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私はアートがわからない

私が「クリエイター」を職業として名乗っていらっしゃる方々にたまげたのはmixiででした。

mixiが全盛になる直前ぐらい、職業欄に「クリエイター」と書かれている方を初めて見た時、一体あんたはどこの創造主だよ!と慄いたものです。

デザイン、グラフィック系のお仕事をされてる方々を指す(自称する)ようですね。

そしてアーティスト。

いつから歌番組に口パクで出演する”アイドル”が所属事務所のサイトに”当事務所所属アーティスト”なんて紹介されるようになったのでしょうか。

歌ったり踊ったりする人がいつの間にか歌手やダンサーではなくアーティストになってしまいました。

※役者は役者なんだなあ。女優とか男優とか俳優とかってさ。アーティストって言わないよね。

猫も杓子もアーティスト現象がはびこり出した時、誰だったかなあ、アーティストなんて名乗っていいのは横尾忠則レベルだけだよ!って言ったのに膝の皿を100枚ぐらい割りましたよっ。

さて。

私はアートがわかりません。

アートって何?

それ、食べるもの?

美味しいの?

美術館で見る絵画にしても彫刻にしても、いかすギャラリーに展示されている写真にしても、どれもタイトルがつけられていて、解説もあったりする。

作品を見て、感じたものがあって、それを自分の中で言語化する前にそれらを見てしまうとダメです、イメージが固定されてしまうのです。作者の意図を刷り込まれてしまうのです。

私だけの現象ですか、そうですか。

後付けのテキストで作品の印象がものすごく変わります。

また、多くがたいへん饒舌であり、”アーティスト”というのは言葉を紡ぐことにも卓越した能力を持っている人種なのだなあと思わされます。

さて、今朝の朝日新聞。

作家川上未映子の寄稿が掲載されていました。

75歳の著名画家の新郎と21歳の駆け出し歌人の新婦との結婚式に招かれた席での情景が綴られています。

隣の席の女の子は編み物”アーティスト”のようです。

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結婚式の宴席で一心不乱に編み物をするアーティスト、パフォーマンスでしょうか!

しかし、作者(という設定なのだろうな)はアルマジロのように硬い甲羅を丸ているかのような女の子に対して

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編むのはやめて、人の輪に入って何か話してみれば?

と提言するのです。

これを読んだ瞬間、語るに落ちるとはこのことか、と思ってしまった私を許してください。

頑なに編み物をすること、それはもちろんパフォーマンスなどではなく、居心地の悪い宴席でムキになっているだけなのですが。

が。

この小編はニューヨーク・タイムズ紙からの依頼で「なぜアートは大切か」をテーマにしたものだそうですが、正直自己解説を読んでも何を訴えたいのかがさっぱりわかりませんでした。

タイトルは

生きてるだけでいい
みんな難しいことは
考えず微睡む

と、ありました。

確かに編み物パフォーマンスの解釈、意味づけは小難しい作業でしょう。

しかし。

アーティストの表現手段を手放させて、みんなにわかる言葉で話してこい、とは、製作者が本来意図したものを放擲させることのように思われました。

難しいこと考えるな、がテーマならそれはそれでいいのですが、アートはなぜ大切か、がテーマであるとするなら、アートを蔑ろにしているかのように感じました。

きっと、作者の意図するところのアートを私は理解できなかったのでしょう。

やっぱりアートってわかりません。

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滝通い 45日目 雨のあとなので滝の水量がかなり多いです。


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