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頼まれたら断らない

そんな主義で生きている。

もちろん、全てが額面通り応えられる訳ではない。

それでもノリでやってみる。

時には斜め上の策を取る。

14年も続けると、色々思いがけないことが起きるものだ。

ボクシング世界のスポンサーを数日で見つける

大学院を修了してソニーに入った直後、私をOB会の運営メンバーに引き入れた大先輩の、元体育会ボクシング部主将より電話があった。

先輩「俺が応援している内藤大助の世界戦のスポンサーをもう少し増やしたくて、ソニーをスポンサーに引っ張ってきてくれ」

私「いくらでいつまでですか」

先輩「5日後のマットの印刷発注期限までに。通常XXXX万円だが、特別割引でXXX万円でいいよ」

もちろん考えるまでもない。

大企業で予算計上もされていないお金が数日で出るわけがない。

ブランド的にもありえないだろう。

ということでこう答えた。

私「ソニーは難しいかもしれないけど、なんとかしてみます」

アテはあった。

ちょうど大学院の1学年下にデイトレーダーがいた。

地方の大学在学中から始めたデイトレードで30万円を数億円にして、面白半分で夜間のファイナンス大学院に入学した好青年。

私の「中央区に引っ越させる運動」によりご近所さんになっていた彼を行きつけの寿司屋に誘い、こう切り出す。

私「ボクシング世界戦のスポンサーになならない?」

三村「へぇ、面白そうですね。いくらですか?」

私「XXX万円。但し、明後日まで。」

三村「全然大丈夫です!」

月に千万単位で稼ぎを出し、年に1回負ける月があるかないかという手堅い彼にはなんてこともない。

何を宣伝するのか?

さて、ノリで広告主は捕まえたものの、よくよく考えると、個人トレーダーには広告すべきものがない。

一応公共の電波で流すものにはテレビ局の審査があるため、適当なものも印刷できない。

結局彼の連載で使われているキャラの顔とSPA!のロゴを載せることで落ち着いた。

思いがけず得をしたのは扶桑社だけど、彼は彼で嬉しそうだった。

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スポンサーパスさえ掛けていれば、作務衣と雪駄の五厘刈でリングサイドや控室をうろついても、誰にも何も言われないことをこの時初めて知った。

日本中が注目した次戦のチケットを大量にもらう

スポンサーに事欠く状況から打って変わり、次戦は某有名家族との因縁の対決で、大変な注目だった。

仁義に厚い先輩は、頼んでもいないのに招待券を大量にくれた。

欲しいという人に大量に配った。

もらったものを売るようなことはしない。

飛ぶようにはけて、追加、追加で80枚以上はもらった。

普段は貢献も参加も反応もしないのに、こういう時だけ手を上げる人がいる。

しかも、友人分のチケット追加依頼までしやがる。

誰だったかはもう覚えていないけど。

築地本願寺での大宴会

中央区のご近所会をやる以上、築地本願寺で何かやりたいと思っていた。

願うと叶うものである。

「ご近所」が絡むあらゆるものにアンテナを張っていたら「隣人祭り」というものを見つけた。

フランスの地方議員が、自分の住む集合住宅で老人が孤独死したことにショックを受け、ご近所の人が食べ物や飲み物を持ち寄り交流する、新しい地域コミュニティのフォーマットで、日本では「ソトコト」が権利を取っていた。

活動を知ったのが先か編集者と縁があったのが先かはもう忘れたけれど、いずれにせよ、中央区でやるなら自分を置いて他にはいないだろうと思い編集者に聞いたら、どうやら築地本願寺の坊さんが既に去年やったらしい。

これまた一石二鳥と繋いでもらい、早速紹介してもらい、一緒にやることにした。

そのお坊さんとは仲良くなり、その後もちょいちょい飲んだり「坊コン」をやったりしていたが、ご近所会の周年をできれば面白いところでやりたいと思って聞いたら、本堂の横の講堂で宴会ができるらしい(今はいろいろ制度が変わってできなくなってしまった)。

こんなところで飲み会をできるのかと、思いのほか好評で、280人くらいきた記憶がある。

参加者の一人が当時の中央区長も連れてきていた。一参加者の扱いしかしないけれども。


総合火力演習バスツアー

会社を辞めて夜間の大学院に入ったはいいが、株で儲けた金はあったものの、固定収入がないのは心許ないし、そもそも日中やることもないのもヒマだ。

大学院の職業斡旋をやっているということになっている怪しいIPOコンサルおじさんがいて、ある問屋街の弁当パック屋でIPOを見据えたコンサルティングという仕事をすることになった。

1個10円20円のものを年間10億円を売り上げ、流通業で粗利50%、社長の役員報酬1億円、社用車はフェラーリとベンツとハイエース何台という素晴らしい会社。

新木場の倉庫脇の木造事務所で、監査法人のショートレビューに同席し、仕組みのカラクリを聞いたが、どんな大学院の授業より、「経営戦略」というものが初めてリアリティをもって腑に落ちた気がする。この話は別途書こうと思う。

さて、そんな会社が真剣にIPOを考えているわけもなく、そこはすぐにお払い箱に。

次にそのおじさん達が入ったのは10人に満たない「環境ベンチャー」。

1ヶ月もしない間に、副業で疲れていつも居眠りをしている経理部長がクビになり、営業部長はある日出勤しないと騒いでいたら、強制わいせつで逮捕されて新宿警察署にいたということで、これまたクビ。当然我々もお払い箱。

スタートアップや副業という言葉が今の様な捉え方はされていない時代の話。

人相の悪いおっさん達との付き合いもそれまでにして自分で仕事を探すことにした。

どのみち9時~5時しか働けない。せっかくならこういう時しかできないことをやろうと思い、たまたま大学のホームページを見ていたら、国会議員インターン募集とあり、政治には全く興味もなかったがとりあえず受けてみることにした。

ファイナンスの大学院にいるので志望動機に「金融政策の成立過程に興味があるため」とか心にもない方便(そもそもブラックな企業から足を洗いたくて大学院に行っただけでそんなものに興味などなかった。学部の専攻は東洋哲学だし。)を書いたのだが、最初に書類が回されたのが、数年後首相となる野田佳彦事務所。

真面目なので「うちではそれはできないので」と丁重にお断りされたが、別の事務所に回してくれた。

その事務所の代議士は、次の参院選で鞍替え出馬が決まっていて、とにかく人手が欲しかったようで、事務所に着くなり政策秘書に「今から千葉に行ける?」と聞かれ、「はい」と答えると、そのままライトバンに乗せられ、千葉駅の事務所まで連れていかれた。

事務所についたら、大量の「看板」作り。

釘打ちマシンでベニヤ板を杭に打ちつけてポスターを貼り、それを100個くらい作ったら車の荷台に積み込む。

ビールのケースとハンマーを持ってまた車に乗り、道路脇の目立つ場所にひたすら杭を打ち込んでいく。

週に2~3回、そんなことをしていた。

全然永田町の政策インターンじゃないのだけど、そもそも面白いもの見たさで行っていたのでどちらでもよかったし、地方の選挙というものを、戦場のような選挙期間だけではなく、半年くらいかけて中から見るという経験は、実は貴重な経験で、色んな話をしてもらった。

最初、交通費込みで日給3,000円だったけど、東京から往復すると殆ど残らないのを不憫に思ってくれて、交通費は別にくれた。

さて、そろそろ総合火力演習の話。

私はいつも地元第一秘書と一緒にビラを折ったり配ったり、杭を打ったりしていたので、仲良くなった。

ある時「高橋くん、総合火力演習興味ある?」と聞かれ、知らなかったので聞いてみると、どうも陸上自衛隊が富士演習場でドンパチやるのを一般公開しているらしい。

参加は無料だが抽選倍率は10倍で、10年間抽選に漏れ続ける人もいるらしいが、実はこれ、日曜の一般公開前日に関係者向けの、本番と全く同じ内容の予行演習がある。

数千席はあるのでそんなに特別なものでもない。

これもまた募ってみるとあっという間に40人くらいになった。

演習場は御殿場駅から鮨詰めの臨時バスに小一時間乗らなければならない。そもそも自衛隊が普段訓練する場所だから、交通の便のいい場所にあるわけがない。なので、バスをチャーターして皆で行くことにした。

頭割りにすると電車とバスで行くのと変わらない金額で、演習場近くの駐車場まで直行できる。

ちなみに八丁堀近くで大型バスが発着できる例のお寺を集合場所とさせてもらった。

つぶやきを頼まれもせず拾って解決する

他にも色んなことをした。

カクテルの作り方を覚えたいという人がいたから、銀座の高級バーのバーテンに先生のなってもらい、お友達がオーナーのバーを借りて、カクテル学校をやってみたり、

個人事務所の壁紙を張り替えたいというので、直近で会った壁紙職人にお願いして、壁紙を張り替えるワークショップをやってみたり、

Fintechのラボを作りたいという学校職員のつぶやきを拾って、直近で行ったセミナーの講師を代表に立てて研究室を作ったこともある。

今学校で講座を作っているのも、元はといえば大学の先生のつぶやきを拾ったからだ。

見切り発車で仕事を辞めたら次に行くはずの仕事が消滅し、30歳を超えて千葉の奥地でスーパーの床掃除をしていた大学の同級生を見かねて、出版社の社長に何か仕事をくれないか頼んでみたら、本を1冊書く仕事をくれた。

今や彼は引く手数多のライターになって、いくつものベストセラーを手掛けている。

ノリでやってみる

都電が実は1万円ちょっとで貸し切れるという記事を読んだ瞬間、とりあえず予約することにして、後からイベントを考えたり、

ノリで10人ほど1年間で中央区に引っ越させたり、

八丁堀にギャラリーがあるのでアートイベントしてみたり、

大使館にBarがあると聞けば飲み会を企画してみたりもした。


ダメ元で頼まれる人になる

そんなことをしていると、とりあえずダメ元で奴に聞いてみようということが増えてくる。

今年はある化粧品会社の社長から「工業用アルコール1、2トンくらい手に入らないかな」となぜか頼まれた。

私もダメもとで各所当たったら、2人ほどが応えてくれて、2トンほど調達できた。

もちろん、仕事ではないので一円ももらわないけれど。

Giveして忘れる

受けた恩は必ず返すようにしているつもりだが(返ってないよという人がいたら言ってほしい。忘れっぽいだけです。)、"与えた恩"は忘れている。正確には「恩を与えた」というような恩着せがましい発想すらしていない。

何だかんだ返ってくるものだ。

知り合いの紹介である大手ポータル企業の人の相談を受け、いろいろアドバイスをしたり、人を紹介したりした。

そんなことは忘れていたが、数ヶ月後に「予算が取れました」と、お仕事を頂いた。

そういうことは本当に嬉しいものだ。

恩知らずもいるだろうが、私がどうこうしなくても、然るべくなると考え、はなから気には留めていない。

原点

「頼まれたら断らない」には原点がある。

30歳の時、ある「天命を知った」人(それは後から教えてもらったのだが。。)があり、人の紹介を頼まれた。

元々社交的ではないのでそれほど多くの知り合いがおらず、とはいえ何とか応えたいと思っていたところ、大学の同級生が、最近特定分野の映像作品をよく見ていると言っていたのを思い出した。

ゴールまでの球筋が見えた気がした。

頼んだ彼女すら驚く斜め上のキラーパスは、狙いとおり「上手くいった」。

そして、そのために一緒に行ったお店で、私にとっても運命的なご縁ができた。

無謀な頼みと有耶無耶にすることもできたかもしれないが、そうしなかったから今がある。

まあ、それを断る性格なら、もっと真っ当な道を歩んでいたかもしれない。

そんなことを考えても仕方ないし、面白かったので、まあこれでよかったのだろうとは考えている。

「頼まれたら断らない」
「ノリでやってみる」

を10年くらい続けてみるてはどうか。


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