第6章(4)そしていよいよ、福島へ向かう。
途中、見たことがないと言う「海」へ寄ってみた。そして浜で津波の話をした。
海のないモンゴルの人々に対して、海から来る津波がどんなモノなのかを伝えるのはなかなか難しい。しかし、そこで懸命に生きている人々とつながるコトにより、その思いは必ず伝わるハズだ。
まず訪ねたのは、第四章の「東北被災地バイクツアー」にも登場した、福島県喜多方市で自家焙煎の珈琲店を営む、『樟山珈琲店(現・フライパン)』の店主、樟山淳一くんである。
樟山珈琲店は、農民カフェのオリジナルオーガニック珈琲をブレンド焙煎してくれている。
彼とは震災前からの付き合いだが、震災を経てさらに絆は深まった。
下北沢「あおぞらマルシェ」では、福島農家のために福島中を駆け回り、和気とつないでくれた。自らも地場で農業を始め、薬物依存リハビリ施設『ダルク』と手を組み、ダルクメンバーと米作りにトライするなど、アグレッシヴにアクションしている。
ここではソガロさん、初めてコンバイン(稲刈り機)を操ってみた。
次の日は福島県田村市の大河原伸さんを訪ねた。
三十年以上にわたり有機農業を続け、一軒一軒販路を開拓。子どもたちを育て上げ、ようやく肩の荷も降ろせようかという矢先に地震と原発事故に見舞われた、あの大河原さんだ。
その後立ち上がるも、社会に翻弄されながら何度も裏切られ、自立すべく開業したのが三春町の農家直売所兼カフェの『えすぺり』である。
その『えすぺり』にてモンゴル・ファミリーを交えての弾き叫び。夜は大河原さん宅で火を囲んでのバーベキュー。次の日はソガロさんたちと畑で農民対談だ。
代々、農業をやってきた。だが、何も悪いコトをしていないのに、放射能によって人生を吹き飛ばされてしまった。
ソガロさんたちは、目の深い所で大河原さんを見つめ、その境遇を感じているようだった。
大河原さんがハニカミながら「はいウチで採れたトマト」と手渡した「手」と、それを受け取るソガロさんの「手」は、まさしく「百姓の手」だったのが忘れられない。
口に頬張り「甘い」と笑った瞬間、すべてが溶け合った。ソガロさん、大河原さん、それぞれ、太陽をいっぱいに浴びた大地の顔をしていた。
ここで、俺とモンゴル・ファミリーは別れた。
この次、生きている間に会えるかはわからないが、世界は「農」でつながっていけるのだ。
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