見出し画像

囚われない、諦めない。

昨日は、
また少し過去のことを
振り替える内容になりました。
「スキ」を変わらず下さって、
ありがとうございます。
頂いたコメントから、改めて色々と思いを巡らせたり。

書き続けるということで、色々な側面と出会うことが出来て
幸せに思います。

色々あったけれど、今は過去にとらわれなくなってきて
幸せに生きています。

だから、過去に色々あり過ぎて今苦しんでしまっている人に
「大丈夫だよ。」を伝えたくてこの頃色々書いています。

今日は重たい事を書くので、嫌な人はここでやめてくださいね。
急に書こうと思ったので、過去について一部書きます。

ざっくりいうと、
私は「教育虐待サバイバー」に当て嵌まるようです。

食事や衣類は与えられるし、お風呂にも入れました。
親の身勝手な理由で何日も放置されて飢えに苦しんだりすることも、
ありませんでした。
どちらかというと恵まれている家庭で育ちました。

成績や振る舞いなどが気に入らないと、
暴力を振るわれたり、罵声を浴びせられ続けるなどしました。
自分が親の期待に応えられていないのもあるし、
ウチは他よりちょいと厳しいだけ。と思っていました。

顔にできた痣を隠すのに眼帯をして学校に行くのは、
年頃の女子にはなかなかハードでしたね。
「どうしたの?」って聞かれて「ものもらい。」と毎回答えていたから、
よくものもらいになる人認定をされていたかもしれません。

大型犬の散歩用リードをドアクローザーに吊るして、
それで作った輪に首を吊るように言われたときは衝撃を受けつつも、
「いや、いくらなんでもドア壊れない?家売れなくなるよね。」
と腹の中で思いながら怒り狂う親を眺めていて、張り倒されたり。

他にもこまごま、痣が出来る案件はありましたね。

高校時代の彼氏と二十歳を過ぎて偶然再会した時の第一声が、
「もう親に殴られてない?」でした。
「綺麗になったね。」とか言われたかったなぁ。

とは言えね、
今も普通に親とは連絡を取ってますし、
会ったりもしていますよ。

過去のことについて話すことも、ありますね。

「あの時はどうかしていた。」と言って、謝ってくれました。
親が子どもに謝るってなかなか出来ないことなので、
ありがたいと思っています。
この場を借りて改めてありがとう。

だけれど、自分を生み育てた親から消えるように言われたり、
体を傷つけられたり、人格や存在を否定する言葉を浴びせられたことは
過去に起こった事実として私の記憶にはあります。

その裏側で、親は私にしたことを思い返して苦しんでいます。
殴った方の拳があとからまとめて痛みだしている感じです。
めちゃくちゃに痛いと思います。
最近「毒親」という言葉が出てきたのもあって、
「自分は毒親だった。」と自分を責めています。

過去の記憶による緊張感が有るので、
普通の親子のような雰囲気というようにも行かなくて、
お互いに痛みを分かち合いながら試行錯誤しています。
この関係性に進めているだけでも、ありがたいのです。
それと合わせて諦めなくて良かったと思っています。

ただ、
ありがたいと思ったり、
諦めなくて良かったと思う気持ちが
今ある事とは別に、
私には過去の記憶があって、
自己肯定感が物凄く低くなっていました。
それはこの記憶に囚われていたからです。

自己肯定感が低くなったきっかけが、
私はこの記憶であるというだけで、
きっかけになる記憶は人それぞれです。

それでも、
そのきっかけになる記憶をもっていても、
そこから先をどう生きていくかは自由に選べます。

その記憶が残っているからと言って、
その記憶に繋がる出来事が有ったからと言って、
その人自身の価値が低いということではありません。

私もまだまだ、
自分なんてと思ってしまうことは良くありますが、
過去は今ではありません。
幸せであることを今、選ぶことが出来ます。
過去は今ではないから、
今幸せであることを諦めないでください。
そして、
今幸せであると思えば、
過去の記憶がつらかったことに変わりはないけれど、
今ここにたどり着くために必要だったこととして、
感謝することが出来ます。

そうしていくうちに、
目に見えてくる景色が変わっていきます。

今日は書きたいことを思うがまま、
もしかしたら昔の自分と今の自分のために、
形に残したくなったのかもしれません。
そして、今ともに心を痛めている人のために。

ここまでお付き合いいただき、
ありがとうございました。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?