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【参加レポート】事業構想ブートキャンプ2022春 2日目@真鶴町

第2日目

しょうぎ作曲

 初日の宴の余韻に浸りつつ、2日目の午前は「しょうぎ作曲」を体験した。しょうぎ作曲とは、現代芸術家の野村誠氏が考案した集団作曲法である。
将棋を指すように一人ずつ楽器を演奏していく作曲法であり、各自が順番に好きな楽器で好きなように作曲し前の人の演奏に音を重ねていく。
今回はひとりずつ1フレーズ(4小節分)を作曲し、4人になるまで合奏する。四重奏までいくと最初の人は演奏をやめ、新たに次の人が演奏に加わる。この流れをメンバー全員が演奏するまで実施した。
様々な楽器の中から一つを選び、自由に音を重ねていく。新たな音が加わることで最初の演奏からは想像できないような合奏になっていくことがしょうぎ作曲の醍醐味といえる。どのような楽器を選びどういったリズムを刻むのか考えるのは初日にディスカッションしたOODAループの考え方に似ている。メンバーがどのような演奏をしているのかを観察し、どういった演奏をすれば良い合奏となるか、楽器やリズム、音程などの方針を検討する。
方針に沿って実際に楽器を演奏し自分の中で想像していたイメージと音が合うか試行錯誤して自分の演奏を決定する。これらの一連の流れを短時間で考え実施しなければならない。OODAループはビジネスなどの戦略の場でのみ検討されるフレームワークと捉えていたが、このような日常の中でも無意識に活用していることがわかった。
 しょうぎ作曲をするにあたり事前にギターやトライアングル、カスタネットなどいくつかの楽器が用意されていた。メンバーはその中から楽器を選び演奏をする。しかし、作曲が進んでいくとそこに置かれていない楽器アプリで演奏するメンバーや楽器を使わず手拍子をするメンバー、ついには歌い出すメンバーまで現れた。置いてある楽器から選ぶものだという思い込みの枠を超える自由な発想により、私が当初想像していた合奏とは大きく異なったものが出来上がっていった。全員で作曲して出来上がった曲はそれぞれのメンバーの個性が現れており、私一人では決して作り出せないものであった。今回のしょうぎ作曲のように新しいイノベーションを生み出すようなアイディアは個人が考え込んで生まれるというものではなく、多様性を持ったメンバーが集まり、様々な角度からアイディアを出し合うことで生まれてくるのであろう。


 私自身しょうぎ作曲を体験してみて、メンバーの演奏を聴いて更に良くしたいと思う一方で、ギターやピアノが弾けないのでしかたなく打楽器を選んでしまっていた。これは自分の中で無意識に周りの人に迷惑をかけてはいけないという基準を作っているからに他ならなかった。本来、音楽というのは人それぞれの感性で決めるものだ。自分が良いと思えばそれで構わないはずだが周りが自分の演奏を聴いてどう思うかということを考えてしまい無難な演奏をしてしまった。これは他のメンバーからも同様の感想があった。人は無意識のうちに自分の外に対して評価の基準を置いてしまっているのだ。なぜ、無意識に自分の外に対して基準を作ってしまうのか。もし演奏したのが小さい子供であれば、おそらく周りを気にせず自分が楽しいかどうかが評価の基準になっているだろう。今回の事業構想ネットワークのテーマのひとつである「型」を作るということに対してもこの基準をどこに置くのかという考え方は関係しそうだ。基準とはどうあるべきかを突き詰めていくと、我々が目指している新規事業をおこなうための「型」というものがどういったものか分かるのかもしれない。 


Field Work in 真鶴:美の基準(Design Code)をみつけよう 

 当初の予定では午後からは型についてディスカッションする予定だったが、型の議論の前に基準とは何かを追求するため、真鶴町でフィールドワークを実施することとなった。

真鶴町はブートキャンプの滞在地だった湯河原町の北部に位置する。古くから上質の石材とされる本小松石の産地である。町の名は、半島の形が羽根を広げたツルに似ていることから付けられた。市街地の北の山には採石場が多い。北部海岸沿いの丘陵はミカンの栽培が盛んである。町の北西部は、箱根火山の外輪まで続く山地の一部である。真鶴町は海沿いであるにも関わらず、地盤が硬いため水が貴重な資源として扱われている。真鶴町には、家と家の間にある瀬戸道(せとみち)という細い道が多く存在し、住民の生活道路となっており昔から変わらない姿のまま残っている。真鶴町では30年以上も前から「美の基準」というまちづくり条例を施行し、まちづくりに活かしている。長い年月を掛けて少しずつ築きあげてきた街並みは建造物としての美しさというよりは、ありのままの自然物としての美しさを感じることができる。

瀬戸道(せとみち)

 今回のフィールドワークは、自分たちで真鶴町を散策し、どこに美の基準が採用されているのかを見つけるという取り組みをおこなった。本来は先にまちづくり条例の内容を確認し実際にどのように基準が採用されているのかを確認すれば良いのだが、それでは答えを見てから問題を探すことと同義になってしまう。今回はまちづくり条例の内容を確認せずに自分たちで美の基準は何かを考えることで基準についての理解を深めようとしたのである。答えを自分たちで想像するということは、風景を見渡したときに様々な視点で検討する必要がある。例えば道路にベンチが置いてあれば「住民の憩いの場」という基準があるのではないか、玄関前に花壇があれば、「緑豊かな町並み」という基準があるのではないかといった具合にすべてのものに何らかの基準があるのではないかと考える必要が生まれる。
 今回は3~4名を1チームとして美の基準として採用されていると思われる風景を最大7枚写真に収め、最後にチームごとに写真の内容を発表することとした。メンバー全員が何が美の基準なのかよく分からない状態からのスタートだったので、どこに向かえばいいのかも分からないままフィールドワークはスタートした。

 我々のチームは男性3名チームだったため、足で稼ぐ作戦をとった。時間が限られている中での活動なので他のチームが行けないようなところまで行けば、より多くの撮影スポットが見つかると考えたからだ。基準となりそうな風景を探していたのだが、それよりも目についたのは住民たちの交流の多さであった。様々な場所で住民同士が談笑している姿を見ることができた。これは都会ではなかなか見られない光景だろう。そこでは時間の流れが緩やかに感じることができた。

貴船神社の境内から撮影

 写真撮影の時間が過ぎ、一旦研修施設に戻ったあと、各チームが写真の内容について発表をおこなった。写真撮影を通じて私達のチームが出した結論は、美の基準とは一人一人に存在するものであるということだ。


 ビジネスには様々なフレームワークがある。それらのほとんどは効率化を目指した手段としての型であるのに対し、真鶴町の「美の基準」という考え方の根底には住民が幸せに暮らすための目的としての型があった。その型は美の基準という本を作るにあたって一から考えたものではなく真鶴町で積み重ねられた先人たちの知識や経験をもとに作られている。実際の真鶴町の「美の基準」にはこうすれば良いという具体的な正解は何ひとつ示されていない。一つの基準に対して多様な解釈を残すことで様々な方向に解決の糸口を残している。そこから言えることは、美の基準とは住民一人ひとりの心の中に存在しており、全員に当てはまるような美の普遍的な正解はないということだ。つまり美の基準とは、客観的に美を評価するためのものではなく、美とは何かを考える際に「住民一人ひとりが立ち返る心の拠り所」として存在しているのである。
 現地に行き地元の方と話し、美の基準により作り上げられた空間に触れる。そこで感じる経験というものは決して机上で作り上げられたフレームワークで再現することは出来ないだろう。美の基準から生まれた美の精神は様々な場所で体験することができた。建物の外観だけではなく、店内にも洗練された美が存在した。喫茶店の中は様々な食器が並んでおり、見た目の美しさだけではなく落ち着いた店内には洗練された居心地の良さがあった。

喫茶店の店内、反対側には様々な食器が並んでいる


住民同士の交流においては、老人が道路を横断する際に手伝っている青年や、近所の人たちのために日曜大工でベンチを作っている人々など内面的な美も存在した。美の基準はモノの外見だけではなくそこに住む住民の内面にも影響を与えている。真鶴町が掲げる美の精神はその子孫や、あるがままの美に興味を抱いた移住者によってこれからも受け継がれていく。我々の事業構想ネットワークで目指す「型」というものもこのように受け継がれていくものでありたいと願う。(文:後藤 聡)

真鶴港

以上

 


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