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平井大『Stand by me, Stand by you.』鑑賞
たくみな人称の切り替えによって、甘さを中和するかと思いきや、むしろ増強してしまう激甘ラブソング。
A-Bメロでは「ボク」の視点から「キミ」との仲むつまじい日々が描かれる。
今日はキミの寝顔見てから眠るって決めていたのに
気づけばキミの腕の中で寝てた
サビに飛ぼう。
サビでは「75億分の一人(ボク)」と「(75億分の)一人(キミ)」の物語が、三人称の視点から語られる。カメラをぐっと引き、世界全体を視野に収めるのだ。
これは 75億分の一人と 一人が出会って恋に落ち
そして当たり前のようにキスする ありきたりな話さ
「ありきたりな」「当たり前のように」と一見ドライに突き放す言い方をするが、「キス」等の甘さを踏まえると「世界の中ではありきたりな恋でも自分たちにとってはなのだ」というメッセージが伝わってくる。俯瞰した視点によって、冷静さを出すかと思いきや逆説的に惚気を増強してしまうわけだ。
サビ後半でも引き続き三人称的に「出来の悪い男(ボク)」と「お転婆なプリンセス(キミ)」の物語が続く。
一人は出来の悪い男で もう一人はお転婆なプリンセス
ただし「ボク」のことは「出来の悪い男」と卑下しても「キミ」のことは「プリンセス」と讃えるあたり、「ボク」の主観が反映されている。客観的な文体を装い「ありきたり」などと冷めた言い方をしてみても「キミ」にベタ惚れした「僕」の主観が隠しきれず、やはり惚気を増強してしまう。
男が言う ❝キミと出会う為にボクは生まれてきた❞
この台詞は「ボク」の主観とも捉えられ、三人称から一人称へとシームレスに戻ってくる。
2番ではA-Bメロの仲むつまじさは相変わらずだが、サビまで飛ぼう。
それは 75億分の一人と 一人が出会って恋に落ち
家族になり愛を深め歳をとる ありきたりな話さ
長い長い時間を「家族になり愛を深め歳をとる」と一言で表現する。やはり逆説的に「言葉にすれば短くても、充実した時間だったのだ」という誇りを感じる。
「75億分の一人」も初見では「広い世界の中で些細な話です」といった謙遜に見えたが、ここまでくると実は「七十五億人いる中でキミじゃなきゃ駄目なんだ」といった運命的な出会いを表現しているようにも思える。
一人は出来の悪い白髪で もう一人は永遠のプリンセス
字面だけならマイナスイメージに見える「出来の悪い白髪」が、「永遠のプリンセス」と並べば幸せそうに輝く。「キミ」が「永遠のプリンセス」でいられるのは「ボク」のおかげだろう。
二人は言う ❝生まれ変わってもまた一緒になろう❞
生まれ変わって再会して、また1番サビの「キミと出会う為にボクは生まれてきた」という台詞を告げるのだろうか。
世の中の恋人関係や家族関係は、このように純然たる幸福ばかりではないはずだ。幸福の質と量で殴るというか、リスナーを傷つけてしまわないだろうか?いや、ここまで振り切ってくれたら虚像と割り切って聴けるか……などと色々考えさせられてしまったくらい、幸福の表現を極めた曲。
お読みくださり、ありがとうございました。