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シンガポール珍道中2|出迎え人がいない

東京都の面積は約2,200km²ですが東京23区の面積は約600km²、シンガポールの大きさは約700km²ですから凡そ東京23区の大きさです。まさに都市国家ですね。東京23区のGDPは約$1兆、人口約1000万人。シンガポールのGDPは約$5千億、人口約500万人と考えると、水資源さえないシンガポールが東京と同じ経済力があるということになります。

戦後の日本の高度経済成長と同じように奇跡的経済成長と称賛されるシンガポール経済ですが、データはサービス・金融経済が大きいことを表しています。

1965年に建国されたばかりの新興多民族国家シンガポールは、建国者リー・クアンユーの「能力を授かった5%の人間にだけ国家資源を配分すべきである」という彼の優生学に基づいた国家運営がされてきました。

その結果、シンガポール社会は徹底的な能力主義の極端な高学歴社会を実現したと同時に教育格差による階層分離が進み日本と同じような格差社会問題を内包しています。

データ的に経済力が東京23区とピタリと一致するというのも、ある種不気味で二つの都市経済の脆弱性を覚えるのは私だけでしょうか。(笑)


シンガポール珍道中噺2|出迎え人がいない

さて、40年前のシンガポールに到着した私。今振り返ると、青二才の頃の私は、仕事大好き人間で、朝から夜まで365日、盆と正月を除くと寝る間を惜しんで働いていたように思います。(笑)

社長さんにトランスポーターを頼まれた時も、言われるままに「はいはい」と返事はしていても、肝心の要件以外ほとんど無頓着。(笑)

出発前日まで仕事で沖縄へ行っていて東京へ戻ったのは夜。

空港に迎えが来ると聞いていたので飛行機に乗ればいいだけと荷物だけ適当に入れ替えて出発。てな具合でした。(笑)

青二才の恐いものなしでしたから、耳と口があればどうにでもなると思っていました。

シンガポールへ着いたのは夕方。それも届けるようにと渡されていた大きな本を出口で掲げれば、それを目印に迎えの人が声をかけてくることになっていました。

出口は、プラカードを掲げる旅行社の人やら迎えの人やらで大混雑。言われたとおり本を頭上に掲げて迎えの人が声をかけてくるのを待つことしばらく。。。あれ、誰も声かけない?どんどん減ってゆく人々。

出口の半円形木柵に囲まれたフロアの幅はおよそ20mぐらいだったろうか。左から右、右から左へと本を掲げて行ったり来たりするも迎えらしき人はいない。そのうち、それらしき人は誰もいなくなった。意味不明(笑)

さて、どうしたものかと考えて直接ホテルへ行けばよいと決めたところで因果応報に気づいた。ホテルの名前を思い出せない。(笑)

今でこそ日本でも有名で映画にもなり旅好きなら当たり前に覚えているラッフルズホテルですが当時の日本人でラッフルズホテルなんてほぼ誰も知らない。ヒルトン、シェラトンなら知っている。しかし寝れたら何処でもOKの青二才の私の海馬は、なんとラッフルズホテルをスキップしたのである。(笑)

とはいえ、右も左も分からない初めての国でいきなり野宿もできないので、仕方なく電話帳をめくって海馬が記憶していたシェラトンに電話。なんとか宿泊先は確保した。途端に空腹感が襲ってきた(笑)

シンガポールで行きたい場所があった。海馬がしっかり記憶していたのはニュートンサーカス。シンガポールの屋台村だ。タクシーで直行しました。

人生は本当に面白い。このニュートンサーカスで私のシンガポール珍道中を伴にする美しい人と出会うことになった。(笑)

シンガポール珍道中1 || シンガポール珍道中3


エムケイコンサルティング 良仁