Fableとコンカリーニョと虹色Chaos 2006年 25歳

ダンスを教えまくっていた僕は、ある日レッスンのインストラクターという仕事に疲れて別の道を模索するようになりました。
家業の新事業を担当させてもらいながら、自分でイベントなど主催するようになっていきました。

イベントの主催に関しては、この時期が初めてではありません。
自分のダンススタジオの発表会、小樽のダンススクールの発表会的イベント、小規模の舞台公演などは昔から手掛けていました。
ですが、それはあくまでも「自分が踊るため」「生徒に場を与えるため」であって、イベント自体が作品であるという感覚はありませんでした。

ネット上に残っている記録をたどると2005年8月26日(金)
僕らの劇場復活イベント Fable minority ダンス公演「 FABLE 」
という公演を僕とダンサーの東海林 靖志君、平原 慎太郎君、あと↑のリンク先に名前書いていないけど右舞士(うぶし)君のダンサー4人で合同主催しています。
この公演で興味深いのは、

1st. 開場 18:45 / 開演 19:15  2nd. 開場 21:00 / 開演 21:30

ものすごーーく狭い間隔で2回公演を行っています笑
21時半開演なんて今では考えられない、一体何時に撤収したんでしょうか。
1回目と2回目の間隔がせまっ!1回目が終わったらすぐにお客さんを入れ替えていたのでしょうか?

ちなみにこの公演は、旧コンカリーニョを再建するためのチャリティーイベントでした。
ダンサーの東海林が景井 雅之君(ミスター)と富樫 幹君という人たちを、自分の作品のライブペイントメンバーとして連れてきて、彼らとはこの時に初めて出会いました。
ミスターはコンカリーニョ理事長の斎藤ちずさんに、いきなりタメ口で話しかけていて、尖っているなーと思いました。


ちずさんは僕らのことを面白がってくれている節があり、2006年にコンカリーニョが新しくオープンした際に「好きなことやっていいよ」みたいな感じで今度は新コンカリーニョを使わせてもらうことになりました。

東海林による「ある種の美術館みたいな、4面を作品で囲まれた中で踊ってみたい」という案がベースになり、リングのように真ん中にステージを置いて、四方の壁を作品で埋めたイベントをやることにしました。

ミスターと僕と東海林と右舞士で、札幌中からあらゆるアーティストを集めました。
音楽にしろ美術にしろ踊りにしろ、ジャンルからはみだした表現者が凄く多かったように思います。
ちなみにこの時期は僕もどうにかはみ出そうと思って、いろいろやってみたんですけど、まぁ・・・その話はやめておきましょうか・・・
はみ出すって簡単じゃないのな・・・

混沌とした表現も数が揃えば異様な力をもつ。
僕らはこのイベントを「虹色Chaos」と名付けました。

いま思えば多様性そのものでした。
全然そんな意識なかったけど。

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