喜劇

麗花の湛ふ春野原
駆くるは君が夢心地
殺すも君が夢心地


彼は花野を駆けていた。花は仄かに薫り、その名もない極彩は絶えず前方から足元を流れ後方へと消えてゆく。蒼穹に浮かぶ雲の輪郭は明瞭としていて、しかし何故か朧げな雰囲気も孕んでいた。駆ける足の鳴らす大地の音と荒い呼吸が空気に拡散しているばかりで、この地平線に臨む平原は静寂に支配されていた。

彼は何故自分は駆けているのか、そればかりか何故花野にいるのかさえ皆目見当つかなかった。が、彼は妙に幸せで満ち満ちていた。
(「が、」?しかし彼の刹那的な疑問は花の香に消え入るのであった。)

ふとした拍子に、彼は何かに躓いて転んでしまった。彼は思わず両手と両膝を地面につけた。

彼は……彼は、彼の手元に生える数輪の花が皺くちゃに潰されているのを発見した。元来鮮やかだったであろうその花々の色は黒く変色している。その花々は、微かに体液の生臭い悪臭を放っていた。
ただ、ただそれだけであった。

彼は走り続けた。足元から目を逸らしながら。
それはまるで、歳の幼い喜劇役者のように。

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