夜、森田童子

久々に絵を描いている。単調な細かい作業はそれなりに落ち着くものだ。作業用BGMを選んでいる内に、一つ気付く。虚無以来の五ヶ月、明るい曲を聴いていない。アップテンポな、或いは例えばエレキギターを前面に出したような激しい曲は、どうにも聴けなくなっている。リラックス系の、自然の環境音のようなASMRばかり垂れ流していた。何か聴こうとすると、或いは森田童子になる。Youtubeで作っていたお気に入りリストなぞは、今はもう使えぬ……何とも、騒々しい。

このところ出掛けるといえば話の通じる数少ない友人の所がいいところで、バイトにもあまり行っていない。先日所用でイベントなど行ってはみたが、反動を見る限り悪手であったらしい。万事が億劫で、睡眠も心地好いものではない。悪夢を見ると不快になり、良い夢は起きて憂鬱になる―――なまじ夢など見るものではない。

否、知っているとも。この機運が高まった深夜に食う物は味が薄い、その気になってしまうのもそういう事なのだろう。今精神科にかかれば何と言われるかぐらい、察せぬ私ではない。この手の症状はやり過ごすのが最適解であろう……それは無論、知っている。


身近な人間を五人挙げれば、その平均が自分であるという話がある。五人というと私には少し難しく、2〜3人はすぐに思い浮かぶも、それ以外となるとどうしても一段落ちる。ではこの2〜3人はというと……見事に皆精神疾患持ちである。精神が死に近い者のみだ。

我々に対し常人のかける言葉は、常に木の板である。板を剥がしてその下の奈落を見た者に対し、彼らは常に新たな木の板を押し付けるばかりである。笑ってしまう程に。


嗚呼、森田童子の消え入るような歌声が沁みてくる。

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