ち感覚になれる方法がある。これは僕も日々実践していて、本当に効果を感じているものだ。その方法とは、毎日100円貯金だ。毎日100円でいいから、貯金箱にお金を貯めていくこと。このときいくら貯めるかというのは正直関係ない。毎日毎日お金が貯まっている、毎日毎日僕はお金持ちに近づいていると実感することが大切なのだ。もし今、毎日100円貯金するのも難しい方は、毎日10円でもいい。逆に100円が余裕な人は毎日500円でもいい。自分のできる範囲で、着実にお金持ちに近づいていこう。お金を持っているという感覚。自分はお金持ちであるという感覚を得るには、やっぱり貯金が大切だ。しかし僕みたいなフリーターは、日々生きていくのに必死で、まとまったお金を貯金するのは正直難しい。しかしそんな僕でも、毎日100円くらいなら貯金できるし、毎日100円貯金するごとに、僕はお金持ちに近づいていってると思うと、僕はどんどん豊かになっているなと実感できる。僕はお金を持っている時点でお金持ちなのであり、毎日100円貯金できるお金がある僕は、真のお金持ちなのだ。そして毎日100円貯金してからは、気軽に自動販売機でジュースを買うことが減った。これを買うのを辞めれば、今日の100円貯金に回せると思うと、今日はやめとくかと無駄なお金を使うことが減り、その分お金持ちへの一歩を辿ることができるのだ。これは本当に大きなエネルギーが働いている。自分もお金持ち、みんなもお金持ちと思えば、お金に対する認識も前向きになり、どんどんとお金が好きになっていく。毎日毎日100円が貯まっていく感覚。あれは最高だ。フリーターでも貯金はできる。貯金の幸せを毎日味わえることこそが、至福のひとときなのだ。だってだいたいの人は月に一度、まとめて貯金をすることでしか味わえないから。それを毎日味わえる100円貯金は最高だよ、というのを今回の章で伝えたかったのだ。僕もあなたも、お金を持っている時点でお金持ち。毎日毎日100円貯めれば、どんどんどんどん豊かになり、真のお金持ちへと近づいていく。共にお金持ち仲間として、真のお金持ちへと道を辿ろう。そして、自信を持って言えるようになろう。趣味は貯金。お金が大好きです、と。僕もまだまだ授業中。お金とは、これからも上手に付き合っていけるように、日々精進していく。そしてまた、明日もチャリンとお金が貯まる音を聞くために、今日もぐっすり寝たいと思う。お金♩お金♩ルンルンルン♩毎日毎日100円貯金♩みんなも私もお金持ち♩お金持ちの歌を最後に今日はここで以上にする。それでは、おやすみなさい。

8/17 自分を責めながらも歩みは止めない

最近は漠然とした不安から、自分を責める日々が続いている。僕にとって自分を責めることは日常茶飯事なのだが、それでもこのモヤモヤとした気持ちを抱えながら生き続けることは苦しいなと思う。そして、だいたい僕が不安を抱えるときは、自分が今やっていることが上手くいってないと感じるときで、今がまさにそうである。この本を書くことも、地道に更新し続けているYouTubeも、目に見える結果が出ているわけではなく、だからこそ前に進んでいる実感もなく、こんな感じで弱っていってしまう。しかし、自分がやりたいことだからこそ、自分を責めながらも着実に前に進んでいきたいなと思う。調子が良いときは1歩、2歩前へ進んで、苦しいときは、半歩でもいいから少しずつ足を前へと運ぶ。どんなに苦しくても歩むことだけは辞めない。この本を書くという行為、動画を撮ってYouTubeを更新することが、僕にとっては未来の希望となり、心の精神安定剤となっているのだ。今は調子が悪いから何もしない。この何もしないという行為が、どんどんと精神を弱らせてしまう。調子が悪い、苦しくてもいいから、ほんの少しでも創作をすると、次第に調子が戻ってくる。もちろん無理はしない。無理をしすぎると、自分がやっていることすらも嫌になっちゃうから。でも、やりたいけど調子が悪い、やりたいけど苦しいという、心の奥底に少しでもやりたいという前向きな感情があるのなら、僕は半歩でも足を前へ運ぶことをオススメしたい。僕自身も最近は日々、自分を責めながらYouTubeを撮ったり、今日も朝からこうしてバイト前に本を書いている。もう本になるならないは関係なしに、書くことが心の安定に繋がり、書き続けていればきっと何か良いことが起こると信じることができる。これが未来の希望の種となる。3年、5年、10年と、自分が望む結果が出るまでに時間がかかるかもしれない。それでも日々こうして前へ進む努力をしなければ、この年月は伸びるばかりか、死ぬまで自分が理想とする境地へ行けないかもしれない。不安を抱えるのは誰だって一緒だ。世の中のほとんどの人が仕事、人間関係、お金と何らかの不安を抱えているものだと思う。しかしその中でも、不安を抱えたまま、自分なんてダメな奴なんだと自分を責め続けるのか、自分を責めながらも、少しずつでもいいから前へ進もうとするのかでも、1年後、2年後、3年後と未来は大きく変わってくるものだと思う。いや、そう信じたい。僕はまだ24歳で、人生経験もとびきり少ない。大学を卒業してすぐにフリーターになったため、社会人経験もない。しかし、人生経験が少ないのと、社会人経験がないフリーターだからといって本が書けない理由にはならない。フリーターとして生きていると、今の生き方を否定してくる人に時々会ったりする。つい先日も、初対面のお爺さんに「君はまだ人生経験か浅いから作家になるのは無理だ。けじめをつけるなら早いほうがいい」と言われた。もちろん、人生経験は豊富なほうが、文章を書くには良いことくらい何となくはわかる。しかし、人生経験がないからといって、なぜ今この瞬間に文章を書いてはダメなのか。別に文章を書くことを否定されたわけではないが、ある程度の経験を積まなければ、面白い文章を書けないし、どうせ作家にはなれないと言われただけだ。それでも僕は、文章を書き続けたい。けじめはつけない。自分がやりたいことをやり続ける中で、苦労というのは自然にしていくものだと思うから。なぜ社会人として働いている人は苦労した人で偉い人で、フリーターとしてアルバイトをしながら生きている人は、苦労せずに生きている人と思われるのだろうか。不思議でたまらない。フリーターにも、ニートにも、それなりの悩みはあり、苦労はあるものだ。人の悩みに優劣がないように、人の苦労にも優劣はないのではないか。この苦労自慢みたいなのはやめにしないか。苦労したからといって偉いわけではないし、苦労を語って何になるのだ。もちろん、自分が望む道へ進む中で、目の前に何度も壁が立ちはだかり、その壁を一つ一つぶち破って進んでいく姿はたくましいし、そういう話を聞くのは僕も好きだ。情熱大陸やプロフェッショナル仕事の流儀で見る、仕事人として活躍する方達を見るのは、本当にカッコいいなと思う。自分の夢や目標があって、その道に進んでいく中での苦労は必ずある。これは避けては通れない壁であり、これを乗り越えることは必要不可欠だ。苦労とはこれでいいと思う。苦労を積むことが必要なら、とりあえず、何となく苦労を積むのではなく、自分がやりたいことをやる中で阻む壁を乗り越える苦労を僕は大切にしたい。そして、その壁を乗り越える中で得たものを、こうして言葉として届けていきたい。苦労とは何なのか。それは壁であり、生きている限り、誰しもに訪れるものだ。だから全ての人は、必ずなんらかの形で苦労している。苦労してない人などいない。また、この壁をぶち破り続けることで、人間としての魅力が高まってくるのだと思う。僕自身こうして本を書き続ける中で、自分は人としても、作家としても未熟であるにも関わらず、未熟な自分を責めてしまうことが多々ある。しかしそんなときも、自分を責めながらも、前に進むことだけは辞めない。未熟だからこそ、半歩でもいいから、前に進み続けなければならないと、自分を鼓舞している。だから大丈夫。きっと上手くいく。歩みさえ止めなければ、どんな人でもきっと上手くいく。僕自身こうして本を書き続ける中で、まだ何者でもない僕が、今の現状を届けることで、いつか誰かの背中を押せたら嬉しく思う。てことで、この後も8時間のアルバイトが待っているので、準備して行こうと思う。ではまた。

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