1 「君のいない世界」──失ったのは「誰」なのか。

プレお披露目で歌われたデビュー曲。
音源のリリースはEP2種「cinder-ella」「LOVE」の同時リリースであり、1stと言える「cinder-ella」の1曲目に収録されている。
シンダーエラの物語はこの楽曲から出発していると言って差し支えない。

※今後「シンダーエラ」とはグループ名を指し、元ネタのグリム童話については「グリム版」と記載することとする。

シンダーエラにしてもグリム版にしても、出発点は「大切な誰かを失う」ことであり、それによる環境変化がもたらす悲劇が物語前半の主軸となっている。
楽曲の上では大切な誰か(恋人でも友人でも話としては成立するだろう)を、グリム版では母親を失うのがプロローグだ。

大きな違いを顕著に表しているのは下記の歌詞だろう。

時計の針左周りに進めても
消せぬ過去消せぬ罪を重ねるだけ

嘘に愛されたの
取り柄のないただの人形

引用元:https://linkco.re/bXPrHhTM/songs/1236085/lyrics

自らの過ちにより「君」を失った世界、というのが楽曲の主題だ。
何をやらかしたのかはわからない。しかし「君」というのは、いなければ世界が「めちゃくちゃ」になるほどに大切にしていた、あるいは妄執的に愛を注いでいた存在だ。それを失った自らの過失を「罪」と自覚しているのだから、以降の楽曲で描かれる罪や苦悩はいずれも自責の念に起因するものと考えられる。

一方でグリム版のエラは何か罪を犯しているだろうか?
母親は病死であり、エラは母親の言いつけを守り誰にでも親切に生きた。そこにエラの過失は認められない。
エラに訪れた悲劇は、再婚によりやって来た継母とその連れ子たちによる陰湿な虐待が原因である。(父親についての記載はほとんど無いが、黙認という形で加担していたのだろう)

正反対ではあるが、物語が「シンダーエラ」としてはじまったのは、楽曲の主人公が自らの境遇や苦悩をエラのそれに重ねたからではないか。物語序盤のシンデレラ、継母たちに虐められる惨めさを、自責や自罰の感情、あるいはそこから派生する被害妄想や責任転嫁がもたらす辛さと重ね合わせ、悲劇のヒロインになろうとしているのではないか。

2022年3月8日にはシンダーエラ初のアルバム「sins」がリリースされる。
アルバムタイトルの意味は「罪」。グリム版のエラは罪を犯した人間ではないが、シンダーエラ楽曲の主人公は罪の意識から物語をはじめている。
ともすれば、誠実に生き、耐え難きを耐え、やがて幸福を手にしたエラに自らを重ねたおこがましさ、それもまたひとつの「罪」として描かれているのなのかもしれない。

2021.1.22追記

以降の曲の解釈を進めるにあたり、どうしても調べなければならなかったのが聖書についてだ。これは聖書を元ネタとする歌詞や楽曲がちらほら存在することから、いずれ触れておかねばならぬと思っていた。

別途詳しく記事にするが、色々と関連資料を読み漁る中で、キリスト教において罪を悔い改めるために灰を被るという行為があるのだと知る。

となればシンダーエラが紡ぐ物語は「君」を失ったことに対する贖罪の道程なのではないか。
罪を悔い改めんとする1人の少女の物語である。シンデレラストーリーというように、少女が罪という苦難を越えて素敵な女性になるまでの物語を描こうとしているのではないかと思える。

ともすれば悲劇のヒロインになろうとしているなんてとんだお門違いだ。大変失礼した。
困難において灰を被るという行為が、継母たちに虐げられ灰の中で眠るエラのそれと重なるのは決して不自然なことではないだろう。

なお、これ以降の展開についても、もしかしたらシンデレラよりも聖書寄りで考えたほうが解釈がしやすいかもしれないと思うところがある。が、筆者は聖書をまったく通っていない系の人類なので、なかなか大変な道筋かもしれない…

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