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2024年のGW、歌市内へ

遠目から旧空知炭鉱倶楽部

「推しは推せるうちに推せ」という言葉を聞くことがある。
2024年5月5日に取り壊されるという歌志内市のある建物の情報が、耳に入った。
とはいえ行く事はできないだろうと、なかば諦めていた。
ところが帰省を兼ねて小旅行をすることになり、「これは」と一人いろめきだったのである。

旧空知炭鉱倶楽部は、明治30年(1897年)に北海道空知炭礦鉄道株式会社が空知炭鉱の社員合宿として建設したことが起源となる。
増改築を重ねた建物は、昭和29年(1954年)からは接待専用の倶楽部となり、昭和38年(1963年)空知炭鉱株式会社に引き継がれる。
平成7年(1995年)の閉山まで多くの来賓をもてなした。
平成10年(1998年)には、西洋風の本館と数寄屋造りの別館を修復。
開基100年であった平成9年(1997年)に、市の所有になる。
これを記念して、公募を基にした愛称「こもれびの杜記念館」として公開するようになりました。

こういう建物は好み

たたずまいは、西洋への憧れにより作られた別荘といった感がある。
梁やはすかいが建物の表面に出ている見た目は、チューダー様式を意識したのかもしれない。

近づくと、窓や煙突が壊れており、まさしく満身創痍。
千代の富士の言葉を借りたなら「体力の限界!」。
そんな見た目。

倒木で通れないという散策路の入り口からのぞいた別館は、廃屋のよう。

玄関を入り左の廊下へ進むと、畳敷の感じのいい二間がある。
若い頃は洋間がいいと思っていたが、中年にもなると畳の部屋ででんと大の字になりたいと思う。
掛け軸などのしつらえがあるのは、いいものだ。

和室の横を通った先の部屋はフローリングになっており、書画などが展示されていた。
手前の版画は川上澄生の作品で、絵本のようなポップさがいい。
きっと現代の部屋でも、この一枚があると生活が潤う気がする。

階段の上から

廊下を左に曲がると階段がある。
板がかぶせられた通路は、歩くと「ひゃっ」と声が出るほど心もとない。
足が床を突き抜けるのではないかと、心配になる。
まだ大丈夫なのではと思っていた建物は、この場所に来ると解体やむなしと思い始める。

敷地が斜面になっているため、別館につながっている階段の段数は少ない。
階段部分の天井は、木もしくは竹が編まれたものが天井板から見え隠れして赴きがある。

階段を上がった先の別館の玄関のたたきは小石が並び、涼やかに見える。
猫を飼っていたなら、夏はここで寝そべる事は間違いない。

風情のある小便器。
大便器を見た記憶がない。
男性だって出る物は出るのであったのだとは思うが、写真がない。
ところで、小便器周りの床はどのように掃除をするのかな。

木製の湯船は心地よさそう。
しかし、床がかなり傷んでおり、ガタガタだった。
我が家も子供の頃は木製の湯船だったが、母と二人で入ったらストンと底が抜け、ザーッと湯が流れ去った事がある。
おもしろい思い出である。

昔の建物は、ガラスの面積が多い傾向にある。
耐震性には欠けるが、薄暗い方角の部屋の明かり取りにガラスを使いたくなる気持ちは分かる。
小さな格子の間から外の景色を眺めるのは、いいものである。

この写真はどこを撮ったものか覚えていないが、おそらく最初の和室の外側だと思われる。
よく見ると、土台が壊れている。

以上、旅から二ヶ月が経ってしまい、かなり記憶があやしくなった旅人の戯言でした。
機会があれば、建っていた場所がどのようになったのか、また見に行きたいものです。

それでは、したっけ。

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