2 「NOT FRIEND」──裏切り者とは?

「シンデレラ」に裏切りのエピソードがあるという印象を持っている方はいるだろうか?およそ古典文学の研究をしているとか、雑学あるいはクイズマニアということでもないと、そういったことには思い至らないのではないか。

「NOT FRIEND」は友達のフリをして裏切った相手への恨み辛みが歌われたなんとも呪詛めいた楽曲だ。
グリム童話「シンダーエラ」と楽曲世界を結びつけようとした時に最初につまづくのがこの曲である。

世界中に「シンデレラ」のバリエーションといえる物語があり、グリム版もそのひとつに過ぎないが、実はその中に「裏切り」が描かれたものが存在する。
イタリアの作家バジーレの「灰かぶり猫(チェネレントラ)」だ。

ガラスの靴やかぼちゃの馬車が登場するシャルル・ペローの「サンドリヨン」や、当noteで「シンダーエラ」として引用しているグリム兄弟「アッシェンプッテル」よりも古い、17世紀に書かれたものである。

あらすじは以下の通りだ。

主人公のゼゾッラは、大公である父の最初の再婚相手である継母から酷いいじめを受けていた。
ある日そのことを裁縫の家庭教師に相談したところ、彼女はゼゾッラに「継母の殺害」そして「父に甘え、自分を新しい母親にするよう頼む」ことを助言した。

助言の通りゼゾッラは継母を殺害し、裁縫教師は2人目の継母となるのだが、この裁縫教師は父と6人の子供をもうけたあと、一転してゼゾッラをいじめるようになる。


以降の展開はその他のバリエーションと相違ない。

この楽曲に限っていえば、グリム版より上記バジーレ版がモチーフであると考えるほうがコンセプトに対してしっくり来るだろう。

ゼゾッラを唆し地位を手に入れた挙句虐げた裁縫教師だけでなく、最初の継母を殺したゼゾッラもまた罪人であり、一緒に堕ちていこうとするその歌詞は、「罪人同士道連れになろうや」という呪いの言葉として受け取れるだろう。


ところで、この曲には「生まれて来なけりゃ」という歌詞がある。
裏切りというテーマが歌われた本曲において、このフレーズから連想しうるのはやはり聖書だ。

裏切り者である13番目の弟子ユダ(ジューダス)に、キリストは「生まれなかった方が、その者のためによかった」とまで言ったという有名な話がある。(他方、キリストはユダの裏切りを予見していながら敢えて受け入れたという謎が議論の対象となっているようである)

そして多くが「灰かぶり」と題されるシンデレラの類話だが、キリスト教において“灰をかぶる”という行為は、「悔い改める」「へりくだる」「清めのしるし」という三つの意味を持つのだという。
そして行為の目的は、神に憐れみを求める・嘆きを表すことであるそうだ。

シンダーエラの世界観は、グリム版の物語にキリスト教の要素を絡めることにより、「罪」の物語としての筋道が立てられたのではないか。

点と点を繋ぎ線とする、そんな役割がこの曲には与えられているのかもしれない。

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