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思考の前提は経験の外にある

例えば、ある場面で判断を求められた時、思考の前提を「経験の中」に置くか、「経験の外」に置くかで、物事への思考のプロセスはまるで変わってきます。

経験の中に前提をおけば、自分が思う言葉の意味、経験の範囲で、物事を考えて選択することになります。もし、自分が思っている言葉と相手が求めている言葉の意味に齟齬があったら?相手の考える経験の深さと自分が提示している経験の深さに開きがあったとしたら?経験の外への意識によってコミュニケーションギャップが生まれるのではないかと考えています。

コンテクストという視点で考えると、判断を求めてきた相手の思考の過程に想いを巡りまくる必要があります。そのプロセスの中では、きっとこの方には様々なことがあり、色々な判断をして、決断をしてきて、そんなことを乗り越えてきた先の結果として、今、私に何かの判断を求めている、のかもしれない、なんてことを妄想します。つまり、氷山の水面の上に出ているのが、判断を求める、という行為で、判断を求めるに至った理由は、水面下に隠れているものなのです。目の前の行為そのものより、その行為に至った思考へと意識を向ける必要がありそうです。

私の実感値では、最初からプロセスに想いを巡らせてベターな判断ができるスマートな方は、ざっくりと20%くらいじゃないかなと思っています。この20%と残りの80%の存在は、物事を考え、判断して、ともに何かを成していく時に、なかなかに悩ましい課題となって現れてくるのです。

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