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【参加レポート】事業構想ツアー2021夏@丹波篠山 2日目 (工芸・民芸)

2021年8月8日、丹波篠山の城下町地区を後にして車で丹波焼の里・立杭地区へ向かった。四斗谷川沿いに3キロに渡って窯元が軒を連ねており、その数は60にもなるという。地区住民のうち半数ほどが職業として焼ものに係わっているということである。平安時代から続く丹波焼は、越前、瀬戸、常滑、信楽、備前と共に、中世から現代まで生産が続く『日本六古窯』の一つとして数えられ、2017年春日本遺産に認定された。

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今回2つの窯元を訪ね、陶芸家から直接お話を伺うことができた。最初に訪ねたのは雅峰窯。4代目の市野秀之さんとその息子さんたちが作陶している。市野秀之さんは先代の3代目が亡くなった際「伝統が繋がらなかった」こともあり、早くから自分のスタイルを模索してきた。その挑戦の一つに6名の陶芸家で始めた「TANBA STYLE」の取り組みがある。和食器ではなく洋食器に焦点を当て、新たな丹波焼作りを行ってきた。器の形はTANBA STYLE共通であり、色・柄に自分らしさを出すという。  

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お話しを聞いたギャラリーには4代目の作品だけでなく、息子さんたちの作品も並ぶ。それぞれの個性が感じられる作品だった。「もし、他の土地で作陶をすることになったら?」という質問に、「それは丹波焼ではない」という回答をいただいたが、その理由は、土にあった。丹波焼は丹波の土を使う。陶芸家らが作る丹波立杭陶磁器協働組合は1963年(昭和38年)から坏土工場を建設し原料土の共同購入から陶土の一括精製を始めている。この陶土を組合員に配る。丹波では組合の果たす役割は大きく、他には丹波伝統工芸公園立杭陶の郷を運営している。そこでは窯元別にブースでの展示販売を行っていて、組合員は「販売」の経験を積むことになる。

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私たちは、市野秀之さんの案内で窯元が軒を連ねる付近の散策をした。アべマキの大木に見守れた陶器神社や丹波焼最古の登窯として県指定有形民俗文化財に指定されている登窯を見学した。アトリエに戻って、「しのぎ」の実演も見せていただいた。

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次に伺ったのは大雅工房。古民家の中に入ると、見たことのない空間が広がっていた。陶芸家市野雅彦さんの作品が点々と置かれている。壁は左官職人久住有生による土壁、和紙職人ハタノワタルの黒谷和紙など手仕事に囲まれた芸術作品のような空間は一気に市野ワールドへと引き込む力に満ちていた。さらに古民家を丸ごとリノベーションしたギャラリーや裏山に案内していただいたが、竹林や、至る所に作品が置かれていた。

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ご自身のお話しや今取り組んでいること、組合活動に関わった頃の話しなど、たくさん伺った。市野雅彦さんは1995年に第13回日本陶芸展最優秀作品賞・秩父宮賜杯を受賞しており、これによって丹波焼の認知度が全国的に高まったと言われている。丹波の伝統技を使いながら、独自の作風を作り続けている市野雅彦さん作品には、土と向き合う生き方そのものが込められているように感じた。

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丹波焼の研究を行った川元健右 (註1)によると、丹波の特徴は陶芸家一人ひとりが丹波焼産地を盛り上げていく意識を持っていることであり、その理由がいくつか挙げられている。産地として比較的小規模であり、陶芸家同士が子供のころから同じ環境で育ってきているため関係性が強いこと、また他の産地と異なり問屋がおらず、陶芸家が自分で顧客を作り、陶器の販売をするという立場を共有していることなどである。この仲介業者を通さないという直接取引により高い利益率で商売ができるという利点になっている。加えて、立杭地区は大阪や神戸から1時間程度と交通の利便性が高いため、陶芸家と顧客との距離が相対的に近いということである。
 また、川元以前には、関根靖浩(註2) が生産構造、市場・取引構造、技術習得経緯の三つの観点から、丹波焼について伝統工芸品産地の産業集積としての特徴と課題を明らかにしている。技術習得の経緯について、市野秀之さんのご子息の場合も「学校制度」によって技術を習得されたとのことだった。考えてみると、立杭では、親から子へ、組合を中心とした地域の人々によって、この場合他の地域から流入する人々も含めて、人間の営みの実践の場としての役割が十分に機能しているといえるのではないだろうか。直接的な技術の伝承という点では課題があるかもしれないが、丹波焼の真髄がしっかりと受け継がれていると感じた。そこには日本の民藝運動をけん引した柳宗悦やバーナード・リーチらが丹波焼に及ぼした影響も忘れてはならないだろう。

二人の陶芸家のお話しから、個の活躍だけではなく、焼き物の産地の価値観、課題などを共有しながら組織の一員として活動するという丹波焼の陶芸家たちの姿が浮かび上がった。消費者の近くにあって、様々なトライアンドエラーを繰り返し、過去の自分・丹波焼に固執することなく、新しい作風や丹波焼のストーリーを創り上げている。これが丹波焼の強さといえるのではないか。異なる両輪を動かし、力強く前に進む陶芸家の方々の生き方が印象に残った。

註1:川元健右 2020 「1960年代から現代にかけての日本の伝統的な陶産地の発展 ー丹波焼と備前焼を事例にー」、慶応義塾大学法学部政治学科ゼミナール委員会、『政治学研究』第63号p169-194
註2:関根靖浩 2016 「伝統工芸品産地の産業集積としての特徴と課題ー丹波焼産地を事例にして」、大阪市立大学経営学会、『経営研究』第67号p97-115

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