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野辺山ウルトラマラソン 2024.05.19

5月19日(日曜日)
野辺山ウルトラマラソン100kmに参加しました。この大会に初めて参加したのは東日本大震災の翌年である2012年。以来9回スタートラインに立ちましたが一度も自力でゴールに戻ることはできずに9連敗。そして今回が10回目の野辺山の挑戦でした。

過去に最もゴールに近づいたのが2017年。この時は83.6kmまで進みましたが、ここで時間切れ回収となりました。次こそはと思われましたが、その後コロナ禍以降は大きく走力を落としてしまい、2022年は35km稲子湯にて、2023年は42km八峰の湯で関門アウトと情けない結果が続いていました。コースの半分も進めないこの結果に強い危機感を抱き、改めて野辺山で完走することを目指して1年間いろいろと取り組んで来ました。

さて、そんな10回目の挑戦でしたが、結果は今回も完走はならず。76.03km地点で時間切れ回収に終わりました。昨年よりはましだけど、まだまだゴールは遠いですね。しかしレース展開や準備において何か失敗があった訳でもなく、力の限りを出し尽くしての結果なので悔いはありません。完全燃焼です。だから完走という目標が達成できなかった事はとても残念ですが、それでも昨年の42kmから今年は76kmまで進んだのだから、これが1年間の取り組みの成果であると、認めてあげたいと言う感情がありました。1年間やって来たことに意味はあったと思います。

今回も事前に綿密な走行タイムスケジュールを作成して、それをレース中も確認しながら走ります。50km地点の小海エイドに6時間6分で到着を見込みました。50kmを6時間6分は、決して楽な設定ではありません。まして激しいアップダウンの連続するこの野辺山のコースですから、かなりきついハードルだと思っていました。しかし、前半に比べて登りの区間が増える後半は疲労も増す事を考慮すると、より後半に多くの時間を割り当てなくてはいけません。できることなら計14時間のなかで前半6時間、後半8時間の配分で行きたいところです。しかし、どうしても6時間というプランは作る事ができず、ぎりぎり6時間6分というタイム設定としました。さらには、残り21kmの馬越峠では3時間、残り13kmの川上村エイドでは2時間を残しておきたいと言われています。

ところが、前半の最高地点(標高1902m)を超えてゆく最初の登りで大きく予定よりも遅れてしまいます。坂道トレーニングもかなりしてきたのですがね、全然足りていません。結局のところ、50km地点に到着時間は予定を大幅に遅れて6時間56分もかかってしまいました。6時間6分のプランから遅れること50分ということになります。もうこの時点で完走は絶望的です。しかし関門は9分を残して通過できているのですから、気持ちを切り替えて、1歩でもゴールの近くまで行けるように前に進むしかありません。次の関門は68km地点です。苦しいけれどなんとか粘って68kmをクリアして、次の馬越峠まで行きたい。峠を越えればあとは長い下り。そこまで行ければあの2017年の最もゴールに近づいた地点を超えることも出来るのではないか。

そんなことをモチベーションにしながら、59km北相木村役場で折り返し、関門のある68.0km南相木村役場を目指します。もうこの辺りは、登りは緩い坂でもほぼ全面歩き、そして平らなところと下り坂の部分を何とかこらえて走る。そんな事の繰り返しとなっていました。

68.5km南相木村役場、関門15分前に通過しました。しかし次の関門は後半最大の難所、馬越峠。殆どが厳しい登りのこの区間を考えると、もう馬越峠の関門通過はこの時点で絶望となっていました。もう峠を越えて川上村に向かうことは出来ないのだと思うと、悲しい気持ちになります。

68kmのエイドで補給をして出発の準備をしていると隣にいたランナーが、「この先まだ進むのですか?」と聞いてきました。「ええ、もちろん行きますよ。次の関門は無理だけど、あと2km頑張れば70km地点の記録が残せますよ。来年へのトレーニングの意味でも、1kmでも多く先に進みたいと思います。」と答えました。これは私の正直な気持ちでした。実際次の関門通過が絶望となったこの場所で、リタイアを選択するランナーが多いのは事実です。でもここの関門は通過したのですから、ここでリタイアの選択肢は私にはありません。まずは70km地点、そしてその先どこまで行けるかわからないけれど、時間切れで回収されるまでこの野辺山のコース上に居たい! この感情が益々厳しくなる登り坂に向かう私の力になっていたと思います。

野辺山の挑戦の終わりは、スタートしてから11時間と56分42秒、距離76.03km地点でした。馬越峠まではあと3kmくらいのところでした。後ろから登ってきたワンボックスカーを運転するスタッフから、次の関門の制限時間になったのでここで車に乗車してほしいと告げられました。後ろから順次回収してくるので、この時点で私が最後部のランナーだったことになりますね。こういうのは何度も経験しているけれど、もう何とも言えない気持ちになります。悲しい気持ち、無念な思い、悔しい感情、でも限界までやりつくした満足感も少し。

何よりも残念だったのは、もちろん目標であった完走に遠く及ばなかったことだけど、まずは越えたいと思っていた2017年の結果にすら大きく届かなかった事。70km地点のタイムで比較すると、40分の遅れが生じていました。これはちょっと情けない気持ちになりますね。

昨年の42kmから76kmまで進んだという成果はあったとしても、完走と言う目標には遠く届かなかったのだから、何が自分に足らなかったのか、今後どんなトレーニングをして言ったら良いのか。よく考えながら前に進みたいと思います。

7月には昨年残り僅か11kmでリタイアした津軽ジャーニーハーフ(154km)。10月にはえちごくびきの(100km)があります。どちらも難敵ですが、当面の目標です。特にえちごくびきの100は、来年の野辺山へのステップとして、結果にも内容にも拘りたいところです。

最後に、応援して頂いた皆さま、ありがとうございました。感謝しています。

昨年(2023年)の記事はこちらhttps://note.com/cona2270/n/n0bbb322be9bb

前泊したペンション森のファミリー。
今までは甲府昭和インター近くのホテルに宿泊していましたが、甲府から一気に野辺山まで1000m以上の標高を登っていきなりスタートラインに立つというのは少し無理があると思い、今年は野辺山に宿をとりました。高地順応も大切ですよね。
もうじきスタート。後ろは毎度お馴染みの、南牧村社会体育館。ここは荷物預かりと更衣室があります。
スタート、カウントダウン!

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