4 「死返し」──気高い心は絶望を抜ける道標に
グリム版を読んでいて、妙な既視感を覚えたというか、知ってるぞこの感覚…と思った方はいないだろうか。
「パーティーに連れて行ってほしい」と頼むエラに、継母が「灰の中にぶちまけたエンドウ豆を2時間以内に全部拾え」と無茶なミッションを課し、エラがそれを成功させる……というあのくだりである。
ミッションを成功させたにもかかわらず、また新たなミッションをエラに課す継母……RPGでそのシステムを揶揄されがちな「おつかい」を思い出しはしないだろうか。隣町の恋人に手紙を届けろだの、森に薬草を取りに行けだの、といったあれ。
世界を救う勇者も冒険の中ではおつかいを頼まれなければならない。大概「クエスト」などという虚飾にまみれた名称で見栄えを良くされているが、おつかいはおつかいである。しかも似たような作業を繰り返すタイプのおつかいもあり、作業ゲー感が出てくるとうんざりしてくるものだ。
グリム版の上記パートもやってることはほぼ同じなのに「さっきやったのと同じように」で片付けず繰り返しその工程を書いているのは作風なのだろうが、なかなかうんざりするものがある。現文はほとんど平仮名なのでなおさらだ。スキップ機能が無いと拗ねるのは現代人の性だろうか…
なお王子が金の靴の持ち主を探すくだりでは継母ゲームの2回を越える3回の繰り返しパートがあるが、継母のクレイジーさや王子のどこか愛らしいマヌケっぷりが楽しめるので個人的には嫌いではない(小声)
そうして同じようなおつかいを再度(しかも最初よりレベルの高いお題を倍近いスコアでクリアする優秀っぷりを見せつけつつ)クリアしたのに、継母は「最初から行かせるつもりなんかないんだよ!」と突っぱねる。この絶望感。読者もエラも徒労に終わりげんなりするという点では巧みな感情移入のギミックと言えなくもない。継母を許すな。
おそらくだがロボットダンス的というか単純作業を組み合わせたような機械的な振付は、このくだりを表現したものだろう。
そして歌詞中の「勝てないゲーム」とはつまりこの場面を指している、と考えるところから「死返し」の考察ははじまる。
シンダーエラの持ち曲においては、他者への怨み辛みを歌った楽曲として「NOT FRIEND」と双璧を成す怨念コンビの一角である。そしてこの曲もまた「裏切り」に対して歌われているのだ。シンダーエラ楽曲の主人公、裏社会でのし上がったら裏切り者を絶対に許さないタイプのボスになる。
タイトルこそ「死返し」と一見物騒な雰囲気ではあるが、実際に歌詞中で使われている言葉は「仕返し」である。
では誰に対しどのような「仕返し」をしようとしているのか。
「cage」の歌詞に「空飛ぶ鳥の翼が欲しくて」とあるように、シンダーエラの楽曲には「空」を求めたり「鳥」を意識した描写がたびたび登場する。一般的に知られる「シンデレラ」の物語では主人公にドレスを着せるなどの魔法をかけるのは魔法使いの役目だが、グリム版では鳥がその役目を担うことに由来するものだろう。
「誰も傷つけず飛び立つ術を教えて」という歌詞もまた、友でもある鳥たちに対しての呼びかけと考えられる。
一方で消えてほしい「偽善者」とは誰か。鳥以外の存在と仮定するならば、ここで思い出すべきはエラの性格だ。
「LOVE」の回を読んでいただければわかる通り、エラは亡き母の言いつけを守り健気に優しく生きている。作中でも継母たちの度重なる虐待に対し、決して反旗を翻すことなく1人でさめざめと泣き、王子に見初められて一転幸せになる展開においてもエラが継母たちに対してなんらかの仕打ちをおこなうことはなかった。童話のバリエーションによっては鳥たちが制裁を加え、それを知ったエラがご満悦……というものもあるが、いずれにせよエラが自発的に指示を出したり手を下しているものではない。
そんなエラが「誰も傷つけず」に「飛び立つ術」を求めている。繋げて解釈すれば、「偽善者」とは自分の中の優しさ、頑なに母の言いつけを守る生き方なのではないか。それがあるがゆえに自分は苦しみ悶えていると、自らが持つ天使の心を疑ってしまうほどに追い詰められている、という状況を歌ったものではないだろうか。
そして「悲しみに暮れる日も涙で溺れる夜も」「いつかの終わり」=「召される時」=「死」までの「暇つぶし」に過ぎないと歌う。絶望の淵でそんな諦観に陥った自分を「堕ちた哲学者」と揶揄しているのである。
もうひとつの選択肢として、「偽善者」も「鳥」とする見方が可能である。「鳥」はエラの味方であり、当初の役割は「友」である。
最新楽曲「Pride」において、他者の優しさに気付くことができなかったとする描写が登場する。これが優しくしてくれる「友」=「鳥」に対し攻撃的な態度を取ってしまったということであれば、収録アルバムとなる「sins」=「罪」のテーマをここに見出すこともできるのである。
この解釈でいくならば、「誰も傷つけず飛び立つ術を教えて」は取り付く島もないやっかみの言葉だ。平たく言えば「あんたにアタイの気持ちなんかわかるか!」というやつである。
どちらとも取れるが、シンダーエラ楽曲の登場人物はあくまでグリム版のエラというわけではなく「贖罪の姿=灰をかぶった姿を灰かぶり姫(シンダーエラ)に見立てている」という考察方針に則しているのは後者の解釈である。
この時点では助けを求めても鳥は何もしてくれていないことも根拠となるかもしれない。なんせこの鳥、パーティーのくだりでは金銀のドレスをエラに与えている魔法使い的存在である。とはいえこれについては「王子の嫁探しのダンスパーティー」という根本からの解決が可能なきっかけが現れるまで手の出しようがなかったからとも考えられる。
いずれにせよ、耐え忍ぶしかない時間が流れ続けることになる。
そしてラストのサビ。
「絡まる翼」ってなんだろう。翼って絡まるんだろうか。おそらくだが「飛び立つための障壁」を意味しているのだろう。そう考えるとこのパートはどこかギリシャ神話のイカロスを彷彿とさせる。
それはそうとして、主人公は腐らず折れず「耐え忍ぶ」という戦い方を選んだのだ。
その証拠に未来を指す描写が「いつかの終わりまで」から「いつかの来る時」に変わっている。
そして最後におこなわれる「仕返し」の内容だ。
グリム版であれば、エラを不幸に陥れんとする継母たちの行動に対して「王子と結婚し幸せを手に入れること」が「仕返し」にあたると言えるであろう。
そして楽曲世界においては、「堕ちた世界(蔑み嘲笑う世界)」=「君のいない世界」と考えられるし、それを「逆に」とはつまり「君のいる世界にする」ことに他ならない。グリム版になぞらえればまさに「笑う加害者」への「仕返し」ということになる。
苦しみを甘んじて受け入れ「死」を待つばかり、言い方を変えれば既に心が「死」んでいた悲観者は、苦しみの先の光を信じて戦うことを選び、強かに「生」きることを選んだ。心が息を吹き返し再び「生」を得たのだ。
「死」から「生」へ、それこそが加害者たちへの仕返しであり、文字通り「死返し」なのである。
きっかけこそこの曲の中では描かれていないが、心無い他者に貶められても「生きて幸せになることでそれらに打ち克て」と、「決して自らの心の美しさを穢すことなく気高い強さを持って生きよ」と、この曲は歌っている。
それを成してこそ「シンダーエラ」の結末はプリンセスたり得るのだ。
なお、すべてのサビ終わりに入るファッ○サインからのブーイングという振付はグローバル的に見ると微妙なラインにはあるものの、広義に「反抗心の表現」と捉えることができ、歌詞の上では悲しみに打ちひしがれている曲前半でこの振付が踊られるのは主人公の(無意識を含めた)秘めたる心持ちの表現であり、ラストサビの歌詞に至る根拠を補完していると考えることができる。
どんなに酷い仕打ちに耐えていても「心の中では中指を立ててやるくらいでいるべし」というメッセージと受け取ることもできるだろう。
ちなみに所属事務所クロスアイデアの先輩じゅじゅの楽曲に「怨返し」があるが、アイデアをクロスさせるギャグという意味も含めたクロスアイデアギャグと言える。(絶対このくだりいらなかった)
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