7 「YHWH」──全能の神は灰かぶり姫に何をもたらすのか

これまでの考察を踏まえた上でないと考察しようがなかったのがこの曲だ。

「YHWH」(ヤハウェ)、旧約聖書に登場する神聖四文字と呼ばれる語で、意味するところは唯一神、万物創造の神。全知全能の神と言っても良いだろう。「エホバ」と読む場合もあるが、曲名としては「ヤハウェ」である。なお聖書における正確な発音はわかっていないようだ。
キリスト教においては、キリストと同一視されたりそれより上位の存在として扱われたりと色々だが、その点はWikipediaを読んでいただいて各々の判断にお任せしたい。

念のため何度でも書いておくが、当noteの筆者は無宗教でありこのへんの突っ込んだ話の独自研究を語るのは憚られる。あくまでシンダーエラ楽曲のモチーフのひとつとしてキリスト教や聖書が用いられていることがおよそ確からしく、その楽曲解釈の道を切り拓くために付け焼き刃の知識で種々の素材を引用しているに過ぎないことをあらかじめご了承いただきたい。

ひとまず「YHWH」=「全知全能の神」とし、グリム童話「灰かぶり姫」とどう結びつけるか、ということを話していく。基本はこれまでと同じだが、事前に言っておきたいのはこの楽曲がシンダーエラの最重要楽曲のひとつであるということだ。

内省的な楽曲が多いシンダーエラの世界の中で異彩を放つこの楽曲の歌詞は、自らのありのままの弱さと向き合い、全能の神に祈りを捧げ救いを乞うことに終始している。

グリム版における「全知全能の神」とは誰か?
祈り、言ってしまえば「お願い」の対象であり、望みを叶えうる存在であるとした場合、それは誰にあたるのか。
エラの友であり、願いを叶え導いた「鳥たち」ではないだろうか。

鳥たちはエラの友として話し相手となり、望むことがあれば叶えてくれた。継母の無理ゲーにも手を貸してくれたし、舞踏会に行くためのドレスや靴を用意してくれた、救いの神と言っても差し支えない存在である。
そして鳥たちは、一般的によく知られる「シンデレラ」における魔法使い(ディズニー版においてはフェアリーゴッドマザーと呼ばれる)に該当する存在だろう。
そしてそれは物語の「転」を担う存在でもある。

「YHWH」がシンダーエラ楽曲の主人公にとっての鳥(あるいは魔法使い)に宛てがわれたのはなぜだろうか。
まずは他の楽曲でも聖書・キリスト教をモチーフにしていることを明確に示す目的があるだろう。

そしてそれが「神」であることも理由のひとつであるはずだ。

グリム版や「シンデレラ」における鳥や魔法使いは、エラの境遇を憐れみ奇跡のような力を貸してくれる存在として描写された。望めば何でも叶えてくれる、全知全能とすら言える不思議な存在。

一方で「YHWH」は何をもたらしてくれるのか。
3/8発売の1stアルバム「sins」のジャケット写真が公開された際のニュースリリースにて、みつこのコメントを通してプロデューサーの意図が語られた。

・ジャケットアートワークについて
ジャケットは、プロデューサーいわく「鳥葬」をイメージしていて、sins(罪)を鳥が全部食べて運び去ってくれるような表現にしたくて今回の構図になったとのこと!

https://natalie.mu/music/news/466152

“鳥葬”は、ゾロアスター教およびチベット仏教において用いられる葬儀方法である。意味合いはそれぞれだが、死体を野に晒して鳥にその肉を食べさせるといった方法でおこなわれる点は共通している。

ジャケットにおいては“鳥”は「罪を赦すもの」の象徴として取り扱われていることになる。鳥そのものは登場しないが、裏ジャケットを見てみるとそこにメンバーの姿はなく、黒い羽根だけが残されている。鳥も喰われたんじゃなかろうか

グリム版においては“鳥”が魔法使いにあたり、願いを叶える存在であると書いたが、赦しを乞うこの楽曲の歌詞がジャケット(のイメージ)において成就したということになるだろう。

それではここでMVをご覧ください。シンダーエラで「YHWH」です。どうぞ。

7/8拍子の高音単音リフで貫徹するトラックが印象的な楽曲でもあり、他の曲たちと比べてかなり明るい印象を受ける。闇を彷徨う重低音が多いシンダーエラ楽曲において、この曲の音像は雲の上で鳴っているかのようだ。

実は「7」という数字はキリスト教においては「完全な数字」とされている。短絡的に「7とはYHWHの数字だ」なんて言うとどこかから怒られそうな気もするが、結び付けはともかく制作の上で「7」という数字が意識されていた可能性は高いだろう。
そしてもちろん、シンダーエラ楽曲にみられる「七つの大罪」もまた要素として「7」が絡んだ題材である。

ここでリリース時のインタビューを参照したい。

――アルバムにも収録されている「YHWH」はMVも撮影されていて、かなり力の入った楽曲だと思いますが、どんな思いで制作されたのでしょうか?
だいき
 そもそも今回の「sins」っていうアルバムタイトルを、本当は英語表記の「seven deadly sins(七つの大罪)」にしたかったんです。けど、今回七つの大罪の楽曲を揃えることが難しかったので、「sins」に変更したんです。「YHWH」はその「七つの大罪」を昇華させるためのシンダーエラなりの賛美歌的なイメージで、今回のアルバムsinsのコンセプトの1つでもあり、今のシンダーエラのコンセプトの1つでもあります。今後いろいろな広げ方はしますが、「YHWH」はその広げる際の1つの定規のような役目を果たします。

https://www.galpo.info/feature/702/list/4409

やはり重要曲であることは言うまでもなく、そしてこれから登場する新しい曲たちによってもこの楽曲の捉え方は万華鏡のごとく違ったものに見えてくるのだと思われる。

少し話は戻るが、グリム版とシンダーエラ楽曲における“鳥”の役割は、通じていながらも、もたらす結果は相反している。
端的に言えば、グリム版では「与える/もたらす存在」、シンダーエラ楽曲では「罪を奪い去る/禊ぎ払う存在」だ。

これこそがグリム版とシンダーエラの世界観の決定的な相違点であると考えられる。
ましてや「神」、グリム版のエラにとっての「友」という鳥の立ち位置を青天井で突き放している。

そしてやはりプロデューサーだいき氏の以下のツイートがそれを裏付けていると言えるだろう。

ロゴは薔薇をモチーフに。血の赤。暗赤の薔薇。色によって180度意味の異なる薔薇で二面性を表現。ガラスが砕け散った感を出す為に単純な記号のみで作成。本編にガラスの靴は登場しないのですが、シンデレラ≠シンダーエラであり、シンデレラストーリーなんてないという意味合いをもたせてます。

https://twitter.com/daikichi0526/status/1169895487903678464?t=KwTOr-vo6VUvtz6ccN2U_A&s=19

ちなみに「暗赤の薔薇」初披露より前のツイートである。(もっとも、このあと程なくして初披露がおこなわれたため、ツイート当時には既に制作されていたと思われる)

実はこの曲の考察を書くまで見落としていたツイートなのだが、グループの紹介文では「シンデレラの元になった同名のグリム童話にインスパイアされた世界観」と表現されているものの、正確にはシンデレラという夢物語を現実において否定することをコンセプトにしている、と言えるのがこのツイートの内容だ。

「シンデレラ」ではなく「灰かぶり姫(シンダーエラ)」を持ち出し、その差異を「シンデレラストーリーなんてない」と意味付けている。これはロゴに関してのツイートだが、グループのコンセプトそのものを掘り下げたメッセージ性の強い根元の部分でもあることは間違いないだろう。

シンダーエラ楽曲の主人公には、様々な災難が降りかかる。しかしそのどれもが自らの罪に起因するもので、それに気付き、償っていくことでしか幸福には近付けない。
嘆いて望めばなんでも与えられたシンデレラのような物語など存在しない、自らの過ちにもがき苦しみ学び気付き、それを乗り越えた先で初めて掴めるのが幸せというものなのだと語りかけてくるようだ。

すべての罪を乗り越えた人間などどれくらいいるだろうか。ある程度歳を重ねた人であっても完全無欠な人などおらず、何度でも過ちを繰り返し、その度に学び、重ねた罪を禊ぎ払いながら生きていくものなのではないだろうか。

シンダーエラの楽曲はそれぞれが、人が心の中に抱える罪=闇に寄り添えるものであるように感じる。それがどの曲かは人によって違うだろうが、人それぞれの傷口に優しく染みてくる曲があるのではないだろうか。実際に筆者は「Pride」を聴いていると身につまされて泣けてくる。

「YHWH」は太陽のように天高くに存在し、シンダーエラの楽曲世界に幾重もの光を降らす、まさに象徴と呼ぶに相応しい楽曲であると言えるだろう。

どれだけ罪を重ねてもその先に赦しがあるのだとしたら、救いがらあるのだとしたら、それはどれほど心強いことだろうか。
楽曲世界の象徴でもあり、もがき苦しむことを諦めない理由にもなる希望の象徴でもあるのだ。

長く曲がりくねったトンネルの先に見える光、暗雲の隙間から差す光芒、それがあるからこそ人は罪に光を当て、気付き、向き合うことができる。

これから広がっていく世界を音に、そして舞台に顕現させていくのもこの曲の役割だ。
この曲があるからこそ、これまでの曲もこれからの曲も瑞々しい輝きを放ち得るのである。

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