3 「LOVE」──灰とダイヤモンドとガラスの靴

「愛」という普遍的で最大級に壮大なテーマをそのままタイトルに冠した楽曲で、シンダーエラのレパートリーの中でも一際異彩を放っている。

なんせ開口一番「嫌」連呼である。ざっくりカウントしてみたところ、9秒間で24回くらい言ってる。どんだけ嫌なんだ。

否定から入るのって良くないと思う。
なんでもまず否定から入る人っているよね。

しかしこの曲に関してはのっぴきならない理由がある。なんせこれは「灰かぶり姫」の物語なのだから。

グリム版の冒頭を思い返してほしい。最初に何が起こるのか。

「いつも思いやりのある子でいるんですよ。私はお空の上からあなたのことをずっと見守っていますからね。」

そう言って母親が息を引き取ったのだ。

そして悲しみが癒えぬ内に父親は再婚し、再婚相手とその連れ子に陰湿な虐めを受けるようになり、なんなら実の父親すら味方ではないという地獄の日々がはじまるのである。
察するに、そもそも実母の生前から父親というのは娘に好かれるタイプの人間ではなかったのであろう。エラにとっては唯一の心の依り所であった母を亡くしてしまったわけだ。楽曲冒頭の「嫌」は心の叫びであろう。

そしてエラは母の言いつけを健気に守り、「いつでも誰にでも親切で」いたという。それはあまねく全ての者に愛を持って接したということに相違ないだろう。
舞踏会で王子に見初められたのは着飾った容姿だけではなく、その愛を持って他者に接する姿勢から滲み出る内面の美しさでもあったのではないだろうか。

時代背景的なこともあろうが、そもそも開催された舞踏会は王子の結婚相手を探すためのもの。3日間行われたそのパーティーで、王子は初日から頑なにエラだけを選び続け、また誰にも譲ろうとしなかったのである。

内なる苦しみをすべて飲み下し、あるいは無きものとして謙虚に真摯に振る舞う、そんな心の強さを求め、エラは日々の暮らしを耐え続けたのだ。


……あくまで楽曲をグリム版に当てはめるのであれば以上のような考察に留まる。

しかしここで振り返らなければならない。
あくまでシンダーエラの楽曲世界の主人公は、何がしかの行いにより「君」を失い、その罪を償おうとする姿を「灰かぶり姫」に重ねたものであると考察してきた。

0-3でも書いた通り、(モチーフと思われる)キリスト教において「灰をかぶったりその上に座るというのは、自らが死んだも同等であることを表現する行為」である。

人知れず 消えてく
無色透明に 消えてく
暗い闇に 消えてく
空をみあげ 消えてく

https://linkco.re/H1qyS21G/songs/1236089/lyrics

この一節は、自らを無きものとし贖罪の祈りを捧げる姿に重ねることはできないだろうか。
一方で、自らを無きものとしつつもその罪を認めているからこそ、それらをすべて消し去ろうとするのではなく、受け入れた上ですべてを愛せるように強くなろうとしている。これは純粋な穢れなき心の持ち方と言えるものではないか。
それゆえに罪や弱さはすべてまざりあい、何者にも汚されることのない「色はないという色」になるのだ。

また、灰をかぶる行為について「あなたの存在なくしては生きられない」と神へ憐れみを求める行為でもあると書いた。
すなわち、自分を無きものとして救いを求めながら、その本質は「これからも生きていきたい」という生への執着に他ならない。だからこそ救いを求めるのだ。
「消えたくない」と繰り返す一説は心でその火を絶やすことのない生命力の象徴と言えるだろう。


ところで、王子との結婚のきっかけになるアイテムについて、グリム版では「金の靴」であるが、数あるバリエーションでもっともメジャーなのはペロー版で登場する「ガラスの靴」であろう。
耐え難きを耐え忍び、誠実な愛を持ち続けたエラが得たものは、透明な輝きを放つガラスの靴であったのだ。

そしてもうひとつ言えば、「灰」は不純物を取り除き精製することで「ダイヤモンド」になる。ガラスとは異なるものだが、透明に輝くものという点では共通している。

苦しみに耐え忍び、いかなる仕打ちにあっても誠実な愛を持ち続けた者だけが、清らかな輝きを放つ幸福を手にすることができる。そんなメッセージが込められているように感じられる。

近年では、故人の遺骨をダイヤモンドに加工するという新たな供養の形があるという。
エラが母親から受け取った愛に真摯に生きたからこそ、その身を覆っていた「灰」が、あるいは大切に持ち続けた「愛」が、王子との結婚と幸せな人生という「ダイヤモンド」に変わったと、そう解釈することもできるのではないだろうか。

シンダーエラの楽曲世界に関しても、主人公は失った「君」から確かな愛情を受けていたのだろう。だからこそ「君」を失うことになった自らの行いを「罪」と自覚することができ、この楽曲の精神に至ることができたのだ。

筆者はいち観客にすぎない身ではあるが、その結末が幸せなものになることを、この「LOVE」がダイヤモンドのように穢れなく輝く未来に繋がることを願わずにはいられない。

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